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滅びゆく世界で、《過去編》

 「……は? 」

 俺の口から出た言葉はそれだけだった。心が強く揺さぶられ今にも胃から酸が込み上げてきそうだ。

 「ごめん、ごめん。お前の母さんと父さんを死なせてしまって。何もできなくて、ごめん」

 こいつは何も悪くない。悪くないはずなのに、俺はシルリアを責めた。包帯の巻かれた部分からぼたぼたと血を流しながら俺は彼を罵倒した。お前の所為だとか、お前さえいなければ、とかお前が強ければ、とかさんざん罵った挙句俺は大声で泣いた。

 虚しくて苦しくて寂しくて弱くて辛くて怖くて切なくて悲しくて痛くて――

 この時は俺の心の歯車が狂っていた。

                  ***

 のちにこの国はウイルスで汚染されていることが分かった。政府は地球破壊ウイルスNが見つかったとして国家緊急事態警報をだしたとか。

 だが、もうすでに遅かった。人類は滅亡寸前だったのだ。ウイルスにより生き物の約二分の一が滅び街は死体とウイルスの海。到底人間が出歩けるような状態ではなかった。

 雨は未だ止まない。激しく打ち付ける雨を眺める中でふと男の言葉を思い出した。

 ――私たちは晴た空をもう一度見ることができるだろうか

 今になると何となく言葉の意味が分かるかもしれない。雨が止まぬまま人類は滅び地球は崩壊するのではないだろうか、いやもういっそのこと死にたい死んでやりたい。まて、もしかしたらこの傷も自分でやったのではないだろうか。俺は厚く巻かれた包帯を触り思い込む。

 「ニヒル。何、しようとしてるの? 」

 今にも死にそうな俺にシルリアは優しく話しかけた。だが、俺は顔を伏せる。

 「すまねぇ。さっきは」

 俺は唇をぎゅっと噛む。正気に戻った俺は自分を責めていた。俺なんかよりこいつのほうが辛いはずなのに、怖いはずなのにそれなのに俺はこいつに八つ当たりした。謝って許されるようなことじゃない。

 「そのことならもう忘れよう。辛かったよね、いいんだよ僕を頼って」

 その言葉が逆に俺を苦しめた。こいつのほうが何倍も苦しんだはずなのに無理やり笑顔を作っている。

 だって――

 「お前こそ、俺に頼れよ」

 彼の両親はこのウイルスで行方不明になったのだから。

 死体が見つからない、ということがどれだけ辛いことか俺には分からない。だが愛する人の死に顔も見れないという悲しさは計り知れないほど大きいだろう。それに行方不明とはどういうことだ? なぜウイルスで行方が分からなくなる? 政府は一体何をしているんだ? 俺はいき場のない強い憎悪を抱いた。

 「僕のことなんかどうでもいいよ。ほら、また傷口開いちゃうから横になっていなよ」

 シルリアは俺の肩を掴むと体育館内のベットへ連れて行こうとした。だが俺はその手を振り払う。

 「辛いなら、辛いなら泣けよ! 泣いて俺を頼れ」

 本当に、俺はずるいと思う。さんざんシルリアに八つ当たりした挙句シルリアに頼ってほしいなど自分勝手にもほどがあると思う。だがいつまでも守られている側にはいられない。俺はシルリアの目を息を凝らすようにじっと見つめていた。

 「シルリア」

 俺が彼の名前を呼ぶとシルリアは群青色の瞳いっぱいに涙を浮かべた。我慢していたものが体からすべて放出されるようにシルリアは俺に泣きついた。まるで赤ん坊のような姿に俺は少し嬉しくなった。

 「父さん、母さん。嫌だよ、どこいったんだよ」

 そうだ、彼は強くなんかない。本当は俺なんかよりもか弱くて守られなければならない存在なんだ。俺の胸で泣くシルリアの背中を撫でると俺は決心したように顔を上げた。

 「俺が、俺がシルリアをこの世界を守る」

 もう誰かに頼るのはおしまいだ。必ず俺がシルリアの両親を見つけ出す! 

