第九十八話 由来(後編)
「戦闘時のペトラはペトラであって、ペトラではない……どういうこと? 焔」
総督の言った言葉が理解できなかったのか、ソラは不思議そうに焔を見つめる。だが、一方の焔も言葉の意味を吟味している途中だったようで、
「え? ちょ、ちょっと待てよ。戦闘時にペトラさんがペトラさんでなくなるっつーことは……つまりあれだろ? よく漫画やアニメでありがちな設定の……」
「二重人格」
「そう! それ……え?」
喉のすくそこまで出かかっていた言葉を口にしたのは茜音だった。
「おー! 私もそれ思ったネ!」
「フッ、ぼ…」
「ま、普通はそう考えるわよね」
皆の意見が一致したのを確認すると、総督はニッと笑い、
「二重人格……良い線をいっているが、少しニュアンスが違うな」
「あれ? 違うんですか?」
焔はもう二重人格が答えだろうと思っていたのか、総督の発言に素っ頓狂な声を出す。
「まあ、その豹変ぶりはほぼほぼ二重人格なんじゃないかと思うんだがな……実際はそうじゃない」
「じゃあ、どういう事なんですか?」
焔の質問に総督は少し困惑する。
「んー……何て言うんだろうな……これを言葉でどう説明するか……そうだな、例えば、普段はおとなしい子がイベント事になると、人が変わったように物凄く熱くなる……みたいな感じかな」
皆はこの説明にいまいちピンと来ていないようだったが、焔の頭の中にはある人物が浮かび上がっていた。
イベント事になると、物凄く熱くなる……あー、なるほどね。あの人はいつもテンションが高かったけど、イベント事となると引くほど熱くなってたなー。あ、そう言えば、イベント事じゃねえけど、綾香も小説のこととなると熱くなったな。
―――「くしゅんっ!」
「大丈夫、綾香? 風邪?」
キャンパス内を一緒に歩いていた絹子が心配そうに綾香の顔を見る。
「うーん、大丈夫。なんだろう? 季節の変わり目だからかな?」
一方、別の場所では、
「ばっくしょいッ!!」
「どうしたの!? 会長ちゃん!? 風邪!? 花粉症!?」
友達とともにキャンパス内を移動していた元会長、鈴音は大きなくしゃみで、周りを驚かせる。
「い、いや、ズズーッ!! これはあれだな! あいつが私のことを考えているからだな!」
「あ、あいつ?」
「ハハハッ! 仕方ない、今日電話でもしてやるか! は、は、はっ!……ばっ!……くしょいッ!!」
「ちょっ! 大丈夫!? 鼻水凄いことになってるよ!」
ただの花粉症でした。
―――「はっくしょんっ!」
「ん? どうした? 風邪でも引いたか、焔?」
「い、いえ(でも、なんかさっき物凄い寒気がしたような)」
焔は仕切り直すように首を振ると、
「つ、つまるところ総督の言ってたことって、要は物凄くテンションが上がるってことですよね」
「テンションが上がる……まあ、それが一番近いか。そうだな! つまり武器を持ったペトラは人が変わってしまうぐらいにテンションが上がると言うことだ」
「ちょっと待ってよ! 総督! それだと私が戦闘を楽しんでるみたいじゃない!!」
総督の説明に後ろからペトラが大声で反論する。
「いや、まあ実際そう見えるんだから仕方ないだろう。アムー戦では、小さい体で狂ったような笑い声を上げながら巨大なハンマーで次々と死の軍団をつぶしていった。その禍々しい姿から狂姫と呼ばれ、その姿を見たものは死の軍団よりも怖かったとかなんとか」
「えー!! そんなに怖かったかな? その人たち大げさなんじゃない?」
そうペトラは文句を垂れるが、総督を含め教官たちは皆心の中では『いや、めっちゃ怖いわ!』とひそかにツッコんでいた。だが、それはペトラのことを知っているからこそ思えることで、何も知らない焔たちは未だに信じられないような表情でペトラのことを見ていた。
えー、マジでこの人が狂姫とか呼ばれてんの? ウソ―?
