【君を守るため、閉じ込めたいと願った日】
【君を守るため、閉じ込めたいと願った日】
『ラザレフ邸には小さな女の子がいるはずだ。私がラザレフ子爵と話している間に、彼女と接触し、話を訊いてこい。話した内容は一字一句私に教えなさい』
ルカは、この日のことを強く記憶している。
自分が14歳の時のことだった。その日は春の気候らしく、空は晴れていた。ぽかぽかと、コートなどいらない気温だった。
ラザレフ邸に行く途中の馬車の中で父から告げられ、ルカは静かに頷く。彼によって細かく話す内容まで指示をされる。
それは何故かなど、訊くこともない。
(お父さんの言うことは、絶対)
ルカは、全て父の言う通りにこなしてきた。勉学も、社交も、友人関係も、全ては父の言う通りで、そこにルカの意思はない。
(今日も、こなせば良いんだ)
自分ならば、父の言いつけをいつものようにこなすことができる。そう自負し、父に連れられてラザレフ邸の中に入った。
『ラザレフ子爵、この子が私の息子、ルカです』
優しそうな赤毛の男ーーアレクセイはルカを見て、微笑んだ。自分は彼を見て、軽く笑みを浮かべた。
『あなたに似て、とても利発そうな子ですね』
14歳になるルカは、自身でも賢く見えることは自覚していた。いや、父の前や、その周りからもそうあろうと努めていたのかもしれない。
『あなたも、子供を引き取ったと聞いた。今日は会えないのですか?』
父は明るく言い、わざとらしく部屋の中を見回した。その部屋はアレクセイの書斎だったが、子供はルカ1人しかいない。
『まだ教育中です。私の自慢の秘蔵っ子ですので、また次の機会にお目にかけましょう』
『ほぅ、秘蔵っ子···。楽しみですね』
アレクセイはどこか晴れやかな顔をしていた。彼らの会話の途切れるチャンスを、ルカは伺っていた。
『お父さん、ボク、外を散歩してきます。天気も良いですし···』
『おお、そうか。行っておいで』
2人の会話は、最初から予定されていた会話だった。アレクセイは特に違和感がなかったのか、自分が部屋から出ていくのを見ていた。
(さて、どこにいるのかな···)
ルカは廊下に出ると、廊下を歩く使用人達にも不自然のないように歩いた。窓の外を見たり、廊下にいないものか、探していた。
(あ···)
ルカは窓の外に、離れの建物の近くにいる人を見つけた。早る心を抑えつつも、やはり周りの使用人に悟られないよう、足早にルカはラザレフ邸から出ていき、窓から見えた人に歩み寄った。
『ね、ねぇ···!』
彼女は、離れの建物の近くでテーブルを広げ、本を読んでいた。テーブルには、お茶があり、何冊かの本を積み上げている。
『君、ラザレフのお子さん···?』
彼女は、父が教えてくれた情報通り、金髪に、碧眼の少女だった。自分よりも年下であろう小さな彼女は、不思議そうに目を瞬かせた。
『はい···?あなたは···?』
ルカは、彼女の態度から、まだ礼儀作法をちゃんと教わっていない子供なのだなとわかる。自分の姿から、ある程度の身分の子だということはわかるはずだ。
『ボクは、ルカ。君がラザレフの家に引き取られた子だろう?』
『···私は、リーシャと言います』
『よければ、ボクと少し話をしない?」
ルカは自身でも強引だと思いながら、リーシャと名乗った少女の隣に腰掛けた。
彼女は不思議そうにしていたが、拒むことはなかった。
幸い、近くにメイドもいなかった。自分たち2人だけで会話ができる絶好の機会である。
『どうしてこの家にいるの?』
『それは···私は孤児院で育って···頭が良いから跡継ぎにしたいって言われました』
『家では、こうして勉強ばかりなの?』
『そうですね。私は、そうしないと孤児院に逆戻りになってしまいますから』
ーールカは、話していて、彼女が哀れだと思ってしまった。
少女の肩は小さいが、重いものを大人から背負わされているようだった。彼女の全身は張り詰めており、常に緊張しているようだ。
(引き取られた子は、大変なんだな。何だか、辛そうだ···)
同情の目で彼女を見た。彼女自身は意識していないのだろうが、追い詰められるように勉強する様には、同情を禁じえない。
『普段、ずっと部屋に閉じ込められているのかい?誰にも会うこともなく』
『···閉じ込められているのは、あなたも一緒ではないのですか?』
リーシャは、首を傾げた。不思議そうな顔をして、自分の顔をじっと見つめる。
『···どういう意味?』
ルカには、彼女の言葉の意味がわからなかった。
自分は閉じ込められてなど、いない。自分を見て、そう思ったのだろうか。
『何故、ボクが?ボクは君と違って自由だよ』
『そうなのですか?他の貴族の子供も、私と同じように部屋に閉じこもって勉強しているものかと思いました』
――そういう意味か。リーシャは、貴族の子供とは部屋に閉じ込められて勉強をしているものと思っていたのか。
意味がわかり、ルカは安堵している自分に気が付いた。
