【どうして、そんなに閉じ込めたいのですか】
【どうして、そんなに閉じ込めたいのですか】
「う···」
リーシャは床に這いつくばっている状態で、目を開けた。
木目の床は冷たいが、体を起こそうとしても、起きることができない。自分の体の上には、缶や瓶が入っていた棚がのしかかっていた。
(···釘が、目の前に···あぶな···)
リーシャは、目の前にも釘が刺さった木片が倒れてしまっていることに、恐怖を覚えた。
自分の横にある棚が落ちてきたと思ったが、連鎖的に周りにある棚も倒れてしまったらしい。自分の身体は棚と棚に挟み込まれ、身動きができない状態になっていた。瓶が落ちたときに蓋が取れたのか、足に液体がかかってもいる。
(父さんがくれたペンダントも···落ちちゃいましたが···無事ですね···)
手が届く所ではないが、赤い宝石も木目の床の上に転がっていた。自分が倒れた際に外れてしまったのだろう。
「よっ···」
リーシャは試しに手を動かそうとするが、動かない。足を動かそうとしても同様だ。上にのしかかる重い棚を、自分1人で退かすことは不可能だ。
(まだ、雪を防げるだけでマシではありますね···。凍死することは、ないでしょう···)
貧相な作りではあるが、風や雪を防げている小屋には感謝をする。
(寒い···)
しかし屋敷のように温かいかと言われたら、違う。暖房がつけられた部屋とは、格段に違う。木目の床に体を倒しているだけでも、冷気は伝わってくる。
(···あのまま、屋敷にいたほうが良かったでしょうか?屋敷にいれば、衣食住は確約されていましたし···)
監禁生活は、何も不自由などなかった。屋敷の中にこのような老朽化した棚もなかっただろう。寒いと言えば、きっとガリーナは暖房をつけてくれた。これが食べたいと言えば、ルカは用意してくれるだろう。
あたたかい家の中で、アレクセイ達の死の謎はわからなくても。
(···どうして、父さんは死んだのでしょうか。···謎を、解明できないまま、私は···)
今の状態は、謎を解明することができずもがく自分の状態と、酷似しているように思えた。
ーーー知りたい、とリーシャは思った。
(何でもいいから、私は知りたい。父さんが死んだ理由も、ルカさんが私を誘拐した理由も···まだ、密室の謎も解けていないのですから)
わからない状態のままなど、嫌だ。
ページを簡単にめくるように、謎の正体を掴みたい。
リーシャは、もがく。手を動かそうとするが、無理に動かそうとしても、倒れ込んできている棚の重みを感じ、痛みが走るだけだった。
(このままなんて、嫌です···。このままの状態では···)
リーシャは嫌な予感が頭に浮かんだとき、透き通るように鮮明に、ある考えが頭に流れ込んできた。
(あ···そうですね···あの問題は···)
ルカに出題されたゲームの条件を、改めて整理する。文字まで書いたというのに、どうして気が付かなかったのだろう。
その時、リーシャは雪をのせた風の音の中に、馬のひづめが地面を走る音が聞こえてきた。
ハッとして体を硬直させる。馬が駆ける音が建物のすぐ近くで、止まったように思う。
「あの···っ、もし···っ!」
リーシャは声を出す。この状態から、助け出してほしかった。ルカの屋敷の使用人でも、この際良いからーー。
「リーシャっ!」
彼の声は扉を開けた瞬間、吹き荒れる雪と共に小屋の中に入ってきた。
彼の姿を見て、これほど安堵したことはないだろう。
「ルカさ···」
リーシャは、安心した吐いた息とともに彼の名前を弱々しく呼んだ。
彼は自分の姿を見るや否や、眉間にシワを寄せる。
「何これ。どうして、こんなことになっているんだ」
彼が顔を顰めているのを、初めて見た。どす黒い、低い声音に、リーシャはびくりとした。
(あれ···怒っています?)
