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第7話 草原の嫌われ者

「さて、狩りには追い立て役も必要じゃ。わしも手を貸してやろうかのう」
 緊張しつつ初めてのウサギ狩りへと向かったレオを見送った後、教授はそう言っておもむろに腰に手を当てて仁王立ちした。

「我こそはヴェルリーフ都立学院博物科教授にしてリーフ国立博物館館長、アイザック・ローレンス!! 数多の戦場(いくさば)を駆け抜けしこの身、ウサギごときが敵うものと――」
 そして教授は、大音声で名乗りを上げる。

「……教授、ウサギが逃げます」
 それを、抑揚のない声にほんの少しの呆れを混ぜ込んで遮ったのはリチャードだ。

「なぁに、心配は無用じゃ。ほれ」
 視線を向けた先には、教授から一目散に駆けるウサギたちと――

「うお!? な、何だ急に!」
 その向こうで慌てて斬竜刀を構えるレオ。

「……教授」
「何じゃ?」
「……斬竜刀は、ウサギ狩りには向きません」
「知っとる」

 レオ自身はちゃんと狙っているつもりなのだろうが、先ほどまでウサギがいたところを刃が通り過ぎた時には、すでに当のウサギは武器の届かないところを走っていた。
 それでも、数打てば当たるといわんばかりに、レオは何度も得物を振り回す。

「……あの斬竜刀、かなり重いですよね」
 間の悪いことに、その言葉を口にした時には、リチャードの横から教授の気配が消えていた。

「ばあーーーー!!」
 そして、少し離れた茂みから、唐突に教授が出現する。
 驚いたウサギたちは、慌てて反転してレオの方に向かう。

「うお!? なんだいきなり! びっくりするじゃねえか!」
「お主が驚いてどうする。ほれ、ウサギが行ったぞ」
「うわ、ちょっと待て! いてえっ!!」

   ◇

「……彼を見ていると、あの方を思い出します」
 視線はレオの方に向けたまま、槍使いの少年は再び真横に現れた気配に話し掛ける。

「やはり、お主もあ奴に似ていると思うか」
「……彼は、何というか…………」
 そこでリチャードは、いったん言葉を切り――
「……僕は浅学ゆえに、表現する言葉を知りません」
「それは浅学などではなく、遠慮しておるだけではないか?」
「…………」
 またしばし、沈黙が訪れる。槍を自在に操る少年も、自らの心を言葉にするのは得意ではないのだ。

「……教授、もしや貴方は、彼が――」
 リチャードが再び口を開くのとほぼ同時に、またもや教授の気配が消える。
「……わざとやっているのでしょうか」
 首を傾げてつぶやいた後、リチャードもレオの方へと歩き始めた。
「……僕も少し、お手伝いするとしますか」

   ◇

 ウサギを追って走るような真似はできないが、教授やリチャードが追い立ててくれているおかげで、獲物は近くまで寄ってきている。
 自分の手で何とか狩るとは言ったものの、本当に一人ではどうしようもなさそうだ。誰かと協力するのは悪いことではない。そう自分に言い聞かせつつ、レオは斬竜刀を振るう。

 さすがに、衝撃波を放つような真似はできないが、身の丈ほどもある斬竜刀を縦横無尽に振り回すのは、誰にでもできることではない。暴食竜(レマルゴサウルス)を討つために素振りを続けた日々は、全く無駄というわけではなかった。
 とはいえそれも、目標に当たらなければ何の意味もないのである。

 斬竜刀を振り回し、ウサギに振り回されながら、レオは考えた。

 ヒントは、先ほどのリチャードの狩り、そして教授の話にある。
 動きの先を読むような真似は、少なくとも今の自分にはできない。
 ならば、逃げられないような状況を作り出すしかない。
 そうして、ウサギが自分を攻撃してきたらーー

