バナー画像 お気に入り登録 応援する

文字の大きさ

第七話 そのいつかを夢見て

 昨日の雨とは打って変わって晴れた朝、私は一度大きく深呼吸をしてから教室のドアを開けた。昨日久々に一緒に帰れた嬉しさからかふわふわとしている自分を見られるのが恥ずかしくて、教室のドアを開けることにさえ少し緊張した。真っ先に目をやった優衣の席にはまだ彼女の姿はなくて、残念なような安心のような曖昧な気持ちのまま教室の中に入る。
「あ、さな! おはよー」
 後から入ってきた美紀に、肩をぽんと叩かれて振り返ってから一緒に席へと歩いていく。今日は提出物ないから写さなくて大丈夫だねと笑って言うと、美紀もいつものようにぎゃははと笑った。
「そういえば狂い桜! なんかー、幽霊の出入り口になってるらしくて! 異世界と繋がってるからずっと咲いてるんだって!」
 席に戻りながら私にそう言う美紀の目はキラキラしていて、それが聞こえた仲間たちが周りから「そんなわけない」「意味がわからない」と野次を飛ばした。目を見張る美しさで注目を浴びる桜の木は、何ら信憑性のない噂で溢れていた。私も笑いながら席に着き、空席のままの優衣の席をもう一度だけちらりと見た。
 朝のホームルームになっても午前の授業が過ぎても、優衣は学校に現れなかった。携帯でニュースを確認すると魔法少女の情報サイトにはまだ何も記事が上がっておらず、小さなため息を吐いた。ぐいっと腕を引っ張られて見上げると、美紀がお弁当を片手に歯を見せて笑っている。
「今日ゆいゆいいないんでしょ? うちらと食べよー」
 美紀に腕を引っ張られるがままにお弁当を持って席を移動すると、私の席は既にきちんと用意されていた。私がぽつりと言ったお礼は美紀の大きな「いただきます」の声でかき消されてしまった。
「最近ゆいゆい休みがちだよね、大丈夫かな?」
「……どうだろ、わかんない」
 胸に広がるいつもの不安を抑えながら口に運び始めた食べ物はあまり味を感じず、周りで楽しげに騒ぐ美紀たちの声もどこか遠くで行われる会話のように感じた。お昼休みが終わりに向かい、集めていた机を元に戻していると美紀にそっと肩に触れられた。
「またゆいゆい来たらさ、みんなで食べようよ! うちにも紹介して、ゆいゆいのこと!」
 にかっと笑った美紀を見て、不安で強張っていた表情がやっと緩み、そのまま頷く。親友の優衣には、自分が好きな人たちのことも好きになってほしい。自分の席へと向かいながら優衣が美紀と会話する姿を思い浮かべようとして、上手くイメージができずそっと笑った。
 あっという間に迎えた放課後、帰り支度をしていると目の前に来た美紀は私の机に両手をついて満面の笑みで私を遊びに誘ってくれた。優衣のことが気がかりで気分が乗らなかった私はお礼を言って街に出掛ける美紀を見送り、一人家路についた。家に着くなり鳴った携帯を開くと、新着ニュースが届いていた。
「中心街に怪人が出現中。付近の住民に自宅待機の指示」
 一瞬にして体に走った寒気は、優衣の心配だけではなく記事に書かれている街に遊びに行った美紀の心配のせいでもあった。私自身が怪人に襲われたあの日以来、身近で事件が起きることはなかったのに。慌てて靴を脱いで階段を駆け上がると、荷物をその場に落として美紀に電話をかける。数回コールしても出ない状況に焦って一度切り、またかけ直すことを何度も続けた。連絡がつかないままの状況に何もできず、階を降りてリビングのテレビの前で座り込んだ。後ろにあったソファーにもたれながらニュースで流れる事件の速報を目にしながらぎゅっと携帯を握って祈ることしかできない自分の体を、情けなさが埋め尽くしていく。思い出さないようにしていた怪人の異臭やあの醜い姿を思い出して、頭痛が襲ってきた。
 いつの間にか眠っていた私を起こしたのは、軽快な着信音だった。ソファーを背もたれにぐったりとうなだれて眠っていた体を少し起こすと、頭痛は和らいでいた。顔を上げて暗くなった空を見上げてから、鳴り続けている携帯をやっと認識できて慌てて電話に出る。
「さな! 電話ごめんね!」
 聞こえてきた美紀の声に安心してふっと力が抜ける。無事だったのだと理解して点けっぱなしだったテレビに目をやると、何事もなかったかのようにバラエティ番組が流れ、芸人の笑い声が響いていた。
「街に行ってたんだけど、怪人が出てきて巻き込まれちゃってさ……、怪我は平気! ってかね! 私魔法少女に助けてもらったの!」
 魔法少女、という言葉に目が覚める。脳裏をかすめたのは、昨日傘の下を一緒に歩いたいつもの優衣のことだった。そうなんだ、と小さく呟くと、興奮冷めやらぬ美紀は言葉を続けた。
「私前にさ、魔法少女が同じ世界にいると思えないって言ったけど、あれ違った! 私らと全然年齢変わんないように見えたしさ、多分普段うちらみたいにお弁当食べたり街で遊んだりして過ごしてるんだろうね! なのにいざというときには今日みたいに助けてくれてさ、ほんとカッコイイよね!」
 美紀の元気な声を聞きながら我慢できずに溢れだした涙をそっと拭う。優衣はいつか私と一緒に見ていた魔法少女のアニメのように、いつだって危機を救ってくれるんだ。
「……うん、カッコイイでしょ?」
 しっかりと閉じた瞼の裏に、幼い頃目の前で変身した優衣を描いた。
「なんでさなが嬉しそうなの?」
 きょとん、とした美紀の声を聞いて、ふふっと小さく笑って今日のお昼を思い出した。引っ込み思案な優衣をいつか美紀に紹介したい。私の親友で、私たちの魔法少女だと。

しおり