(10)美沙子
望たちの出身中学の近く。
小さな川の両岸に公園が広がっていた。
ここに来るのは初めてだ。
川沿いの遊歩道にも公園内にも、ぽつりぽつりと外灯はあるものの、さほど明るくはない。
先に事故現場にも寄ってみたけれど、望の姿はなかった。
現場にはまだいくつも花が供えられていた。
——どこに行っちゃったの。
わたしのところでもない。
彼のところでもない。
だったら、もうどこを探していいか分からない。
供えられた花を見ていたら、そこに望の顔が重なって見えて、涙で花の色がぐちゃぐちゃに滲み始めた。
手を合わせた。
——希くん。
ノンがいなくなっちゃったよ。
あの子、ここに来なかった?
ねえ。
希くん。
まさか、ノンまで連れて行ったりしないよね。
ねえっ、希くん!
そこで思い出した。
中学近くの公園を彼と一緒に散歩するんだと言っていたのを。
——もう少し前なら桜が綺麗だったんだけどね。でも、そんなのどうでもいいの。
——ソーシャルディスタンスって知ってるかい? 手も繋げないよ。
わざと意地悪を言ってみた。
——いいの。外出自粛が終わったらね、そのときはちゃーんとデートするの。
——でも、外出自粛が終わったら、彼、東京に行っちゃうんでしょ?
——彼、アルバイトしてお金貯めて会いに来るって。わたしもそうするって言ったの。向こうに行ったら、スカイツリーに行くんだ。ディズニーランドにも行くんだ。
キャハ!と、あの子は本当にキャハ!と言った。三年のつき合いで初めて聞いた。
どうせ振られちゃうだけだしとか、どうせ遠距離になっちゃうしとか、さんざんネガティブなことばかり言っていたくせに。最新の認証システムでも同一人物だとは判定しないんじゃなかろうかと思うほどだった。
二人の、最初で最後のデートがこの公園だったことになる。
ここにいなければ、どこを探せばいいのか……。
スマホを見た。
LINEは未読のまま。
何度目かのリダイヤルをしてみたけれど、やっぱり応答はない。
——こら。出ろよ。さっきはそっちから架けてきたくせに。
そう思ったとき、遠くで着信音が鳴っているのに気がついた。
発信を切ると、着信音も止まった。
——いる。
「ノンッ!! どこ!!」
もう一度リダイヤルした。
呼び出しが始まる。
耳をすます。
ワンテンポ遅れて、微かに着信音が聞こえ始めた。
公園の中からだ。
公園の中央にひと際大きな、西洋のお城を模したと思われる遊具があった。
外に階段と滑り台が見える。お城に上って、滑り下りてくる形になっている。高さはさほどでもないけれど、子どもなら五人は楽に並んで滑れそうな広さがあった。周囲にいくつか入り口らしき暗がりが見えていて、中に
着信音はその中で鳴っていた。
黙って、ゆっくり、そうっと近づく。
入り口の手前で、発信を切ってみた。
着信音も止む。
「ノン……」
屈むようにして中を覗き込んだ。
真っ暗だ。
スマホのライトを点けた。
「ノン……」
左側から順に照らしていくと、正面よりやや右手にうずくまる人影があった。
「ノンなの?」
黒い小さな人影が、ゆっくりと静かに頭を上げた。
ライトを向けると眩しそうに顔を逸らしたのは、間違いない。望だ。
「ノンっ」
望は手のひらでスマホの光を遮るようにして、こっちを見た。
直接顔に光を当てないように、スマホを下に向ける。
「美沙子?」
思いのほか平和な口調だったのが、返って心配を煽る。
「そうだよ。わたしだよ。こんなところで何してるんだよ。心配して探してたんだよ」
望の前にこちらもしゃがみ込むようにして抱き締めた。
よかった。無事で——。
そんな思いを、言葉にはせず腕の力に込めた。
「ばかやろう」
「痛いよ、美沙子」
抵抗されてもしばらくは離れなかった。
「痛いってば」
少し身体を離して両肩に手を置き、望の顔をちゃんと見た。
泣き腫らした目。
頬には涙のあと。
鼻水も。
今は泣いていないけど、その顔はぐしゃぐしゃだった。
ハンカチを出して拭いてやる。
「馬鹿だなあ。こんなところに一人で。わたしのところに来ればいいのに」
「だって……。ねえ、美沙子。……彼が……」
望はそこまで言って、何かを思い出したかのように固まった。
せっかく拭いてやった頬に、また涙が零れ始めた。
「美沙子、、、彼が、、、希くんが、、、いっちゃったの、、、」
もう一度抱き締める。
「希くん、、、もう、どこにも、いない、、、」
うわ言のように繰り返す望を、わたしはただ抱き締めることしかできなかった。
だって、本当に彼はもうどこにもいないのだから。
彼から告白をされたと、望が嬉々として報告をしてきた次の日。
二人は約束通り散歩に出かけた。
二人の間の距離をどれだけ取っていたのかは知らないけれど、外出自粛の中で精一杯の初デートだっただろう。
その帰り道。
トラックの前に飛び出した女の子を助けようとして、彼が轢かれた。
女の子は軽傷で済んだが、彼は即死だったという。
そして、望は——
彼女は、心に重傷を負った。