(···なるほど、ボクは、彼女と同じなのかもしれない)
ルカは、隣に座る彼女の姿に、自身の姿を重ねた。先ほど憐れみの目を向けてしまっていたが、常に緊張に張り詰めている姿は、きっと自分と同じだ。
父の期待を裏切ることのないように、自分はそつなくこなすことを怠らなかった。
小さな少女の姿を憐れんでいた自分が、途端にルカは愚かしく思う。自分の影を見て笑っているかのような感覚だ。
(こんな小さな女の子が、自分と同じか···)
彼女もアレクセイに望まれるままに育つのだろうか。
『秘蔵っ子』という言葉には、アレクセイの欺瞞が詰め込まれているかのようだ。
(あ···)
ルカは、彼女の胸に輝く宝石を見つけてしまう。春のあたたかな光に照らされ、それはきらきらと輝いて見える。
それと似たものを、ルカは見たことがあった。
『それ···』
『ああ、これは···父がくれたのです』
リーシャは嬉しそうに微笑んだ。彼女は純粋に、父を慕っているのだろう。
アレクセイから貰ったということを自慢するような少女の笑みに、ルカはハッとするような衝撃を覚えた。
(そうか、そういうことか―――)
自分が知っている情報から、ピースが組み合わされ、ルカにはわかってしまった。
同時に、父が言った言葉の意味を理解し、ルカはどうしようもなく彼女が憐れになった。
ルカは小さな少女に対し、庇護欲をかきたてられる。
(どうか、この子が真実を知らないままいることができないか···)
頭を動かし、必死に考えた。
誰かに生活を脅かされることもないように、自分が彼女を守ることはできないだろうか。
(···そうか。閉じ込めたまま、ずっと···)
それは、暗い考えだった。
しかし、ルカにはそれしか方法がないように思った。
今のように、彼女を誰とも接触させなければ良い。そうしたら彼女はずっと安寧の日々を過ごせるのではないのだろうか。
リーシャ様、と離れの建物から声が聞こえてきた。恐らくメイドだろう。
席から立ち上がったルカを、リーシャは見上げた。
『もう、お帰りになるですか?』
リーシャは、寂しかったのだろう。
不安そうに自分を見上げる姿は、少女らしくて、可愛げがあった。不覚にもルカはきゅんとしたのを覚えている。
『うん、また来るね。···ボクがいたことは、内緒にしてね』
『は、はい?···わかりました』
メイドに見られることがないように、ルカはそそくさとラザレフ邸に戻ろうとした。
『必ず、迎えに来るよ』
ルカは笑みを浮かべ、彼女に告げた。彼女はぽかんとしていたが、自分は颯爽とラザレフ邸に戻っていく。丁度良く父もラザレフ邸から出てきた。
『ルカ、見つけたか』
声を潜め、父は自分に言った。
『いいえ、見つけることができませんでした。申し訳ございません』
自分はすぐに否定した。
初めて、父に嘘をついたのを覚えている。
(いつか、ボクが彼女を迎えに行くんだ······)
――リーシャへの淡い気持ちは、時が経つごとに成長していった。
自分の身体が大きくなるように、庇護欲は増幅し、彼女を閉じ込めたいという暗い想いも膨らんでいった。
ルカは朝食を食べるため、意気揚々と廊下を歩いていく。外は相変わらず雪景色だ。
(何も、滞りない)
リーシャは平穏な生活を過ごせていると、ルカは感じ取っていた。自分に対して疑心暗鬼になっているようではあるが、リーシャの思考が、自分に注目しているのなら上々と言うところだろう。
毎日彼女に会うことができるなんて、夢のようだーー。
(おや···?)
廊下を歩いていると、バタバタとしている使用人たちが目立つ。階段を降りていくと、エントランスホールには、エミールとガリーナが見えた。2人は神妙な面持ちだ。
ーーガリーナの隣に、リーシャの姿が見えないことで、嫌な予感が胸を過ぎる。
「エミールっ!ガリーナっ!」
ルカに名前を呼ばれ、2人は階段から歩いてくるルカに視線を移した。
「リーシャは、どこだい?···姿が、見えないよ?」
「ルカ様···っ」
ガリーナは胸に手をやり、言いづらそうに唇を噛む。彼女の仕草を見ることで、嫌な予感は確信に変わった。
「···いつ、いなくなったの···?」
「···申し訳ございません。3時間ほど前かと···。私が寝てしまった隙に···エミールのコートも取られて···」
「3時間?」
この吹雪の中で、リーシャは外にいるのだろうか。ゾッと血の気が引いた。
(こんな寒い中逃げようだなんて自殺行為だ。民家なんて周りにないのに)
幼かったリーシャを、思い出す。
どうしてそんな無茶ができるのだろう?ラザレフ邸にいた時は、閉じ込められていただけだったはずなのにーー。
「···ガリーナ、ボクのコートを取ってきて」
「は、はい。でも、ルカ様···使用人たちも彼女を探しております」
「ボクだって探すよ。3時間なら···そんなに遠くに行っていないだろう」
ルカは、決して声を荒らげなかった。
声を荒げている暇があるのなら、すぐさまリーシャを連れ戻したい一心だった。