第三話 I
腰が痛い。
うっすらと戻った意識の中、紅白は最初にそう思った。
バキバキに固まった身体に鞭を打って、何とか起き上がる。
紅白は自分が地べたにいることを認識すると、ベッドの方を見た。
誰もいない。
「……………落ちたのか?」
紅白は目を覚ましてから、意識がはっきりするまでが遅い方だった。
一階に下りると、何やらいい匂いがした。紅白には昨日料理した記憶がないので、頭上にクエスチョンマークを浮かべながら、リビングに入る。
「あ、おはよー。もう少しで出来るからちょっと待ってて」
そこには天姫がいた。
「……………なんでいる?」
紅白はまだ覚醒しきっていない頭を出来る限り回転させたが、天姫がいる理由がわからなかった。
「なんでって、昨日からいるじゃない。いつまで寝ぼけてんのよ」
天姫は鍋にお玉を入れ、味噌汁の味をチェックする。表情から見るに、いい出来だったようだ。制服の上からつけているエプロンが、どこか新妻のような雰囲気を演出している。
「……………なんかエロいな」
天姫は何も言わず紅白を痛めつけ、やっとのことで紅白の意識は覚醒した。
「あれ?修良今日は弁当なのか?」
四時間目が終わった昼休み、一番前のど真ん中に座る紅白の後ろの席に、弁当を持ってやってきた修良。こういう光景を見ると、能力を持っていると言えど、百年前となんら変わりない普通の高校生の生活だ。
「あぁ。今日はお姉ちゃんがお弁当いるらしくてさ。ついでにって俺のも作ってくれたんだ」
そう言って開けられた二段弁当のおかずのフロアには、所せましとおかずが詰まっていた。冷凍食品も、百年程前に比べ随分とクオリティが上がり、特にお弁当に重宝される時代で、修良のお弁当には、一つも冷凍食品が入っていなかった。すべて手作りのおかずである。
「ほえ~。お前の姉ちゃん料理上手いんだな」
「そう?まぁまずくはないけどね。そういう紅白だって今日はお弁当じゃないか。なんだ?また嫁か?」
「あんなすぐ押しつぶしてくるような暴力嫁は御免だな」
「悪かったわね、暴力嫁で」
聞き慣れた声が聞こえてきたと同時に、紅白の目の前からお弁当が消えていた。ぱっと顔をあげると、紅白の探していたソレは宙に浮いている。教室の入り口の方を見ると、『嫁』こと天姫が立っていた。
「なんでそうお前はタイミング良く出てくるんだ」
紅白はしかめ面で、あからさまに嫌な顔をしている。
「あたしにとってはバッドタイミングですけどね!」
そして天姫も、見るからに機嫌の悪い表情をして、教室に入ってくる。
いつも通りの痴話喧嘩を前に、修良はただただ笑うだけである。
「あだっ!」
宙に浮いていたお弁当は、紅白のおでこにぶつかり(ぶつけられ)机の上に戻った。
「放課後ちょっと付き合いなさい」
「え、いやだ」
踵を返そうとする天姫に即答する紅白。
「いいから付き合いなさい。お弁当作ってあげたでしょ」
「頼んだ覚えはない!」
「じゃあ食うな!」
「断る!」
紅白は、奪われる前にそそくさと口の中へとおかずを運んでいく。食べてしまっては、返せと言われても無理な話だ。
「あーそう。でも、食べたんだったら、そのお代として、働いてもらわないとね~」
ニヤリ、と女の子に似合わない笑顔を浮かべる天姫。
「………やっぱりお前が嫁は御免だな」