第一話 V
紅白はうなだれながらも、重い腰を持ち上げて、女性の方に向き直る。天姫は、念動力を使う男の方と戦闘を始めていた。天姫の能力は重力操作だが、重力を操れるからといって、念動力に直接干渉することはできない。だが、念動力によって操られたものに対しては干渉することができる(念動力は基本、生物を操ることはできない)。そういう意味では、天姫は男の方がまだ戦えるだろう。
「さてと、こちらのお方はどういった能力ですかね。………ん?」
紅白は、いつの間にか、周りの風が強くなっていることに気が付いた。そしてあっという間に誰から見てもわかるような、強風に、そして暴風へと変わっていく。
「うおっ!」
その暴風に紅白の身体は耐えきれず、ついに身体が宙に浮き飛ばされる。そして紅白は一瞬で五メートルほど飛ばされ、道路脇の店の壁に激突した。
「がっっっ!!」
紅白の肺から一気に空気が漏れる。それと同時に背中に激痛が走った。幸い骨は折れていなさそうだが、背中を強打したことは、今後の戦闘に大きな支障が出ることは間違いない。
「くっそ。自然系かよ。こりゃめんどくせぇ」
紅白たちが使う能力は、大きく三つの系統に分かれている。敵の女性が使った風の能力は自然系と呼ばれるものだ。地、水、火、風、雷の五つの能力がこれに分類される。
天姫の重力操作のような何かを操ることが出来る能力は、操作系と呼ばれていて、この系統が世界で一番多いとされている。能力が被るという意味では、自然系が一番多いが、系統別に分類した場合の種類では、操作系が一番多い。
そして残りの一つは超常系だ。先の二つに分類されないものがこの超常系になる。しかしこの超常系の能力は珍しく、持っている人はあまりいない。大抵の人は、自然系か操作系の能力である。
紅白は背中の痛みを我慢して立ち上がる。が、紅白は女性との相性が悪く、すぐに逃げ出したかった。それに相性以前に、紅白は人との『戦闘』を苦手としている。
紅白のような、いわゆる正義の立場での戦いというのは基本的に難しい。街への被害は抑えなければならないし、その場にいる人々はもちろん、なるべく相手でさえも怪我をさせてはならない。それでいて、相手を無力化しなければならないのだから大変だ。
それに対して、敵にしてみれば、事を起こしているのだから、街への被害や他人を傷つけることを躊躇しない。戦いにおいて、この差は大きい。だから『戦闘』が得意と言う人もあまりいない。いたとしても比較的、というだけだ。天姫はこの比較的に属するからこそ、自治会の中でも貴重な戦力だ。自治会は、こういう事態のことも想定して、学力に加え、ある程度の戦闘力も考慮して選ばれる。
だが、それを差し引いても、紅白は人との『戦闘』は苦手としていた。
「俺の能力は戦闘向きじゃないんだっての………」
紅白は独り言をつぶやく。そしてこの独り言は、自治会でいつも言っている逃げ口上でもあった。だが、今この場において、そんな逃げ口上は一切あてにならない。こういう状況になってしまったら、是が非でも戦うしかない。それはヒーロー然とした考えによるもの、とかではなく、戦わなければ自分が死んでしまうからだ。
しかし、紅白が戦闘が苦手といっても、敵はそんなこと知ったこっちゃない。女性は風を収束させ、刃のような形状を作り出し、紅白にむかって射出した。いわゆるカマイタチである。
「っ!あっぶね!」
紅白はギリギリのところで横に跳んで避ける。だが一回避けて終わりではなかった。女性は二発三発と次々とカマイタチを繰り出す。
「くっそが!」
紅白は、女性に対して垂直に走り出し、繰り出されるカマイタチを避けていく。だが、避けるだけじゃ何も始まらない。そして避ければ避けるほど、街へ被害が出てしまう。
「好き放題暴れやがって!」
カマイタチが途切れた瞬間、紅白は女性の方に向き直った。彼女は紅白の方に向かって歩いてきていたが、紅白は女性に向かって、ダンッ!と言わんばかりに地面を一度大きく踏んだ。
特に目に見える変化が起きたわけでもなかった。女性は紅白の行動になんら反応を示さず、意に介していないのか、そのまま進んでくる。だが、突如、彼女は少しバランスを崩した。紅白はそれを見逃さず、女性に向かって走り出す。紅白と彼女との距離はおよそ10メートル。走ればすぐの距離だ。
「っっっ!」
だがそのすぐの距離も、能力の壁に阻まれた。少しよろけただけのこと、彼女はすぐに体勢を戻し、走ってくる紅白に向かって、暴風を起こす。くしくも近づくために縮めた距離は、回避を困難にしただけとなり、紅白は打つ手なく吹き飛ばされる。
暴風が一瞬だったのもあり、また壁に激突することはなかったが、地面に打ち付けられる。そしてそのダメージもバカにならない。紅白は、体中にかすり傷、切り傷、打撲など、様々な怪我を負い、見るも痛々しくなっていた。怪我が増えれば増えるほど、体力が減り、行動に支障が出てくる。