 眉に思い入った決心の色を浮かべ、拳をぎゅっと握る。最後に意を決したような声で得体のしれないあの男に言ってやった。

 「晴れない空はない」

 と――



 


  《西暦2300年、ニヒル歳13》

 「シルリア、パン持ってきたぞ」

 俺が体育館内にある食料給付所からコッペパン二つと牛乳二瓶を持ってくるとシルリアは嬉しそうに顔をほころばせた。

 「ありがとうニヒル。あーお腹空いたっ! さっ早く食べよう」

 シリアスの腹が情けない音を鳴らす。俺も昨朝から何も口にしていないために腹が減って気がおかしくなりそうだ。さっそく二人で固い地べたに座りパンを頬張る。

 「うっ、今日も相変わらず不味いな……」
 「こらニヒル。贅沢言っちゃだめだよ」

 目を瞑って食べ物を飲み込む俺にシリアスが優しいゲンコツを炸裂させる。いつまで経っても不味いものは不味い。それに比べてこいつといったら文句ひとつ言わずパンを貪っている。シリアスが食べるとどんな料理でも美味しそうに見えるのが不思議だ。

 「……今日で1年目か」
 「ん? 」

 シリアスは独り言ともいえる口調でぽつりと呟く。唐突な発言に俺は困惑したが近くにあったシリアス特製カレンダーを見て言葉の意味を理解する。

 「……ああ、早いな」

 2996年6月6日、この世界が終わりを告げた日。それから一年が経過した2997年6月6日、それが今日だ。

 瞬く間に時は過ぎ気づけばもう雨は止んでいた。ほらな言っただろ黒ずくめのおっさん、止まない雨はないってな。

 ……だが、おかしなことに空はあれから一度も晴れたことはない。

 これも何かウイルスと関係があるのだろうか、だとしたらそれは――

 今にも泣きだしそうな空を睨む俺にシルリアはパンを差し出した。

 「これ、あげるよ。あれだけじゃ足りないでしょ? 」

 パンは毎食一人一個ずつ渡される。もちろん育ち盛りの俺達にはパン一切れなど満ち足りない。それなのにこいつはパンを半分も差し出してくれたのだ。そんなに俺は物足りなさそうな顔をしていたのだろうか。少し恥ずかしくなって苦い笑みを口元に浮かべた。

 「い、いい。お前が食べろよ」
 「いいの。今日はせっかくの一年記念日なんだからお祝いに」

 ”一念記念日”その言葉に俺はピクリと眉をひそめた。俺は差し出すパンを振り払うと激した。

 「なんだよ、なんだよ一年記念日って! 記念? お祝い? 人が死んだことがそんなにめでたいのか? なあ! 」

 周囲にいた人は皆こちらを怪訝そうに見つめる。中にはガキ同士のくだらない喧嘩だと笑う者もいた。

 一方でシルリアは視線だけを真横にずらし悄然として俯いている。はぁ、はぁと息を切らす俺は数分後我に返った。また感情的になってしまっていたのか、額に手を当てると顔をしかめその場に座り込む。シルリアになんて声を掛けようか……俺は罪悪感と後ろめたさで胸が一杯いっぱいだった。

 「っニヒル……。さっきはごめん。不謹慎だったね。言葉選びには充分注意するよ」

 沈黙を切り裂くようにシルリアが俺に背を向け謝った。またこいつに俺は謝らせてしまっている。本当に、情けない。

 「お前は悪くねぇ。ちょっとのことで感情的になる俺の心の器の狭さが問題だ。本当にごめん」
 「……生き残れただけでも凄いと思わないか? 」

 突然話を転じたシルリアに俺は少し当惑した。が、シルリアは話を続ける。

 「この世界滅亡ウイルスNで数千万いやそれ以上の人が亡くなった。それなのに僕たちは生きているんだ数千万分のもの命の上に立っているんだ。それって奇跡だと思わないか? 君だってあの時僕がいなければ死んでいたかもしれない。君だって……」

