北の森にて2
その屋敷の玄関扉の横には四角いボタンが取り付けられている。それは元の世界で魔導具と呼ばれる道具らしく、ボタンを押せば来訪を告げるベルが室内に響き渡るらしい。
ハードゥスに漂着した当初は、ハードゥスに動力となる特殊な力が無かったために機能していなかったが、今ではれいが特殊な力を漂着物を集めた一角に散布して満たしたので、問題なく機能するようになった。
こういった道具は他にも幾つも漂着しているので、それらも今は機能している事だろう。大半は起動させなければいけないのだろうが。
魔導具を押してベルを鳴らすと、少しして玄関扉が開く。屋敷の中から現れたのは、幼い顔立ちの背の高い女性。
「これはこれはれい様! お呼びいただければこちらから伺いましたのに!」
少女のような明るい声音を驚愕と歓喜に染めながら、女性は半歩後ろに退いて、やや大げさな手振りで屋敷の中へとれいを誘う。
彼女の名前はフォレナーレ。れいが管理する世界の言葉で、森を歩く者という意味がある。今では雪山も管轄範囲だが、元々は森の管理だけを任せるつもりだったのだ。
しかし、広大な雪山の麓に広がる森はそれ以上に広大で、雪山周辺なので管理する場所が長くなりすぎるという事で、雪山と森を足した場所をフォレナーレと、もう一人フォレナルという管理補佐で半分ずつに分割して管理する事にしたのだ。
同じ場所を分割管理するのならばと、れいは思いつきでフォレナーレとフォレナルは双子という設定にしたのだった。同じ親から同時に生まれた存在が双子だと呼称するのならば、フォレナーレとフォレナルが双子だと言っても間違ってはいないだろう。
同時に生まれた管理補佐はまだまだ居るが、それはそれである。フォレナーレとフォレナルは容姿も似せているので、問題はないだろう。
屋敷の中は広かった。屋敷自体が大きいのだが、その広さに反して部屋数が少なく、その分空間を広々と取っている造りのようだ。
れいはフォレナーレに案内されるがままに、大きなソファーと机が中央にどんと置かれた場所に通される。そのおかげでそこは応接室のようにも見えるが、間取り的にはおそらく居間として設計されたのだろう。どうでもいい話ではあるが。
れいが促されるままにソファーに腰掛けると、フォレナーレは直ぐに居間と続いている台所へと飲み物を取りに行く。
何か急ぎの用事がある訳でもないので、れいは黙って相手の準備が整うのを待った。
程なくして、フォレナーレが薄い赤色の冷えた飲み物と、親指の先ほどの大きさのクッキーが乗った皿をれいの前に置く。
「これは採ってきた森の恵みで私が作った物です。どうぞ、お召し上がりください!!」
よほどれいに食べてもらいたいのか、フォレナーレは向かい側に座るでもなく、れいの前に飲み物とお菓子を並べた後に勢い込んでそう説明する。
れいに食事は不要だが、かといって食事が出来ないわけではないので、フォレナーレのその熱意に押されるように、れいはまずは薄い赤色の飲み物に口を付ける。
薄い赤色の飲み物は甘酸っぱい味だが、やや甘みが強い。しかし、酸味はくどくなく爽やかな飲み心地であった。冷えていたのは森周辺の現在の気候が温暖だからというのもあるのだろうが、おそらく常温だと甘味が強すぎるのかもしれないとれいは思った。
飲み物を飲んだ後は、クッキーの方に手を伸ばす。表面がゴツゴツしているクッキーだが、一つ一つは小さなクッキーなので食べやすそうだ。
一つを口に入れる。少々噛み応えのある堅さではあるが、食べられないほどではない。
おそらく木の実を潰して作ったのであろうそのクッキーは、ぼそぼそとしていてやや苦味があるも、中に何かの果実が混ぜ合わされているようで、後味はほんのりと甘い。
それにクッキーにやや苦味があるだけに、甘味のある飲み物との相性はよかった。
「どうでしたか!?」
クッキーを食べ終えたれいに、緊張してますと顔に書いてあるような表情でフォレナーレが問い掛ける。
その問いにれいは飲み物を一口飲んで少し間を空けると、乏しい表情を精一杯動かして、あるかないかの微笑みを浮かべて「美味しいですよ」と返す。
れいの答えに、フォレナーレは涙を流して歓喜する。
それに対して、れいは何事もないようにクッキーを手に取った。フォレナーレとフォレナルはれいに対してのみリアクションが過剰なので、これはれいにとってはいつものこと。そんな設定はしていないのにな、とは毎回心の中で思ってはいるが。
しばらくしてフォレナーレが落ち着いたところで、れいは向かい側のソファーを、間違いようのないほどにはっきりと言葉にして勧める。ここはフォレナーレの家で、今は私的な時間なのだが、れいと二人きりだと勧められない限りフォレナーレは絶対に座ろうとしない。
それに、わざわざソファーに座る事を指定した言葉をはっきりと声に出して勧めなければ、フォレナーレは向かい側の床に嬉々として座ってしまう。フォレナーレとフォレナルは他の管理補佐と比べても、れいへの崇拝が強すぎるきらいがあった。この辺りも最初は結構苦労したもの。
例えば、れいは背がやや低めなのに対して、フォレナーレとフォレナルは背が高いので、最初の頃はれいが居るところでは視線を下げるために常に膝たちで猫背気味に頭を少し俯けていた。
そこまでしなくていいと説得するのに非常に時間が掛かったものだ。二人の身体がれいが創造したモノでなければ、背を低くするために脚の半ばから切り落としていた可能性すらあったほど。
この家だって最初はこんなソファーではなく、れい用に作った、玉座すら生ぬるいと言わんばかりに立派で豪奢な椅子を、家の中に高い壇まで作って設置しようとしていたほどだ。これもまた止めさせるのにかなり苦労したものだった。
そういった行動を一つ一つ矯正していって、最近やっとここまで矯正したのだが、まだまだ苦労するのだろう。
れいが設定したはずの無い性格なのだが、これはこれで個性という事でれいは受け入れていた。流石にやりすぎの部分は矯正するが。……双子という設定は止めた方がよかったかもしれないとは少し思っているようだが。
そもそもれいは、自身を崇拝する事を望んだことなど一度も無い。というよりも、与えた知識の中でそれに該当しそうなモノといえば、れいがフォレナーレ達を創造したという部分ぐらいではなかろうか。後はそれぞれの役割と必要そうな知識を与えただけなのだから。
では自分の時はどうだったかとれいは思い出す。れいとフォレナーレの立場は、創造主とれいの立場と同じだ。しかし、思い出してみても、れいが創造主に対して親近感というか親愛というかそういったモノを抱いたのは最初の僅かな期間だけだった気がする。それも見守られているという感覚だけだった。結局それは勘違いだったわけだが。
れい自身の経験から考えると、創造主に対する想いなどその程度である。なので、明らかにそれ以上の感覚を持っているフォレナーレとフォレナルについては理解が難しかった。
そんな疑問を抱きつつも、れいはここに来た目的を果たすためにフォレナーレに管理状況について聞いていく。
今のところそれほど生き物は居ないので、報告することも少ない。なので、報告は直ぐに終わった。
残すとそれはそれで面倒なので、出された飲み物とクッキーを食べ終えると、れいは屋敷を出る。
非常に残念そうなフォレナーレに玄関先まで見送られ、れいは最後にフォレナーレに引き続きの管理を任せた後、屋敷を離れた。しかし、まだそこまで森を見て回っていないので、そのままもう少し森を見て回る事にした。