冒険への旅立ち
冬樹は地面に落ちた黒い物質を見て、意気消沈していた。自分の毛が落ちた悲しみもさることながら、丸刈りにされてしまったことによる精神的ダメージは大きかった。
親父は怪訝そうな表情でこちらを見ていた。丸刈りにしたことへの罪悪感はどこにも感じられなかった。
「20年以上もこの世界で生きてきたにしては、知らないことが多すぎる。一体何者なんだよ」
冬樹は正直に伝えた。信じてもらえるかはわからないけど、一生懸命な姿を見せた。1パーセントでいいから、確率をあげたかった。
親父は顎に手を当ててうーんと唸った。
「そうか。200年後にワープしてしまったのか。そりゃあ災難だったな」
災難の一言で片づけられるとは。人生ってこんなにちっぽけなものだったっけ。他人ごとともなるとこんなものだよな。
「天皇が神になってからの30年の歴史ついて書いてあるから、よく目を通しておくように」
冬樹は書物を広げた。そこには2190年からの出来事が記されていた。
2190年、天皇を神とみなすことが決定。同時に国会は消滅し、権限は全て神様に委ねられることとなった。神の独壇場の歴史が幕を開けた。
2191年、世界で鶏ウイルスが流行。鶏の98パーセントが死滅し、卵、鶏肉の価格が高騰。最も高価な食品に仲間入り。
2192年、性別をわかりやすくするために、男性の髪の毛は3センチ未満、女性の髪の毛は50センチ以上にすることが決定。違反したものは問答無用で処刑されることとなった。
2193年、地上から車が消滅。神は乗り物の存在を消すために、一般庶民の記憶を一部操作した。
2193年、少子化対策として一夫多妻制、多夫一妻制、多夫多妻制を導入。出産する環境づくりを整えた。30までに結婚できない場合、死刑とする制度も同時に確立され、少子化対策に協力しない人間は闇に葬られることとなった。
2194年、神が朝礼を開始する。国民は朝、昼、晩の三回、頭を下げるようになった。
2195年、庶民は危害を及ぼす道具の所持を禁止。家庭から包丁だけでなく、糸なども姿を消すこととなった。
2196年、天皇への不敬罪で、10万人もの人間が南極へとワープさせられる。数百人がみせしめとして、国内で氷漬けの状態で発見された。
2197年、高齢者を使って他国との戦争を開始することを決定。戦闘能力の低い老人に地雷を持たせて、敵軍に突っ込ませた。日本人であることの証拠を残さないよう、特攻隊の骨などを瞬時に消去した。他国の人間の記憶も一部をいじくることで、事件をもみ消した。
2198年、世界一であるアメリカで疫病が流行り、90パーセントの命を失うこととなった。ウイルスは神が目に見えない形で散布した。
2199年、アメリカの弱体化を歓迎した忠告は世界征服をたくらむも失敗。世界から消されることとなった。とどめを刺したのは神である。
2200年、神による国民監視のため、全ての家庭に監視カメラの設置が義務付けられる。
2201年、神がロシアを一人で攻撃。北方領土を取り戻すことに成功した。ついでにロシアの領土の30パーセントを自国領とする。
2202年、日本領土となったロシア人を完全排除。自国領となった地域には、日本人が住居を構えるようになった。
2205年、天皇の洗脳が始まり、人間はロボットさながらの感情を持たない生き物となった。
2207年、日本から沖縄がなくなった。
2208年、一般庶民の給料の8割を吸い上げるシステムを構築。地上の人間は苦しい生活を余儀なくされた。
2210年、庶民は一日一食という制限を課される。違反した場合は監獄送り。
2212年、神が遊び感覚で九州地方に爆弾を落とす。備えをしていなかったため、多くの人間が命を落とした。
2213年、60歳以上の人間の8割を北極に移動させた。全員が命を落とすこととなった。
2215年、一般庶民の年間365日労働を独断で採用。地上の人間から休みがなくなった。
2217年、奴隷制を採用。一部の人間を奴隷として監禁することになった。
2219年、天皇は自分に年を取らない、永久的に死なない呪文をかける。不死身の身体を手に入れることに成功。
完全にやりたい放題だな。神とは名ばかりの悪魔ではないか。一人の人間に権力が集中すると、ろくなことにならないという典型例だ。
親父に書物を返却しようとすると、いつの間にか消えてなくなっていた。先ほどまでここにいただけに、透明人間になってしまったかのようだった。
「親父、どこにいったんだよ」
親父を探していると、ウサギのぬいぐるみが声を発した。
「先ほどの人物は幻です。あなたにこの世界をわかってもらうために、特別に登場してもらいました」
心臓の毛が全部抜け落ちるような衝撃を受けた。ぬいぐるみから声をかけられるとは思っていなかった。
「神の独裁は目に余るものがあります。卵アレルギーであるため、この世から消してしまいました。車などの乗り物が地上から消え去ったのも、一人の仕業です。庶民の足を奪うことで、自由な行き来をできなくしました」
自分だけはワープ能力をつけて、やりたい放題ということか。悪魔ならやりかねない所業だ。
「あなたにはPRG形式で神を倒していただきます。レベル1から始まり、敵を倒すごとにレベルアップしていくこととなります。最高レベルに制限はなく、いくらでもあげることが可能です」
英雄になれということか。正直な話、興味をまったくそそられなかった。
女神は話も聞いていないのに、一方的に話を続ける。一時的でいいから、鼓膜の機能を失っていればいいのにと思った。
「一つだけ注意していただきたいのは、生き返れない仕様になっていることです。HPが0になった瞬間、あなたは強制的に死ぬこととなります」
余計なことをやらされて、命まで失うのか。バカバカしくてやってられないぜ。
「やらないという選択肢は」
「ありません。神を倒さなければ、魂を抜かれることになります」
冬樹は初めて女神の方に視線を向けた。
「どうして魂を抜かれなければならないんだ」
「あなたは最愛の異性を地上に残して、二三歳であの世に旅立ちました。一時的に復活しているものの、使命を果たせない場合は契約違反で魂を抜かれます」
現実世界では既に死んでしまっているのか。10パーセントとはいえ、復活できる機会を得られたことに感謝しなくてはいけない。
男はこの時代のことに興味はないけど、現代社会の彼女を喜ばせたいという大望があった。復活する決意を固めた。
「わかった。冒険をやってみる」
「あなたが復活することで、200年後の人間も救われます。二本の腕に全てがかかっていると思ってください」
二本の腕を目視する。これまでよりも重要に思えてしまった。
「あなたの大好物をたくさん用意しました。これを食べられるなら、未練はなくなるのではないでしょうか」
テーブルには松坂牛のステーキ、ウニのテンブラ、夕張メロンなどが陳列されていた。さっきまでの貧相な食事はどこに行ってしまったのだろうか。
「最後の晩餐になるかもしれないので、たらふく食べておいてくださいね」
「縁起でもないことをいわないでくれ。まだまだ生きるつもりでいるんだぞ」
「はっきりといっておきます。ミッションを達成できる確率は10パーセントです。90パーセントは命を失うと思っていてください」
10パーセントしかクリアできないのか。特別に復活できるのだから、こんなものかな。
クスリは食事にがっついていた。目の前の豪勢な食事は、彼を大いに奮い立たせることとなった。