 そこでシルリアの話は終わった。確かにシルリアの言っていることは間違っていない。とても納得できる。ただシルリアがいなければ俺は死んでいた、というのがどうも腑に落ちない。あの時俺は汚染された町でなぜシルリアに助けてもらったと言うんだ。俺より弱いこいつに。

 「俺、シルリアに助けて貰ったのか? ってかあの日あの時何があったんだよ」

 ここは単刀直入に。ずばっと。するとシルリアは一瞬言うのをためらいつつも静かに口を開いた。

 「包み隠さず話すよ。あの時、僕は君の家に向かうつもりだったんだ。サッカーに誘うつもりで。だけど君の家の目の前に着いたとき突如警報が鳴った。最初の音が『ア』だったら弾道ミサイル情報や特殊部隊による攻撃、『イ』だったら大規模火災や地震、津波。そして今回流れたのはその三つ目『ウ』の音。ウは化学剤、生物剤、核物質が用いられた場合。学校でそう教わっただろう? 」

 んー、何が何だかさっぱり分からん。自分の無知さに恥ずかしくなった俺は続けて、とそんなの当然のことだよ風に格好つけて言った。

 「『ア』の音が聞こえたら屋外にいる場合、口と鼻をハンカチで覆い現場から直ちに離れて密閉性の高い屋内の部屋または風上に避難。『イ』の音が聞こえた場合は頑丈な靴、長ズボン、長袖シャツ、帽子などを着用し、非常持ち出し品を持参して行政機関からの指示に従い直ちに避難。『ウ』の音が聞こえたら口と鼻をハンカチで覆いその場から直ちに離れて外気から密閉性の高い屋内の部屋または感染のおそれのない安全な地域に避難」

 なんだか難しそうな内容に俺は苦虫を嚙み潰したような顔を作る。ま、とにかくそういう対処をしなきゃいけないってことだろ。で、続きは?

 「今回は『ウ』だったから僕は学校で教わった通りの行動をした。偶然近くにあった高台に登ってNHSPの助けを待っていたんだ」
 「え、えぬえいちえすぴー? 」

日本に来て間もない西洋人かのように片言な発音になってしまった。だが、本当に謎だ。なんだそのえ、えぬ……

 「NHSP! 学校で教わったじゃないか」

 シルリアは俺の心を見透かしたかのように呆れ顔でぴしゃりと言った。

 「あ、ああ教わったよな~」

 口先だけで本当はどれだけ俺の記憶を辿ってもそんなものどこにもなかった。シルリアは呆れ気味の吐息を洩らすとそれについて最初から説明してくれた。

 「NHSP正式名称は『国家保険特殊保護軍』簡単に言えば世界の健康を保つため直接及び間接の侵略に対するウイルスからの防衛またウイルス殲滅を行うことを主任務にした特別行政機関」

 「ふーん、まぁなんか俺たちを守るかっこいい軍隊なんだなっ! 」

 憧れるように目をキラキラと光らせる俺をシルリアは若干引き気味で見つめる。

 「ま、まあそういうことだよ。でそのNHSPの人たちが僕のことを見つけて助けに来てくれたんだ。幼い生存者が確認されたということだけあって軍内は騒然としていたよ。それで僕はガスマスクとゴーグル、ウイルス防御服を装着し君の所へ向かったんだ」
 「俺のところに? 」
 「そ、君ったら玄関のドアも開けっ放しだったから家の中にすんなり入れちゃって。それで……」
 「そ、それで……」

 俺はゴクリと生唾を飲み込む。何を言われるのだろうか……? 二人の間に重々しい沈黙が流れる。

 「腹に包丁が刺さった君を見つけたんだ」

 ――は?

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