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第9話 人と共に駆ける竜

「レオ、お主、特別授業に参加する気はないか?」
 そんな教授の言葉から、レオの学院生活は変わり始める。

「特別授業って、いったい何をやるんだ?」
 授業が終わって帰ろうとしたら、いきなり教授に捕まった。

「一言でいえば、調査じゃな」
「調査って、何の?」
「それが、まだはっきりわからんのじゃ。まあ、現地に行ってのお楽しみじゃな」
「ずいぶんいい加減だな……で、それは、どれぐらい時間がかかるんだ?」
「早ければ三日。原因がすぐにわからなければ、最大で一週間(七日間)かのう」
「そんなにか!? っていうか、他の授業はどうするんだよ」
 先日のウサギ狩りのように、数時間程度で終わるかと軽く考えていたレオは、その言葉に驚きの声を上げた。

「他の授業? そんなもん、真面目に受けとるのか?」
「おい!? こないだ勉強しろって言ったばかりじゃねえか」
「うちの学院は、職能訓練校に近いからのう。一応クラス分けはされておるが、すでに目標が決まっている者は、それぞれの教授のもとで指導を仰ぐことができる。いまのところ、わしの研究室にはジュリアしかおらんがな」
「ちょっと待て。俺の進路、勝手に決められてねえ?」
 教授の発言に、呆然とつぶやくレオ。

「強制はせんがな。それはさておき、今どんな授業を選択しとるんじゃ?」
「戦闘訓練、とか……」
「他には?」
「…………」
 少し前まで、仇討ちが最優先だったのである。他に何ができるかなど、ほとんど考えたこともなかった。

「仕方がないのう。ひとまずは食い扶持が稼げるくらいにはなってもらわねば」
「わかったよ。ついて行けばいいんだろ……で、いつ出発するんだ」
 なんだか、断るとかえって面倒なことになりそうな気がする。レオはしぶしぶその話を承諾した。

「早く解決せんとあちこちに影響が出そうなんじゃ。明日朝に出発するぞ」
「まったく……何でこんなことに」
 ぶつぶつと文句を言いながら、準備のために学生寮へともどるレオ。

 彼はまだ気付いていない。家族の仇討ちだけで頭が一杯だった日々に比べ、少しだけながら自分の気持ちが軽くなりつつあることに。

   ◆

「教授、用意はできてますゼ」
「おお、シャカルか。すまんのう」
 そして翌朝。教授は学院の正門近くに待機していた馬車の御者と挨拶を交わす。

 同行するジュリアとリチャードは、シャカルと呼ばれた御者とはすでに顔見知りのようだった。
 レオも、その男と互いに自己紹介を済ませ、馬車に乗り込もうとして気付いた。

 その馬車……いや、竜車と言うべきだろうか。車の前には、馬ではなく二足歩行の爬虫類(レプタイル)が二頭繋がれていた。

「なあ教授、こいつ……あの暴食竜(レマルゴサウルス)に似てねえか?」
 確かにレオの言うとおり、発達した後ろ足だけで地に立つその姿は一見レマルゴサウルスに似ている。
 もっとも、よく見れば、かの巨竜に比べて全体的にやせたというか、引き締まった印象があった。
 その体色は砂のような淡い褐色で、以前見たレマルゴサウルスのような縞模様はないが、背中側がやや色濃くなっている。その頭からは赤みを帯びた肉質の鶏冠(とさか)が、角のように後方に向かって伸びていた。

「ふむ……」
 どのように話すべきか。一瞬の思考ののち、教授はレオの方に向き直る。
「ここで話すのも何じゃな。移動がてら、竜車の中で話すとしよう」

   ◇

 そして、依頼の現場へと向かう竜車の中、ローレンス教授の課外授業が始まった。

 生徒はレオとリチャードの二人だ。ジュリアは普段から教授の教えを受けているため、今回は竜車の後ろから索敵を兼ねて周りの景色を眺めていた。

「今後、授業でやる予定なんじゃが、手っ取り早く説明するぞ」
 ちなみに、博物学や動物学の授業は選択制であり、レオたち三人は受講しているが、あまり参加者は多くなかった。

「まず最初に一言(ひとこと)言っておくぞ。一見して姿形が似ているからといって、近い仲間とは限らん」
 二人の生徒の顔を見ながら、教授は宣言する。

「結論から言うと、彼らの姿が似ているのは、共通の祖先の特徴を共に今も受け継いでおるからじゃ」
「共通の祖先?」
「うむ。まずは、こいつを見るがよい」
 教授は、先日レマルゴサウルスとの戦いを映し出した宝珠、映想珠(えいそうじゅ)を取り出す。
 もっとも、以前のように視界全体が書き換えられたりはしない。ただ、教授の手元に小さな幻が浮かんだだけだ。
 その幻は、一人の特徴のない男の姿をしていた。

「例えば、わしらの祖先は当然、人間じゃが……数百万年の時を(さかのぼ)れば、サルの仲間と共通の祖先にたどり着く」
 歩いていた男の姿が、時を巻き戻したかのように後退りを始め、残像を残しながら少しずつその姿を変えてゆく。
 最初は、何やら見たことのない衣装に着替えただけのように見えたが、やがてその出で立ちは質素なものへと変わり、続けて一糸纏わぬ、人と猿の中間のような姿を経て、ついには完全な猿の姿へと変わる。

 確かに、そんな話はレオも聞いたことがあった。半信半疑であったが、改めてはっきりとその事実を見せつけられ、驚きを隠せない。

「そしてさらに過去へと戻り、数千万年から数億年前には、人間を含む哺乳類の祖先は爬虫類の祖先と(たもと)を分かったと言われておる。このような、時間経過と世代交代に伴う生き物たちの変化を、『進化(しんか)』と呼ぶ」
 さらに、時は戻り、猿の姿はレオが見たことのない四足獣、そしてネズミのような姿の獣を経て、ある種のトカゲに似たものに変わる。

