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「戸田さんが1番武藤君のアシスタントに相応しいんだよ。気配りができるし先輩後輩からの信頼も熱いしね。今は武藤君も大事なときだから優秀な戸田さんにサポートしてほしいんだ」

「そうですか……」

高評価を頂いているのに私の口からは素っ気ない返事が出る。確かにありがたいお話だ。けれど精神衛生上嬉しくない。部長に言われても自分でも呆れるほど異動の話を拒絶している。

「ここだけの話だけど、武藤君が次長になるかもしれないんだ」

「そうなんですか?」

では山本さんは武藤さんに先を越されたのだ。

「戸田さん」

「はい」

「あまり嬉しくはなさそうだけど、そんなに山本君と組んでいたいのかね?」

「まあそうですね……」

山本さんとは私が入社した時からの付き合いだ。たくさん助けてもらったし、仕事を教えてもらった恩がある。

「もしかして、山本君と付き合っているのか?」

「え!? 違います!」

慌てて否定した。山本さんと付き合っているわけがない。仕事のできるイケメンなところは武藤さんに負けていないけれど、山本さんはチャラいのだ。私の好みじゃない。何より私には正広という恋人がいる。

「山本さん彼女いますよ。私にも彼氏がいますし」

「なら会社の将来を期待されたエースのパートナーは戸田さんが相応しい」

本音かどうかはわからないけれど部長にここまで言われては断りにくくなってしまった。武藤さんが嫌だ、なんて理由ではもう人事を動かせない。

「わかりました……ありがたくお受けします」

声にまで不満がこもっていたけれど、部長は私の気持ちを無視して「ありがとう」と笑顔になった。

「なるべく早く田中さんを交えて引継ぎをと言いたいんだけど、来週は社員旅行もあるから終わったら引き継ぎと打ち合わせをお願いね。申し訳ないけど田中さんの退職は3月いっぱいだから社員旅行のあとに急ぎでね」

少しも申し訳ないとは思っていなそうな明るい声で部長は私を会議室に残して出て行った。

残された会議室で私は深い溜め息をついた。田中さんが3月で退職ということは武藤さんの営業事務の人選に新入社員が当てられる可能性が高いと思ったのに。
しかも武藤さんが次長になるということは増々大きな仕事を担当することになるだろう。私の責任も重くなる。
武藤さんと共に仕事をする。この現実が重かった。コミュニケーションがまともに行えないのに一体何をどうしろというのだろう。
ああ、そういえば武藤さんの担当エリアって家に近いんだったっけ。
営業は都内の担当エリアが決まっているが、山本さんの担当は私の家から遠かったので現場に一緒に行くことがあると帰りが遅くなることも多々あった。それを考えれば私の家から近いエリアの武藤さんと組むのも悪くない。そう思い直してその1点だけをプラスに考えることにした。

会議室から出るとエレベーターから出てきた武藤さんと鉢合わせてしまった。

「あ……お疲れ様です……」

「お疲れ様です」

武藤さんは私を見て微笑む。それが堪らなく居心地が悪い。武藤さんと仕事をするなんて無理に思える。今会議室に引き返して部長に断ろうかと思えてきた。

「戸田さん」

「はい……」

「今夜はいかがですか?」

「あー……」

まただ。武藤さんは食事の話をチャラにしてはいないのだ。

「えっと……すみません今日は……」

そう言って早足で武藤さんから逃げるようにオフィスに戻った。
2人きりじゃなければ食事に行ってもいいけれど、武藤さんはどういうつもりなのだろう。私には正広がいるし、武藤さんにはっきり言った方がいいのだろうか。
なんで武藤さんが私を誘うのか。武藤さんモテるから食事に行ってくれる人はいっぱいいそうなのに。
春からの異動を考えて溜め息をついた。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



定時を過ぎて社員の少なくなったオフィスで私はメールを開いた。

『営業部営業2課、田中真理さんが2月16日に御結婚されました。3月31日付けで退職されます』

定時になる直前に総務から社員に一斉送信されたこのメールを読んだ社員はそれほど多くはないかもしれない。それでも私はもう何度も目を通した。

「はぁ……」

近くのデスクの社員は退社してしまったから溜め息を誰にも聞かれないのはいいことだけれど、この嫉妬心を他の独身社員と共有できないのは寂しいと感じる。
会社に就職してもう4年。再来月には5年目に突入してしまう。恋人である正広とも付き合って長い。
私だってそろそろ結婚してもおかしくないはずなのに……。
1年後輩の田中さんが自分よりも先に結婚してしまった。長年付き合っている彼氏がいるとは聞いていた。でもまさか私よりも先に入籍するとは思わなかった。しかも寿退社なんて憧れる。

「羨ましいな……」

こんなひとり言も誰にも聞かれない。
無性に正広に会いたくなって今夜家に行ってもいいかLINEをすると数十分たっても既読になることはなかった。それが余計に私を惨めな気持ちにさせるのだ。
正広に蔑ろにされているのではないか。そう思いたくはないのに今の私は正広との関係に怯えている。いつだって2人の関係を進める準備はできている。けれど正広はそう思っていないかもしれない。それが怖くて仕方がなかった。

外線がフロアに鳴り響いた。例によって定時を過ぎてからの外線に出ない他の社員に呆れながら私が受話器を取ると「お疲れ様です武藤です」と聞いた瞬間に受話器を置きたくなってしまった。

「お疲れ様です……戸田です」

「………」

武藤さんも一瞬言葉を失ったのだろう。電話の奥の車のエンジン音がはっきり聞こえた。

「ホワイトボードの僕の欄に明日は直行と書いておいていただけますか? 旅館には現場から直接向かいますので」

「はい。かしこまりました」

明日から社員旅行がある。武藤さんと休日も近い距離に居なけばいけないのが不満だった。

「………」

電話の向こうで黙ってしまった武藤さんに「他にはありますか?」と聞いて「ないです」と武藤さんが答えると、私は「では失礼します。お疲れ様です」と早口で言って電話を切った。さすがに失礼だろうとは思ったけれど、また食事に誘われるのかと怖かった。
このままでは良くない。そう思うけれどこの失礼な態度は武藤さんから始めたことなのだ。

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