「ぬおりゃああぁ!!」
 裂帛(れっぱく)の気合――と、本人は思っている絶叫――と共に、風を裂いて斬竜刀が空を切る。
 レオの狙っていたウサギは、地面近くを走る刃の上を発達した両足で飛び越えて――

「そこだあぁ!!」
 咆哮にも似た叫びを上げ、振りぬいたはずの斬竜刀を、両腕の力で引き戻す。
 返す刀が、空中に浮き、逃げ場を失ったウサギをはね飛ばした。ウサギは一度、二度と地面でバウンドし、そのまま動かなくなる。
「よっしゃあ!」
 斬竜刀から離した右手を、高々と天に向け突き上げる。

「これでコツは覚えたぜ!」

   ◇

「ゼェ……ゼェ……ゼェ……今日のところは、これで勘弁してやる」
 コツを覚えた、という発言は間違いではなかったようで、少しの間でレオは、三頭のウサギを仕留めることに成功していた。

「まだじゃ。狩りはこれで終わりではないぞ」
「ええっ!?」
「何を驚いておる。狩った獲物は適切に処理をしないと、(いた)んで売り物にならなくなるぞ」
「おう……」
 疲れた体に鞭を打つように、レオが自ら仕留めたウサギを拾い上げた時――

「……来ます!」
 リチャードが短くも、これまでになく鋭い声を放った。

『オオゥ! オオゥ!』
 それに被せるように、獣の声が聞こえてくる。
 闇の中から、こちらを威嚇するように吠えつつ、犬に似た獣が一頭、駆け寄ってくるのが見えた。

「野良犬か?」
「いや、姿形こそイヌに似ておるが、分類学的にはむしろ、ネコの方に近いといえるな」
「……野盗獣(エレモヒエナ)ですか。これは厄介ですね」
「その通りじゃ。しかし奴ら、街の近くではほとんど見ることはなかったんじゃがのう」

『オーーーゥ! オーーーーゥ!』
 レオたちが話しているうちに、エレモヒエナと呼ばれた獣は長く伸びた声を上げながら三人の周囲を回り始める。

「ひょっとしてこいつ、おれたちを襲うつもりじゃねえだろな」
 警戒しつつも、教授とリチャードがいるせいか、レオの声にも余裕が感じられた。
 その姿は犬とさほど変わりがないように、レオには思えた。しいて違いを上げるならば、耳がやや丸く大きい位だろうか。薄い色の体には、背側に黒い斑点が多数散らばっている。

「奴らは、普段は屍肉(しにく)を餌としておるが、今回はそのウサギが目的のようじゃな」
「屍肉!? 他に食うものはねえのかよ」
 教授の言葉に、不快そうに顔をゆがめるレオ。
「屍肉食は立派な食性の一つじゃぞ。獣たちの(しかばね)は、勝手に土に還るわけじゃない。獣や鳥が肉を食らい、骨を砕く。そして残り物は虫たちが片付ける。そうやってこの平原は、美しく保たれるわけじゃ」
「そういう……もんなのか……」
 そんなことは今まで考えたこともなかったレオは、茫然とした様子でつぶやく。

「じゃがな、死骸というものは、腹をすかせた時に都合よく見つかるものではない。他の肉食獣から奪ったり、時には自ら屍を作り出したりもするぞ」
「屍を作るって……まさか!」
「ウサギだけではないぞ。油断するなよ。ひとたび町の外に出れば、我ら|人間《ヒト》とて獣の一種、特別な存在などではない。いつ屍と化し、奴らの餌食となるやもしれんぞ」

 こちらの隙を見つけたか、エレモヒエナはレオの方を向き、その口から黒く濁った液体を吐きかけてきた。

「うわ、(くせ)えっ!!」
 慌てて体をひねり、それをかわすレオ。何とか命中は避けたが、液体のかかった地面から強い腐敗臭が漂ってきた。

「奴らは、武器として消化液を吐くという厄介な能力を身に付けている。屍肉食性のせいか、ひどく(にお)うんじゃ」
 それを聞き、エレモヒエナから距離を取るように、レオは後ずさりを始めた。
 そこへさらに、教授は鼻を押さえながら注意を呼び掛ける。