「さて、かの竜についてじゃが、名は地走竜(ジオドロメウス)。分類学的な位置は――」
 そして、一呼吸おいて教授はまるで魔法の呪文のような言葉を口にした。

動物界(どうぶつかい)脊椎動物門(せきついどうぶつもん)爬虫綱(はちゅうこう)竜盤目(りゅうばんもく)、ドロメウス科、地走竜(ジオドロメウス)
 黒板に板書する代わりに、竜の姿とともに空中に文字が浮かぶ。

「な、何……?」
「まあ、今すべて覚えろなどとは言わんよ。もしそれが必要となるならば、その時に改めて覚えればよかろう」
 自分がそれを必要とするときは来るのだろうか。それを考えると、少し気が重く成るレオである。

「生き物を知るためには、まず名を与える必要がある。他の生き物たちと区別するためにな。そして名付けられた生き物は、種として近いものから遠いものへと、順にまとめられて整理される。これが分類学の基本じゃな」
 長く複雑になりそうな話に、レオは最初の質問を少し後悔し始めていた。

「例えば……わしら人間の場合、まず兄弟姉妹というのは、共通の両親から生まれたものじゃ。そして従兄弟姉妹(いとこ)は祖父母の代まで、再従兄弟姉妹(はとこ)はさらに一代上、曽祖父母の代で共通の先祖となる。このように、共通の祖先が離れるほど、遠い親戚ということになる。なお、婚姻関係はここでは考慮に入れないこととする」
 そんなレオの気持ちを知ってか知らずか、教授は語り続ける。
 その手元には、映想珠が映し出す家系図が浮かんでいた。

「生物の世界でも、同じようなことが言える。分類学的に近縁ということは、すなわち同じ下位の……より細かく分けられた分類群に所属しているということじゃが……共通の祖先から比較的新しい時代に分かれた、ということを意味する」
 先ほど登場したトカゲに似た獣が、再び現れ、今度は前へと進み始める。
 そして、獣の進む道は途中で二つに分かれた。
 一つは、すでに見た人間へと至る道。
 そしてもう一つの道は、さらに枝分かれを繰り返し、トカゲ、カメ、ワニとともに、二足歩行の竜も姿を見せる。その竜はさらに姿を変えながら歩き続け、ラマルゴサウルスやジオドロメウスへとたどり着いた。
 気が付けば、人間のほうの道も枝分かれしており、獣たちのたどった道はいつしかある種の樹にも似た姿を現していた。

 そこで教授は、ただのう……と少し暗い表情になる。
「それは理想論なんじゃ。どんなに優秀な学者といえども、過去に遡って進化の過程を見ることなどできはしない。結局のところ、現在生きているものに加え、化石から断片的に得られる情報をまとめ、共通する特徴を探して、分けていくしかないのが現状じゃ。もっと画期的な研究法が見付かればいいんじゃがのう」

 そして教授は、二人の生徒の顔を見回し、問い掛けた。
「ところでお主らは、『古竜(こりゅう)』という言葉を知っているか?」
「レマルゴサウルスがそうだって、図鑑で読んだような気がするな」
「……僕も、父と狩りをした時に聞きました。ただ、詳しい定義などは父も知らないようでしたが」
「またあ奴を質問攻めにしたのか……。戦闘経験こそ豊富じゃが、さすがに動物学についてはのう……」
 教授はリチャードの父に同情するように渋い表情で答える。

「さて、古竜とは……遠い昔、この世界を支配しておった大型爬虫類、そしてその子孫たちの総称じゃ。もっとも、それは一般名称に近く、分類学的にはかなりかけ離れた者たちがまとめられておる。正確には、鳥もこの仲間に含まれるんじゃが、諸般の理由により通常は別の分類群として扱われておる」
 再び教授は、映想珠を持ち上げる。
 いくつかの獣たちの姿が、浮かんでは消えた。レマルゴサウルスに似た二足歩行の竜が多いが、四足獣の他に鳥や魚に似たものもいる。

「じゃが、栄華を極めた奴らは、いつからか徐々にその数を減らし始めた。そして、数千万年の時をかけ、このソール大陸では我ら人間を含む哺乳類(マンマリア)や、トカゲやカメ、ワニなどの別系統の爬虫類(レプタイル)が入れ替わりで広がっていった。今では古竜たちは、ソール大陸南西部からゼムゼリア大陸北部にかけて、細々と暮らしておるだけじゃ」
「このジオ何とかも、その古竜なのか?」
 うむ、と教授はレオの問いにうなずく。

「車などを引く動物のことを輓獣(ばんじゅう)と呼ぶのじゃが、このジオドロメウスは持久力や牽引力など、単純に輓獣としての能力だけなら、馬よりも上と言っても過言ではない。それゆえにこ奴らは、野生ではほとんど見られなくなった今でも、人の家畜として生き残っておる稀有な例じゃな。それが幸せかどうかは、我らが言えることではないがの」

   ◇

 教授の話はなおも続いた。
 やがて、レオの顔に疲れが濃く出始めたところで、さて、と教授は両手を胸の前で打ち鳴らす。
「今回の授業はここまでにしておこうかの。そろそろ腹もすいてくるころじゃ」
「飯か? まだちょっと早いんじゃねえか?」
「いや、準備もあるしのう」
「準備?」
「言い忘れておったが……パンや塩漬けの肉と野菜は少しは持ってきたがの」
 そして教授は、レオにとって衝撃的とも言える言葉を発する。
「食料は基本的に、現地調達じゃぞ。標本収集も兼ねとるがな」

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