【救出の足音】
【救出の足音】
「リーシャ様っ!」
玄関から屋敷に入った瞬間、屋敷に残っていた使用人達がわっと寄ってきた。
連れ立って帰ってきたリーシャとルカは、彼らに囲まれる。
「ルカ様っ!お怪我が···っ!」
「いやぁ、かすり傷だよ」
ルカはいつもの調子ではあるが、傷ついた左手は深いように見えた。
リーシャとルカは馬で帰ってきたが、手綱を握るのも彼は自然と避けているようで、片手で手綱を握っていた。
「リーシャがまだ屋敷の敷地内の倉庫にいて良かったよ。外の捜索は大変だからね」
「はい?あれ、まだ敷地内だったのですか?」
うん、とルカは返事をしてくるが、リーシャは目を丸めた。
(あれ、私結構歩きましたよね。あれがまだ屋敷の敷地内?)
自分が住んでいたラザレフ領よりも、広大なのではなかろうか。
「リーシャ様っ!」
大声で名前を呼ばれ、リーシャはびくりとした。声がした方向を見れば、顔をしかめたガリーナが駆け足で駆け寄ってくる。
「この雪の中、お一人で出ていくなんて、失礼ですが頭が足りていらっしゃらないのではないですか?下手すると死にますよ?見つかったから良かったものの···」
「が、ガリーナ···」
ずかずかと近寄りながら、ガリーナがくどくどと言ってくる。彼女の圧に押されるが、ガリーナは自分の前でぴたりと止まった。
「···本当に、心配しました。外は危険なので、勝手に抜け出すことは、もうしないで下さい」
彼女の目が少し潤んでいることに、リーシャは驚いた。どうして、そこで目が潤むのだろうか。
「ガリーナ、どうしてそんな···?」
「心配だからです。心配だから、僭越ながら怒ります」
ガリーナは自分の手を握る。冷えていた自分の手を気遣う彼女の仕草を見て、リーシャは目を瞬かせた。
(心配だから···?先程ルカさんも、心配だから、私を怒ったのでしょうか)
リーシャはルカに視線をやると、彼は肩をすくめて微笑んでいた。
「ガリーナ、リーシャは外にずっといたからね、温めてあげて。キノコ茶でも出してあげるといい」
「はい、かしこまりましたーールカ様、そのお怪我は」
自分に部屋を導こうとする彼を見て、ガリーナは驚いていた。自分を最優先にしようとしている彼に気が付き、リーシャも眉を釣り上げる。
「そうです、先にルカさんの手当です!お部屋に行っていてください」
「え、君もその格好じゃ風邪引いちゃうよ?」
「いえ、血が出ている方のほうが最優先でしょう!ガリーナ、包帯はどちらに?」
ルカの手を掴みながら、リーシャは言った。先程からずっとルカの手は、手当をしていないままである。
自分を気遣うよりも先に、自分を優先してほしいと思った。
「じゃあボクは手当してもらってるから、リーシャは服着替えてよ。そのままじゃ風邪ひくからね」
ルカは、自分の頭からエミールの帽子を取った。雪が溶けたことにより、帽子やコートは水になって溶け、服を濡らしていた。
(また···それはルカさんも同じでしょう···?)
