第八話 報いを伴う、偽物の絆
登校すると美紀の周りにはいつも以上の人だかりが出来ていた。
「本当だって! 私魔法少女と話したんだって!」
頬に絆創膏を貼った美紀は興奮した様子で一人一人の顔を見ながら熱く状況を語っている。元気な様子に改めて安心して、人だかりにちょうど隠れる配置の自分の席に座って入口を見ると、美紀よりも多い絆創膏を顔や手に貼った優衣がそそくさと入ってくるところだった。入り口付近にいた生徒が優衣を見て声を上げる。
「え! 優衣ちゃんも昨日の事件に巻き込まれたの!?」
人だかりの目線は一気に入口の優衣に集まり、目線を泳がせた優衣は一瞬美紀を見て、その後ふるふると首を小さく横に振った。なんだよ、と人だかりが顔の向きを元に戻す中、優衣は小走りで自分の席へと急ぐ。私は数冊のノートを持って席を立ち、彼女の席の目の前に行く。
「おはよう、優衣」
優衣がぱっと絆創膏や生傷だらけの顔を上げて、にこりと笑う。いつもと雰囲気が違うような、と思うと同時にチャイムの音が鳴り響いて、ノートを渡す。優衣から返ってきたお礼に軽く手を振って席へと戻りながら、優衣は昨日美紀と魔法少女の姿で出会ったのだろうかと気になった。
その後授業の合間の休憩もお昼休みも、最近取りきれていなかったノートを優衣は必死に写していた。時折首を傾げる度に授業の進み具合を口頭で伝えると、申し訳なさそうに笑いながら「ありがとう」と口にするのだった。
「……昨日の怪我、大丈夫?」
午後に行われた体育の授業では、優衣だけが長袖長ズボンの体操服を着ていた。先生に半袖の体操服をなくしたと説明する優衣を見て、きっと身体の下にもっと傷を隠しているのだと思った。だから授業終わりに二人で教室へと歩きながらそう聞いてみたけれど、優衣は大丈夫だと笑うだけだった。親友が傷付いているのに何も出来ない自分が悔しくて、優衣からそっと目を逸らす。
「……なぁ、あんた何者だ?」
下駄箱付近で突然聞こえた声に足を止めて斜め後ろを振り返ると、以前転校してきた男の子が優衣を見てそう呟いた。噂になるほど整った容姿は近くで見ると確かに目を見張るものがあり、私も吸い込まれそうなくらい大きな瞳から目を離すことが出来なかった。男の子は優衣の腕をがしりと掴むと自分の方へと引き寄せる。
「お前……」
男の子がそう口を開いたとき、遠くから優衣を呼ぶ声と共にドタバタとした足音が聞こえてきた。声の方へと目をやると、優衣がよく一緒に学校を抜け出していく仲間の一人が走ってきていた。近くまで来て優衣と男の子の間に割って入ると、女の子は背中側に優衣を移動させ、両手を広げて男の子の前に立ちはだかった。
「ちょっと藤堂! 私の仲間にちょっかいかけないでよね!」
女の子の目はまっすぐで、それを見た男の子は小さくため息を吐いて一歩後ろに下がった。
「お前らの関係は何? なんで同じ……」
「優衣は私の親友よ! ねぇ、優衣?」
『親友』という言葉にどくんと波打った胸の鼓動が、指先まで伝わっていった。優衣は両手を胸の前でぎゅっと握りながら、その女の子を見てそっと頷いた。その瞬間、なんだか目の前で交わされるやり取りがすべて遠くの世界でのことのように感じ始める。男の子の前につきだした腕にある優衣とお揃いの腕輪が輝いて見えた。私の親友は優衣だけだと思っていたけれど、優衣は私の他にも親友がたくさんいる。いや、そもそも私が親友だなんて言われたことは一度もない。優衣と彼女とらの間には無条件の絆があるのだと知っていたはずなのに、どうして今更こんな気持ちになるのだろうと考えながら、胸のあたりに痛みが走る。きっと幼い頃に優衣が失敗したあの魔法にすがることでしか優衣と自分を繋ぎ留められない私は、本当の意味で親友になんてなれていなかったのだろう。
「優衣、何かあったらすぐに私に言うんだよ! いつだって優衣のために駆けつけるんだから!」
はっと顔を上げると転校生はもう廊下の先の方へと進んでいて、優衣と女の子は向かい合ったまましばらく話をしていた。優衣の笑顔は私に向けられたことのないくらい幸せそうな笑顔で、その顔がまた私の心を暗くさせた。
「あれ、あそこにいるの麗奈じゃない? 優衣、行ってみよ!」
優衣が連れられて走っていく中、私を振り返ってどうしよう、と悲しそうな顔をする。右手を上げていってらっしゃいと送り出すと、優衣は口元だけ笑ってから仲間と走っていった。
「あれ、さな一人で何してんのー?」
肩にぽんと手を置かれて振り返ると、美紀がすぐ横に来ていた。歯を見せて笑った後私の手を取って教室に向かって歩き出す。周りに美紀の仲間はおらず、グループ意識が強そうに見えて一人で行動をするその自由奔放さを不思議に思った。そっと目を伏せてごくりと唾を飲み込んでから口を開く。
「……友だちの話なんだけど、親友が自分以外の人と仲良くしてると、少し辛くなることがあるんだって。なんでだろうね」
美紀の斜め後ろを手を繋いで歩きながら、少し離れた二人三脚をして教室へと近づいていく。教室にあと一歩で入るというタイミングで、美紀が立ち止まる。
「その友だちが他の子といるとき、実は親友さんも同じ気持ちになってたりするのかもね!」
私が顔を上げると美紀は振り返って、またいつものように笑った。
「今度思ってること伝えてみたら? ってその友だちに言ってみてもいいかもね!」
私の手をぱっと放して教室にいる仲間のもとへ走って乱入する美紀を見ながら、きっと美紀は思っていることをきちんと伝えて生きているんだと感じた。一人になりたいとか、寂しいとか、一緒に遊びたいとか。そうやって自分の気持ちをはっきりと伝える美紀には裏表がないから皆が集まるし、惹かれる。
――今度思ってること伝えてみたら?
頭の中でその言葉を反芻しているとき、すぐ隣を優衣が通り抜けた。反射的に右手を出して優衣の左腕を掴む。
「優衣、あの、二人きりで話す時間が欲しいの。私どうしても優衣に……」
紡いでいた言葉を止めたのは、優衣の潤んだ瞳だった。あの病室以来見たことがないような顔で、何かを必死に抑え込んでいるようだった。そしてそれが恐怖なのか憎悪なのか、考える間もなく優衣は口を開いた。
「早苗ごめん……」
私の右手をそっと外して、優衣はとぼとぼと教室へと入っていく。
「……そう、だよね」
優衣の温もりが残る右手を、そっと降ろした。これは報いだ。あの日の魔法にすがり続けて本物の関係を築こうとしなかった私への、報いだ。