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直矢さんは始終無言で歩いている。愛美さんのことを聞きたい私は言葉ひとつかけられない。電車に乗りドアの近くに並んで立っても直矢さんは無表情だ。

「直矢さん……聞いてもいいですか?」

気まずい空気に耐えられなくなった私はついに切り出した。

「なんでしょう」

直矢さんは困った顔をした。まるで私が何を質問するのかをわかっているようだ。

「堀井さんという方はもしかして直矢さんの元カノですか?」

「………」

「大学の同期生、というだけじゃないですよね?」

直矢さんは相変わらず困った顔で私を見た。

「そうです。僕の元カノですよ」

やはり思った通りだ。今度は私の顔が曇る。

「そう……ですか……」

こんな偶然は残念だ。2人の関係を聞いたのは自分なのに、答えを聞かなければよかったと後悔した。愛美さんはこれから仕事で何度も会う相手だ。直矢さんの気持ちが揺れないとも限らない。

「はぁ……」

スタイルの良い美人だった。パンツスーツを着こなして、清楚なメイクにさらさらの髪。愛美さんのような人は女性だって憧れる。そんな人がこれから直矢さんのそばにいる。考えただけで不安に押し潰されそうだ。
お互いにそれ以上話さないまま電車を降りて会社まで歩いた。

「はぁ……」

1歩前を歩いていた直矢さんが突然止まった。

「直矢さん?」

私が名を呼んだ瞬間振り向いた直矢さんは突然私の腕をつかんで大通りから脇道に歩いていく。

「ちょっと、直矢さん!」

驚いて腕を引いて抵抗しても直矢さんは放そうとしない。しばらく進んでビルとビルの間の通路で止まった直矢さんは私と向かい合った。

「いったいどうしたんで……」

突然の事態を怒る間もなく直矢さんは私を抱き締めた。

「え?」

混乱する私にはお構い無しで直矢さんはぎゅうぎゅうと強く抱き締める。

「直矢さん、痛いです……人が来たらどうするんですか……」

人気がないとはいえ真っ昼間のオフィス街だ。ビルから誰かが出てくるかもしれない。抗議しても直矢さんの腕の力は弱くならない。直矢さんが強引なのはいつものこと。私は呆れながらも直矢さんに抵抗するのをやめた。すると直矢さんは私の肩に顔をうずめ「ごめんなさい」と呟いた。

「何がごめんなさいなんですか?」

「美優が溜め息をつくときは悩んだり困ったりしているときだから……」

溜め息といわれてキョトンとした。

「私溜め息なんてついてました?」

「さっきからずっと……」

気がつかなかった。自分の癖は自分ではわからないから。

「それはすみません。無意識で……」

「僕のせいで美優を傷つけた」

「私、傷ついてなんていませんよ」

直矢さんは私の頭を撫でた。強がりがバレているのではと不安になる。傷ついてはいない。けれど怖いのだ。

「謝るのは僕の方だから。つい動揺しちゃって……」

「動揺ですか? 直矢さんが?」

いつも冷静沈着な直矢さんが動揺するなんて珍しい。

「もう会わないと思っていたのに……なんで今このタイミングで会うかな……」

愛美さんに再会して戸惑っているのは明らかだ。

「でも元カノだからって関係ないです。今の僕の恋人は美優ですから」

直矢さんが自分に言い聞かせるような言葉に違和感を覚える。

「あの、動揺するってことはやっぱり愛美さんと会いたくなかったですか?」

「そうですね……会いたくはなかったです。色々ありましたから」

直矢さんは悲しそうな顔をする。そんな顔でこんな言葉を聞かされたら私まで悲しくなる。

「直矢さんが嫌でなければ色々の部分を教えてください」

「え?」

「知りたいんです。直矢さんのことを」

普通なら元カノとの過去なんて聞かないのかもしれない。でもこんな直矢さんは初めてだから聞かずにはいられない。例え聞いて後悔するとしても。

「正直に全てを言ってもいいですか?」

「はい……」

だって直矢さんは前に言っていた。女性を傷つけて傷つけられるような恋愛をしていたって。直矢さんが愛美さんと会ったことでまた傷つくのが私は嫌だから、私は直矢さんの過去を知りたい。
直矢さんは私から少しだけ体を離して目を伏せた。