リーシャはムッとしつつも、せめてもの譲歩案に乗らざる得ない。
彼は自分自身のことを無下にしているように思えた。
口をへの字に曲げるリーシャの頭をルカが軽く撫で、使用人を引き連れて階段を上がっていく。
「···エミールはどこかな?帰ってきたら、必ず、玄関の前にいるように言っておいてね」
リーシャも部屋に帰ろうとしたとき、低い声音で言っている彼の声が聞こえてきて、びくりとした。エミールのおかげで、リーシャは抜け出すことができたのだ。
(エミールは、帰ってきていないのですね···)
リーシャはちらりと玄関を見る。エミールの姿はない。自分がコートを借りてしまったが、外に行っているのだろうか。
彼のいない玄関を見ても、リーシャはもう外に行く気がなくなっていた。ガリーナが早く行こうと背を押してくるので、部屋に移動する。
「リーシャ様、そちらは、チェーンが壊れてしまったのですか?」
部屋に移動してから、ガリーナはリーシャの手に握られた赤い宝石に気がついた。
「そうなんですよ、落ちてしまいましてね」
「見せてください。···チェーンが外れただけですね。簡単に直せますので、お貸しください」
リーシャは、ガリーナに赤い宝石のネックレスを渡した。
水分を含んで重たかったドレスを脱ぎ、ルカが贈ってくれた赤いドレスを着る。これも肩が出ており、袖口が長いものだ。服を着替え終わる頃には、ガリーナがネックレスを胸に着けてくれた。
(···落としたんですよね、これ···)
リーシャは、自分の胸に光り輝く赤い宝石を見て、違和感に気がついた。
そう、先程小屋の中で、確かに自分は落とした。
「リーシャ様、このネックレスは、お父上がくれたものなんですよね」
思考している途中だったので、リーシャは必要以上に驚いてしまった。ビクついてしまったリーシャは苦笑し、無表情のがリーナを見る。
「そうなんですよ。···ガリーナに、私はそんな話しましたか?」
ガリーナとはずっと一緒にいるが、リーシャには彼女にネックレスのことを話した覚えがなかった。
9日の間、この屋敷にいた者に、話した覚えもなかった。
「ルカ様にお聞きしました。ルカ様はお喋りですから、リーシャ様のお話をたくさん聞きました」
「ルカさんからですか?でも、私もそのお話をルカさんにしていませんよ。9日間の間···」
食事をしながらでも、自分はネックレスの話題など出したことがない。
9日の間に、一度も。ということは、導き出されるのはーー。
「ルカさんと私は、以前会ったことがあるのですね?」
ガリーナは、口を閉じた。リーシャはつい詰問するような口調になってしまった。自分が知らない情報だったため、興味がそそられたからだ。
(いつ?ラザレフ邸で、話す人は限られていました。外部から来て話した人など、家庭教師か、ファリドや、あと···)
自分の頭をフルに動かす。考えることをやめないようにしながら、リーシャは古い記憶の中を思い出した。
『必ず、迎えに来るよ』
春の日、黒髪の少年は自分に話しかけてきた。
その記憶を呼び起こしたとき、リーシャは1つの答えを見つけ出した喜びに打ちひしがれ、体に甘美な震えを記憶させた。
それは、彼が自分と初めて接触した記憶だ。
(そうです。ルカさんは···ラザレフ邸に来ています。ラザレフ邸を訪ねてくるということは、父さんとも顔見知りで···私を、知っていても、おかしくないということです)
ルカが教えてくれない情報を、得ることができた。リーシャはうずうずと、この部屋に留まっていられないような衝動に駆られた。
「ルカさんのお部屋に、行きましょう。彼とお話をしたいです」
「え?どうかされたのですか?まだキノコ茶をお出ししておりませんが···」
「はい。ガリーナのおかげで、1つわかりました」
リーシャは自身のネックレスを撫で、廊下に出る。ガリーナが眉を困ったように寄せていた
が、自分は構わずに廊下を進もうとした。
その時、ばたん、と扉を強く開け放つ音が聞こえてきたと同時に、男の叫び声が聞こえた。バタバタと騒がしい数人の足音が、上の階にいるリーシャとガリーナの耳に届く。2人は訝しげに顔を見合わせる。
「何でしょう?私を捜索していたエミール達が帰ってきたのでしょうか?」
「···見てきます。リーシャ様は、お部屋に戻りましょう」
ガリーナが自分の背を押す。下の階が騒がしいのは確かで、リーシャは不審に思った。宴でも、エミール達はこんな足音を立てなかった。
「リーシャ!?リーシャはどこだ!」
リーシャは、ぴたりと足を止めた。
男の声は、エントランスホールから聞こえてきた。階段を駆け上がってくる足音が、廊下にいる自分にも響いて伝わる。
「ファリド?」
リーシャは、彼の名前を呟いた。騒がしい足音は、ついに自分がいる階の廊下にまで上がってきた。
「―――リーシャ!」
血相を変えたファリドが、自分の名前を叫んだ。