第二話 V
「あー疲れた」
紅白は誰もいない空間にそう言葉を残し、ベッドに倒れこんだ。
あのあと、騒ぎを聞きつけた警察に事情を聞かれ、そしてさらにその後、天姫に無理矢理診察を受けさせられた紅白が家に帰ってきた時は、夜の8時を回っていた。高校生としては、あまり早い帰宅とは言えないだろう。
紅白はベッドに仰向けになり、両手を頭の下にまわす。その視線の先には白い天井しか映っていない。
「………能力が使えなくなる、か」
そう呟いたのと同時に、紅白の腹の虫が静かに鳴き始めた。
「今日の飯どうすっかなぁ」
紅白はベッドから起き上がり、二階にある自室を出て、一階のリビングへと向かう。紅白の家には、彼以外誰もいない。
紅白は、一軒家に一人暮らしをしていた。
というのも、紅白には両親がいない。研究者だった両親は、研究中の事故で亡くなったと、紅白は聞いている。『聞いている』とは、実は紅白には両親の記憶がないのだ。しかも両親の記憶だけならまだしも、中学生よりも前の記憶も全て失くしている。今の紅白の記憶は、中学一年生の時、白に覆われた部屋の中で、親の顔を見たところからしか記憶がない。そして、その直後に両親が亡くなったため、顔ぐらいしか記憶がなかった。
が、記憶も思い出もないので、悲しみに暮れることも出来ず、淡々と両親が住んでいた家に住んでいる。しかし、最初は一応、両親の知り合いの家にお世話になり、高校生になってからこの家で一人暮らしを始めていた。
何か食材はないかと冷蔵庫を開けたが、めぼしいものは何もなかった。仕方がないからコンビニでも行くか、と玄関まで行った時、
「お邪魔しまーす」
天姫が家にやってきた。
「………邪魔するんだったら帰れ」
「キッチン借りるわよ。どうせまだ何も食べてないでしょ」
紅白の返しとしかめっ面を見事に無視して、天姫はそのままリビングへと入っていく。紅白はどこか腑に落ちないと感じつつ、天姫の後を追う。
「やっぱり、俺ん家の鍵持ってるのはおかしくないか?」
「こんな広い家に一人で暮らしてる方がおかしいと思うけど?」
「……………」
「文句があるならお父さんに言ってよ。私に鍵を持たせるって言いだしたのはお父さんなんだから」
高校生までお世話になっていた両親の知り合いとは、天姫の父親のことであった。紅白は記憶を失くした後は、天姫の父親にお世話になっていたのだ。天姫の父親は医者なのだが、紅白の両親の研究を手伝っていたらしく、仲が良かったのだそう。家については紅白の意思を尊重して、今は一人暮らしをしているが、家も近いので、こうやって天姫が紅白の家に来ることは珍しくなかった。
「へーへ。で、妻よ、今日のメニューはなんじゃ?」
「私がいつあんたの妻になったっていうのよっ」
「ぅぐっ!だからすぐ能力使うなって!」
天姫の能力によって、すぐさま地面と仲良くなる紅白。
「まったく、私だって疲れてるんだから。ご飯作りにきてあげてるだけでも、感謝してほしいくらいよ」
「いや頼んでねーし」
「うるさい。そんなこと言うなら作ってあげないわよ」
「はいはい、ありがとうございます。こんなに可愛い子の手料理が食べられるなんて、とても嬉しゅうございますぅ」
「あんた絶対思ってないでしょ」
いつでもどこでも痴話げんかの絶えないこの二人が、ご飯を食べたのは十時を過ぎてからのことだった。
「ねぇ、どう思う?」
「どうって?」
「今日のことよ」
「今日って、お前が俺ん家の鍵を持ってることか?」
「それはもういいでしょ。文句ならお父さんに言ってよ。ってそうじゃなくて、あの人のことよ。能力が使えなくなったって言ってたけど………」
「そんなことよりも、俺はなぜお前がそんな堂々と俺のベッドに寝ころんでいるのかが知りたいがな!」
夕食を食べ終えた二人は、お風呂を済ませた後、紅白の部屋にいた。先に天姫がお風呂に入り、その後紅白が入って出てくると、紅白の部屋に天姫がいた、というわけだ。
「別にいいじゃない。いつものことでしょ」
「いつもやっているからいいってもんじゃねぇだろ。俺はお前がベッドで寝ることを許可した覚えはない!さっさと帰れ」
紅白は、天姫を無理矢理起こしてベッドから降ろそうとする。
「うーわ、ケチねぇほんと。そんなこと言ってると女子に嫌われるわ、よっ!」
しかし、いつもの如く、能力的に紅白が天姫に勝てない。
「っっっ!心配、するな。お前以外にはちゃんと、優しく、してる…ぅお!」
「もう夜も遅いのに、女の子一人で帰らせる気?」
「男一人を這いつくばらせて言う台詞じゃねぇだろおおおおお!」
ひと悶着終えて、結局紅白が折れるしかなかった。そしてなぜか、紅白の家に天姫の着替えがあるのは、秘密である。
「はぁ。どうって言われても、能力が使えなくなったってんなら、そうじゃねぇの」
紅白は、明らかにむすっとした表情になっている。もちろん天姫がベッドを占領し、紅白は地べたに座っている。まぁ、いつものことなのだが。
「だから、そういうことを聞きたいんじゃなくて、能力が使えなくなるなんて、本当にそんなことあるのかな。昨日の街での記憶もなかったみたいだし………。最近の事件とかだけじゃなくて、もっと大きなことに巻き込まれてたんじゃないのかな?」
自分で話しているうちに、少し不安に思ったのか、抱きしめていた猫の抱き枕が苦しそうである。無論、この抱き枕は天姫が勝手に置いていったものだ。
「それをお前が気にしてどうする。もし何か大きな問題だったとしても、それは俺たちが首を突っ込む話じゃない。警察に任せておけ」
紅白は、聞く耳を持たずに天姫を突き放し、座布団を二つ折りにして、あまり寝心地の良くない簡易枕を作る。
「でも………」
「いいから寝ろ。いらんことを気にするな」
紅白は問答無用に電気を消し、天姫のいるベッドに背を向けて寝ころんだ。