「ウサギに気を付けるんじゃぞ。新鮮な肉も消化液を浴びれば、奴ら以外の誰にも手が出せん腐肉となり果てる。そうやって、他の肉食獣から獲物を奪って食らうんじゃ」
「ひでえ事しやがる」
「……倒すのは難しくはありませんが、彼らは毛皮も肉も臭くて売り物にもならないと聞いております」
「かといって死骸を放置すれば、新たなエレモヒエナを呼ぶだけじゃしのう」
「なら、どうするんだよ?」
「適当に痛い目にあわせて、ここは奴らの縄張りじゃないと教えて追い払うしかないな」
「……とはいえ、あれは面倒です。正直、投槍も使いたくないのですが」
「そういや、お前の親父さんが、なんか遠くからぶっ飛ばす技を使ってたんじゃねえか?」
「……あれですか。残念ながら、僕にはまだ使いこなせません」
 そう言いつつもリチャードは、一歩前に踏み出し、二人に危険が及ばぬことを確認すると、その頭上で槍を回し始める。

「……紫電流(しでんりゅう)槍術、風迅槍(ふうじんそう)。参ります」
 さらにリチャードは、巧みな足さばきで螺旋を描く舞を舞う。
 だがそれは、レオが見た映像で見た彼の父のそれに比べ、やや速さが足りないかのように見えた。

「……ふっ!」
 ひときわ強い踏み込みと共に、最後の一撃が放たれる。
 だがそれは、足下近くの草を吹き倒しただけに終わった。

「こんな感じか?」
 それを見てレオも、斬竜刀と一緒に全身も回転させてみる。
 もちろん見様見真似でうまくいくはずもなく、バランスを失った刃は地面を削る。「いてっ!!」
 自分のままで帰ってきた反動に、思わずレオは声を上げた。
 だがその拍子に、握り拳ほどの石が跳ね飛ばされ、偶然にもエレモヒエナの方へ飛んでゆく。

『ギャン!』
 さすがに命中こそしなかったものの、獣は悲鳴のような鳴き声と共に飛びのいた。

「……なるほど、そんな手がありましたか」
「いや、狙ったわけじゃないんだがよ」
 リチャードも槍を振るい、石突きで足下の小石を跳ね飛ばす。

『ブギャン!!』
 それは弧を描いて、見事にエレモヒエナの頭に命中した。

『ギギギ! グギギ!』
 抗議するように鳴きながらこちらから距離を取ったエレモヒエナは、昇り始めた月を仰ぐようにして遠吠えを放った。
『ウオォーーーー!』

「ふむ。仲間を呼びおったか」
 声を遠くまで届けようとするかのように、獣は何度も何度も遠吠えを繰り返す。
 それは風に乗って、草原を広がってゆき――

「何も来ないぞ」
「そりゃあ残念じゃったのう」
「……この辺りには、他の個体の気配も無さそうですね」
「何で手を出さないかと思ったら……わかっててほっといたのかよ」
 動かず様子を見ていた二人に、レオは呆れた声を上げる。

『クウウウウゥゥーーー! クウウウオゥゥーーー!』
 そして放置されていた獣は、今度はどことなく寂しさを感じさせる、高い声で鳴き始めた。

「あれは退却の合図じゃな。やつらは多彩な鳴き声を駆使して、仲間と連携を取っておるのじゃ」
「……その仲間とやらは、いなかったようですが」
「言ってやんなよ」

 エレモヒエナは、尻尾を巻いて闇の中へと立ち去ってゆく。

 それを見送った後、教授の指導で狩ったウサギの処理をすませ……そしてようやく、レオたち三人も帰路に着いたのであった。

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