普段見ない彼の顔つきは、リーシャの不安をかきたてた。
「あー···見つかっちゃいましたか···。逃げることができると思ったのですが···」
誤魔化すように、リーシャは言葉を選びながら、苦笑した。
「何を、言っているの···こんな状態で···」
どうやら自分は、返答を間違えたらしい。黒いコートを着ている彼は、自分の前に倒れている棚に両手をかけた。
「あ···ルカさん···」
ルカは自分を救い出そうと、両手で棚を持ち上げようとしていた。その棚には釘が出てしまっている部分があるのに、何もいとわずに、顔を顰めながらも棚を退かそうとする。
「ルカさん···怪我をしてしまいます。気をつけないと···」
「君に言われたくないっ」
ぴしゃりと突き放されるような声は、明らかに自分に対して怒っている。低い声音は、怒鳴られるより、恐ろしいように思えた。
(···怒られるのって、いつぶりでしょうか)
ラザレフ家に引き取られたから、人に怒られることなどなかった。どうして良いかわからず、リーシャは困惑した。
「やっぱり、君は···閉じ込めておかなきゃ駄目みたいだね」
「は、はい?」
自分の前に、ぽたりと赤いものが落ちてきた。見上げると、それはルカの手から伝って落ちてきたのだということがわかる。彼の顔は冷ややかで、痛みなど気にしていないようだがーー。
「ルカさんっ、血が···」
リーシャは鮮血を見て、息を呑んだ。
赤い液体は、明らかに血である。しかし彼は痛がる様子も見せず、自分の上に落ちてきた棚に手を伸ばす。
彼は手袋をはめているが、きっと釘が手袋を突き破り、手を傷つけてしまったのだろう。
「君を助けるためだ。どうでもいい」
「いいえ!先に手当をなさってからにして下さい···!私は、まだ平気ですから」
「本当にどうだっていい。君のほうが大切だ」
いつもと違うルカの声に、リーシャはびくりとした。彼は憮然と怒りながらも、自分の上のものを取り去ろうとしてくれる。
(どうして、そこまで私に···?)
自分はそこまで緊急性がある訳ではない。馬で来たのだろうから、使用人を呼ぶこともできるだろう。
怪我を気にすることなく自分を助けようとする様は、まるで自分を一刻も早く助けようとしているようではないか。
「っ···」
ルカの眉が、微かに釣り上がる。
棚を持ち上げるとき、手が傷んだのだろう。ぽたりと血液が床に垂れている。リーシャは、アレクセイの死を思い出した。床の上に転がった死から流れた血の色は、全く同じだ。恐怖が、背筋をなでた。
「あ···」
ルカが棚を持ち上げる時、缶が床に落ちた音がした。
自分の手が動くことに気が付き、リーシャは抜け出そうともがこうと、自分の手を握ろうとしてきた手を、掴んだ。
身体を引っ張り出され、雪がついたコートにぼすんと飛び込む。
「あぁ、リーシャ···良かった」
ルカの腕が、強く自分を抱きしめていた。
ファーがついたコートの細かな毛が、頬を撫でる。自分の背中を強く抱く彼を、リーシャは不可思議に思った。
(どうして···そんな嬉しそうにするんですか)
抱きしめられながら、リーシャはルカに尋ねたくなる。
「痛むところはない?怪我はないかな?」
こくりと頷くと、ルカは安堵したように、ようやくいつものように微笑んだ。
(あなたの方が、怪我をしているでしょう?私など···)
落ちてきた瓶によって足は濡れているが、それだけだ。ルカの手は血で汚れてしまっているのに、それでもどうして自分を抱きしめてくるのだろうと、疑問に思った。
「駄目だよ···。外には危険がいっぱいなんだから···。君はずっと、ボクの側にいればいいんだ」
リーシャは自身の心が反応するのがわかった。
(ずっと、この方の側に···?それは、安寧の日々ではありますが···)
強く自分を抱きしめる腕は、怖くもあるが、温かい。人の体温とは、こんなにも温かいものなのだろうか。
(誤解、してしまいそうですね···)
彼から離れるのが、怖くなってしまいそうだった。