焔は苦笑いを浮かべながら、ペトラのことを見ていた。その視線に気づいた総督は意地悪い笑みをこぼす。
「おい、焔……お前この話信じてないな?」
いきなり、本心を見抜かれた焔は一瞬びくりと動揺する。だが、ここで嘘をついてもどうせバレると思い、
「えー……まあ」
「よし、それじゃあ、腕相撲だな」
「は?」
いきなり、腕相撲というまったく関係のない単語が出てきて焔は素で驚く。
「まあ、正直ハンマーか何か振り回せるものでも渡せば、すぐにでも証明はできるんだが……こんな狭いところでそんなもの持たせたら大変なことになるからなー」
「ちょ、総督! 私そんなことっ!……しない……と……思うよ?」
段々と声量が弱くなっていくペトラ、終いには疑問形になり、焔たちの顔が引きつる。
「と、まあそういうことでペトラには武器は持たせられん。だが、素のペトラも十分に強いからな。これで少しは信じてもらえるだろう」
「は、はあ。そういうことなら……」
焔は総督の提案に乗り、ペトラと腕相撲することになった。焔、ペトラの2人は真ん中の机に移動し、手前の焔側にソラ、リンリン、サイモン、コーネリア、そして奥のペトラ側に総督を含めた教官たち、審判役として指名された茜音が焔とペトラの横に立っているという構図になった。
「腕相撲なんてすっごく久しぶりだー。お手柔らかに頼むね! 焔!」
「え、ええ、こちらこそ」
実際にペトラと対峙し、ますます焔の不振度は上がっていく。本当にこんな人がハンマーをぶんぶん振り回せるのか、と。
ペトラは右手を差し出したので、焔も同様に利き手である右手を差し出し、互いに手を握り合い、いつでも腕相撲ができるような状態にする。その様子を焔陣営は緊張感を出しながら、ペトラ陣営はどんな勝負になるのかと楽しみにしているような感じで、それぞれ見守る。
茜音は緊張した面持ちで焔とペトラの2人が互いを見つめ合っていることを確認すると、総督に一度アイコンタクトを送り、
「それでは始めます。腕相撲……よーい……スタート!!」
そう言って、茜音は勢いよく腕を上げた。その瞬間、一瞬だけ対戦机がガタっと動いた。だが、それ以降2人は時が止まったかのように動きが止まる。
しばらくの沈黙にサイモンたちは不思議に思ったのか、更に食い入るように見つめる。だが、そんなとき、ペトラが顔を上げた。
「うーん……焔つよーい!」
と、ペトラは気張った顔でそう言ったが、その顔や言動は明らかに女子が『私、こんなペットボトルのキャップも明けられない非力な女子なんです~』と主張しているような、全然本気で気張っているような感じではなかった。いや、実際は本気なんだろうが、全然そんな感じには見えなかった。
「ねえねえ、コーネリアちゃん……あの人本当に強いのカ?」
その姿を見て、リンリンはコーネリアの耳元でそっと呟く。コーネリアも小声で返す。
「そうねー。あの感じだとそうは見えないわよね」
「てことはさ、あれって焔がわざと勝たないようにしてるのカ?」
「んー……」
「これはあれだな。ペトラ姉さんが弱すぎて、レンジは戸惑ってるんだろう。勝つべきなのか、負けるべきなのか」
コーネリアとリンリンの話にすかさずサイモンも混ざり、持論を展開する。2人もその考えに同調したのか納得したようにうなずき、再び試合に意識を向ける。だが、ある不可解なことに3人は気付いた。
それは教官たちが試合を見ながら、笑いをこらえていることだった。いや、正確にはシン以外は笑いをこらえていた。シンは1人普通に笑っていた。
「え? 何で、総督たちは笑ってるカ?」
「何でだろう? でも、あっちから見えてるのって焔の顔よね? てことは……」
3人は示し合わせたように同時に焔の背中に視線を移す。よく見ると、焔の体が小刻みに震えていることに気づく。そして、次に一番2人の様子を見ることが出来る茜音に視線を移す。
茜音は笑ってはいなかった。だが、物凄く唖然とした様子で焔の顔をガン見していた。3人はただ事ではないと思ったのか、すぐに焔の顔を確認できる場所に移ると、実際に焔の顔を確認した。そして、3人は自分たちの考えを一瞬で改める。
(あ……この人めっちゃ強いですやん)
ペトラとは対照的に、ありえないほどぶっさいくな顔で何とか負けじと踏ん張っている、今まで何かとクールを決め込んでいた姿とはかけ離れた本気の焔の姿が3人の目には映ったのだった。
「ぐぬぬぬぬぬっ!!」