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青年は漂着してからを軽く振り返る

 青年はカリッと音を立てて木の枝のような物を食べる。
 現在地は町近くの森の中を少し奥に進んだ場所。食べているのは木の枝のようなではなく、まんま木の枝。しかし、この木の枝は表皮さえ剥いてしまえばそのまま食べても問題なく、味は炒った木の実のような香ばしい味をしているので結構おいしい。
 栄養もそこそこあるが、難点は硬い事。親指ほどの太さしかないのだが、子供では噛みきれないかもしれないぐらいには硬い。それも煮込めば柔らかくなるが、柔らかくなると炒った木の実のような味が、熟し過ぎた果実のような味に変化するので好みが分かれる。
 青年はそれをそのまま食べるのを好んでいた。顎は丈夫なので、硬さはなんてことはない。むしろその歯ごたえが癖になるほど。
 そんな木の枝を食べながら、青年は周囲に目を向ける。
 周囲には、重厚そうな鎧を身に付けた男や軽装備に弓を担いだ女、それとほぼ黒色の藍色のローブを着た長い杖を持った女の三人が同じ木の枝を食べながら歓談している。
 ここに剣を携えた男と斧を持った男が加わるのだが、二人は周囲の偵察に出ていてここには居ない。その五人で元の世界ではパーティーを組んでいたらしく、連携も問題ない。
 青年も元の世界で似たような仕事をしていたが、青年が居た世界と五人が居た世界は違う。この世界に来て初めて出会ったのだ。
(ここに来てどれぐらいになるか)
 青年はゆっくりと木の枝を味わいながら、この世界に来てからを思い出す。といっても、まだ数年ぐらいなのでそう多くはない。
(今回はもう少し先に進んで帰るだけだが……それにしても、ここの世界の魔物は強すぎるな)
 この世界――ハードゥスというらしい――に流れ着いた後、青年は情報を集めながら周囲の森を散策した。情報収集と言っても住民は少なかったし、森の情報は浅い部分のものしかなかった。
 しかし、メイマネという居住区画を管理している者はとても博識で、青年は周囲の事を教えてもらった。このメイマネが、この世界の神の従神のような存在だったと青年が知ったのは、それから少し後になる。
 それは、あまり深い場所に行くのは無理だと言われ、実力を示すために手合わせしたが手も足も出なかった。そして、やっとメイマネの正体を知る。
 その後はメイマネの忠告通りに行動したのだが、メイマネの言葉が事実だったと知るのにそう時間は掛からなかった。
(なんで魔狼があそこまで強いんだ?)
 青年の居た世界にも魔物化した狼は存在していた。種類は多かったが、それでも初級・中級・上級と分かれている冒険者の中で中級冒険者と言われる冒険者ぐらいまでの敵であったので、上級冒険者と呼ばれていた青年であれば、多少群れていても敵にもならない雑魚扱いの部類。
 だというのに、ここの魔狼は一匹倒すのも命懸けというありさま。青年の力が落ちたというわけではなく、むしろ調子がいいというのにその有様だった。
 幸いというか、青年が足を踏み入れた辺りでは、れいにより魔狼は一匹~三匹でしか行動を許されていないので、大事にはならなかった。いや、二匹ならまだしも、三匹で来られていたら危うかったが。
 それだけではない。更に浅い部分に生息している魔蟲も異様に強い。余程の大軍でなければ青年の敵にはならないが、それでも青年が居た世界では初級冒険者、その中でも駆けだしと言われる者達が狩っていたような存在が、ここでは中級冒険者相当の実力が必要だとなるなど悪夢でしかないだろう。
 現在青年と行動を共にしているパーティーもここに来てから似たような感想を抱いたようで、今では六人で協力して森に入っている。ちなみに、個人の能力であれば、六人の中では青年が頭一つ分ほど上であった。
 たまにここに住民のまとめ役の男性、青年にとっての義兄と、その妹で青年の妻に当たる者が加わるが、それでももう少し踏み入れるだけで何とかというレベル。
 八人での連携は訓練場でメイマネに鍛えられているので問題ないはずなのだが、現在居るところからもう少し奥に踏み込むと、魔猪と魔熊と呼ばれる存在が現れて一気に厳しくなる。
 メイマネに聞いた話だと、その更に先に地下迷宮への入り口があるらしい。その地下迷宮の最奥には、元の世界に帰れる門が設置されているのだとか。
 地下迷宮というものは青年の居た世界でも存在していたが、問題は、ここの地下迷宮は一層目から青年達が苦戦する魔熊と同程度かやや下ぐらいの魔物が隊列を組んで現れるらしいという事だろう。加えて恐ろしく広いらしく、迷わず普通に歩いていくだけでも一週間前後は掛かるらしい。
 それを聞いて、青年は何の冗談だと思ったが、現実はあまりにも厳しい。最下層に至っては、メイマネでも踏破は大変なのだとか。勝てないわけではないらしいが、短期間での連戦が長く続くと厳しいという話だった。
 つまり、いくら帰還の方法があろうとも、元の世界に戻るのは不可能という事になる。青年としても家族の出来たこの世界に不満があるわけではないので問題は無いが。
 一緒に行動しているパーティーも似たようなものだ。自給自足の面が強いとはいえ、衣食住が揃っているので不便はない。それに、このパーティーは全員れい教の信者だ。
 何でも、最初の頃に五人で森の中に入った時に助けられたらしく、その時の圧倒的なまでの強さに魅了されたらしい。
(まぁ、強さを信奉するのは解りやすいが)
 青年としてもその信仰を否定するつもりはないが、青年からすると、れいはあまりにも恐ろしい存在だった。
(あれを見ると、深淵でも覗いている気分になってくる)
 それほどまでに恐ろしい存在であるだけに、畏怖こそすれ、崇めるという気分になれなかった。青年にとってれいは、地に伏して過ぎるのをジッと待つような存在。
 正直、今でも青年は流れ着いた直後の事を思い出すと、突然のことで余裕がなさ過ぎたとはいえ、その度に血の気が引く思いをしている。
 そんな事を考えていると、周囲の偵察に出ていた二人が戻てくる。どうやら少し先に魔猪が一頭で食事をしているところらしい。周囲には他に何も居ないらしいので、それであればそれを狩って帰るとしようかと、全員さっさと準備を済ませて移動を開始する。
 居住区画の住民の数はまだ多くは無いので、その一頭だけでも十分すぎる肉の量であった。
(そういえば、最近女性が一人増えたらしいな)
 青年は話を聞いただけではあるが、どうやら流れ着いたのではなく、メイマネの補佐として派遣されてきたらしい。移動の最中、青年はふとそんな話を思い出したのだった。

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