紅白たちが使う能力は、何も無尽蔵に使えるものではない。能力を使うにはそれに見合った対価を払わなくてはならないのだ。しかし対価といっても、大層なものではない。人々が能力を使うために支払う対価、それは体力だった。人々は、自分の体力を削って、能力を行使しているのだ。この世界に、ゲームなどに出てくるような魔力というものは存在はしない。しかしその代わり、エネルギー保存の法則とでも言いたげに、能力は体力を削っていく。そしてその減り様は、能力や、その規模、持続時間によって異なってくる。
彼女の暴風のような規模が大きいものは、体力を多く使う。そして、もっと厄介なことに、自分が生来授かった能力によっても左右されてしまう。例えば、反射の能力と、力の向きを操る能力があるとする。前者の方は反射『しか』できないが、後者の方は反射『も』できる。この応用性の差によって、支払う対価は変わってくる。同じ現象を起こした場合は、もちろん後者の方が、支払う対価は多い。
「そんなに大技乱発して大丈夫ですかぁ………、いでっ」
紅白は、痛む体に鞭を打って、力なく立ち上がる。出来ればもう横になりたい気持ちが圧倒的に強いが、その選択はただただ死に近づくだけである。
「どうすっかなぁ………」
紅白は、必死に思考を巡らす。能力的なハンデがある分、紅白は余計に頭を使わなければ、この状況をどうにかできない。ここで天姫のような能力があれば、相手をなるべく傷つけずに戦うことはできるのだが、そんなものは、ただの無いものねだりだ。
しかし、考えてるうちにも戦闘は進んでいく。彼女は、またしても暴風を起こし、そしてそれを竜巻の様に巻いていく。周りには強風が吹き荒れ、竜巻はどんどん大きくなっていく。
「…おいおい待て待て。これをぶっ放すつもりか?………いや、だけど」
紅白は、自分の身を案じる一方で、また別のことを考えていた。それは彼女の体力だ。彼女は既に、持続時間は違えど、暴風を二回も放っている。それも規模を気にしない、力任せのものだ。そんなものは、戦いにおいて、効率が悪い。さらに、カマイタチを生成するのもバカにならないはずである。それなのに、先程以上の規模と思われる暴風を、さらに竜巻として作り出しているのである。そして紅白は見ていないが、紅白たちがこの場所にたどり着く前にも、何かしらの能力を使っているはずである。見た感じ、彼女は華奢だ。
「どこにそんな体力があるんだ?」
だが、今は相手のことを考えている場合ではない。紅白は、冷や汗を垂らしながら、策を巡らす。が、何も浮かばない。この状況を打開する策が見つからない。
「はぁ………」
紅白は、半ば諦め混じりにため息をつく。そうこうしている間に、目の前の竜巻はどんどん規模を大きくしていく。
「………しゃーない」
紅白は目を閉じて、一度体の力を抜いた。傍から見れば、諦めたように見えなくもない。確かに、ある意味諦めた状態ではあるのだが。
紅白は吹き荒れる風を感じながら、ゆっくりと目を開けた。
「周りに人はいないな。まぁ避難させたし、この状況を見に来る物好きもいないわな」
そう呟く紅白の眼は、先程までとは違う、冷酷な眼をしていた。そして、紅白は右手を竜巻に向かって伸ばした時、
フッ!!
急に竜巻が霧散し、自由となった大気が弾けた。
「えっ!?」
そしてこれに一番驚いたのは紅白だった。この現象は、紅白が起こしたものではなかったからだ。完全に虚を突かれた紅白は、強風に煽られ、バランスを崩す。そして吹き飛ばされた看板が、紅白の横腹を突いた。
「おぐっ!」
横腹を抱え、地面に蹲る男子高校生。この場面だけ切り取れば、何とも運のない、滑稽な光景である。
だが紅白にしてみれば、こんなギャグシーンを展開している場合ではない。蹲っている間にも彼女の次の攻撃が来るかもしれないからだ。
紅白は、痛みに耐えながら、彼女の方を見た。すると、
「え…」
彼女は先程まで立っていた場所で倒れていた。距離があるのでよくわからないが、立ち上がる気配は感じられない。
「……………まさか」
あることが頭をよぎった紅白は、痛む身体を引きずり彼女に近づいていく。
彼女は、力なく地面に横たわっていた。動く気配もなく、生気が感じられない。どうやら意識を失っているらしかった。
「………脈はあるな」
紅白は、彼女を見るなりそう呟き、呼吸を確かめ、おでこに触れた。
「………限界を超えて能力を使用してたのか。命も危ないかもな」
彼女は能力の過度の使用により、体力が削られており、ギリギリのところで生命を維持している状態だった。このまま放っておけば、命を落としかねない。
だが、問題はそこではなかった。普通は、こんなに疲弊するまで、能力を使うことはできない。脳がリミッターをかけ、最低限の生命維持に必要な体力は残すものだ。しかし、彼女の場合はそのリミッターを越えて、能力が使われていた。これは異常だ。余程のことがない限り、自分の脳のリミッターを越えて能力を使用することはできない。
「まぁでも、とりあえず、こっちの危険は一応避けられたとして、天姫の方はどうなってっかなぁ」
紅白は、天姫の方に向かう、いや、向かおうとしたが、さすがに彼女をここに放置するわけにもいかず、連れていくしかなかった。だが、今の紅白の身体の状態は、女性一人を運ぶのも容易ではなく、激痛と一緒に連れていくしかなかった。