「愛美は結婚を考えていた相手でした」

衝撃の言葉に反応するのが遅れた。結婚を考えるほど愛美さんは直矢さんにとって重要な存在だったということだ。

「大学を卒業して就職して、お互いに仕事に慣れてきたら結婚するはずでした。新居を決めて家具も家電も買って」

淡々と話す直矢さんは無表情だ。反対に私の顔は青ざめる。直矢さんは身の回りのものを買い換えようとしていた。それは愛美さんとの生活のために揃えたものだったからではないのか。

「だけど愛美に振られました。それはもうこっぴどく」

「え? 直矢さんがですか?」

さっきの愛美さんとのやり取りから円満な別れではないのは想像できた。けれど直矢さんが振られたようには感じなかったのに。

「愛美にとっては僕の愛情が急ぎすぎてついていけないそうです。結婚を急いだわけではないんですよ。でも僕が次々に揃えていく家具や雑貨に、愛美は良い思いをしなかったようです」

想像できてしまった。直矢さんの直球で溢れる思いを愛美さんは持て余す。

「それに、僕との生活も重いのだそうです」

「重いって……」

そんなことを言われたら夫婦として一緒に生きていく気持ちを否定されたようではないか。けれど私にも覚えがある。直矢さんを重たいと思ったことはなかったか。

私は直矢さんの肩に額をつけた。こんな誠実な人に愛されていた愛美さんが羨ましい。もう直矢さんの過去の人であっても嫉妬してしまう。それなのに愛美さんにとっては重荷になった。

「精一杯尽くしてきましたけど、愛美の愛情より僕の愛情が大きすぎて、もう僕のそばにはいられないと言われました」

「ああ……」と私は声を出した。直矢さんの過去に同情しつつも愛美さんの選択にも納得してしまったのだ。直矢さんの愛情表現は時には照れくさくて、受け止めきれないほど大きいのだ。私は身をもって知っている。

「だから僕は美優の気持ちがわかります。恋人に離れていかれてしまったのは僕も同じです。だから僕は美優を傷つけたりはしない」

「急に生活用品を買い換えたのは、それが愛美さんとの生活のために買ったものだったからですか?」

「そうです。もう何年も僕の自宅には愛美との過去が居座り続けていました。今のマンションも愛美と住もうと契約していたところです。今まではそこに住んでいてもよかった。でも美優との関係を深めるために全てを変えたかったんです」

「それで引っ越しやたくさんの買い物を……」

「納得しちゃいました?」

直矢さんは「それはそうですよね」と自虐的に笑いながらも悲しそうな顔をした。

「もう愛美の時のような経験をしたくはない。愛しい人が離れていってほしくない。好きな人ができても怖かったんです。自分を否定されるのが」

「だから私を避けていたのですか?」

「はい。美優が好きで、でも僕の気持ちを知って重荷に思われたら今度こそ立ち直れない。だから美優を避けていました」

そうだったのか。会社で直矢さんの冷たい態度に悩んでいた。それがいつの間にか私に壁を作らなくなった。

「一歩進もうと美優を食事に誘おうと思ったりもしました。結局自分は重たいのだと思い知りましたけど」

「………」

直矢さんの不器用さに抱きしめられながら頭を抱えそうになった。あの時の私は直矢さんを薄気味悪いと思っていた。こうも気持ちが行違うのかと面白くもあり切なくもある。

「社員旅行の時美優が素直な僕がいいと言ってくれたから、美優への想いを隠さないと決めました。それがどんなに嬉しかったか」

私を見つめる直矢さんの目には熱がこもる。私も嬉しくてどんどん目が潤む。

「僕の愛情は重いですか?」

そう問いかける目の奥に不安は感じられない。私の答えを知っているのに敢えて問う意地悪な直矢さんに私は笑いそうになる。

「めっちゃくちゃ重いです!」

はっきりと答えた。

「でもこんなにも私を想ってくれた人はいません」

直矢さんに救われた。私が欲しくてたまらなかった言葉を、寂しさを埋めてくれる体温も、直矢さんは与えてくれたのだ。

「もうこの重い愛で満たされてないと物足りない。直矢さんじゃないと私は満足できないです」

再び直矢さんは私をぎゅうっと抱き締めた。

「僕の愛情は軽くすることはできそうにないですけどいいですか?」

「はい。重い男上等です!」

耳元でふっと笑った直矢さんは私の頬にキスをした。それに応えるように私も直矢さんの頬にキスをすると今度は2人の唇が重なった。

路地を出て会社に戻るまでの間手を繋いだ。他の社員に付き合っているとバレてもいい。ビルのガラスの扉を開けるまで私たちはずっと手を繋いでいた。



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