最終回 ジン子の涙! 愛の羞恥音「パァーーーーーーーン!」
冴渡はジン子への最後のlineを打ったあと、奥さんが買い物に出掛けたのを察知し、すぐに家を出る準備を始めた。
どうやら、駆除業者どころの騒ぎではないようだ。地球規模でジン子の部屋、いや、羞恥部屋がゴキブリで汚されているようだ。いったい誰が……。
家主としてはほおっておけない。家賃がいくらすると思ってるんだ。だいたい、まだ家と車のローンが残っている身なんだ。意地でも、どんな事があっても警視庁には喰らいついて行かないといけない。
そう思いながら、冴渡はガレージの前に立った。
まだ10年ローンも残っている愛車の赤いフェラーリ。
うっとりする冴渡。
「このじゃじゃ馬を乗りこなすには、俺みたいなSっ気がないと無理なんだよな……」
冴渡は豪快にアクセルを踏み込みエンジンをうならせた。
「待ってろ。5分で着く」
出発して1分後、交差点で止まるフェラーリ。
ブロロロ……。
信号待ちの時、冴渡にはある考えが閃いていた。
一方、この部屋にチャバネゴキブリの大群を発生させた原因が、愛犬のペロッにあることが分かったジン子は、大いに悩んでいた。
今ここでペロッを殺すべきか、それとも生かしたまま謝罪させるのか。謝罪といっても、お手すらまともに出来ない生後4か月の子犬だ。ジン子を見上げる目では、すでに謝罪の意味を込めているようにも見えるが、「申し訳ございません。今後二度とこのような事が無いよう以後気をつけます。」みたいなサラリーマン的な謝罪の態度には到底見えない。
せいぜい「ゆるしてワン!」だった。
いくら子犬でも、やっていい事と悪い事がある。ゴキブリの卵を持ち帰っていたのだ。勝手に。しかも、チャバネ。
やはり死をもって償ってもらうしかない。
ジン子は、ペロッの首に全裸で手をかける。
……だが……。
ジン子の奥が『ジュン』っと感じた。
ペロッの愛撫はどこか心地いい。人間には無いあの舌の動き。ざらざらとした舌の粒一つ一つが、ジン子の敏感な肌に吸い付く。そう。犬の舌は吸い付いてくるのだ。人間には無いあの野生味溢れるダイナミックな舐めは、ただ水分を欲しているだけの欲望にも関わらず、アダルトグッズには出しえない絶妙な違和感を生み出すのだ。アダルトグッズの利点『早さ』『強さ』『うねり』を兼ね備えつつ、動物的な『優しさ』『温もり』『湿り』を同時に得ることが出来る。こんなアダルトグッズがあれば良いのに、と思わず考えてしまうような動きなのだ。
いや、本当はそんな愛撫は冴渡一人からしか受けたくない。でも冴渡は今現在、人の物だ。彼が自分のことをどう思っているのか気になるところではあるが、やはり人肌的な感触が恋しくなる。そんな時に、ペロッは最適だった。舌の感触を肌に感じたいとき。それを冴渡だと想像して感じる。やはり、ペロッはわたしに必要な犬ではないだろうか?
いや……待て……。
誰がこの部屋をゴキブリだらけにしたのだ?その張本人は彼ではないか。冷静に考えろ……。
ジン子は再びペロッの首を絞める手に力を込め始めた。
部屋中にゴキブリがうごめいている異様な光景をもう一度見るジン子。
「許さない……冴渡さんが借りてくれたこの羞恥部屋を……こんな風に……」
そう……。やはり生後間もない子犬とはいえ、ジン子は冴渡の為にも許すわけにはいかないのだった。
その時、玄関ドアが勢いよく開いた!
「M探偵!」
ふいに冴渡の声が聞こえたような気がして、ペロッを持つ手を緩めるジン子。そのうちにペロッは部屋の隅にヨロヨロと逃げる。
「何をしている!やめろ!」
ドアの方を見て驚くジン子。冴渡が立っている。
「どうして? 家には来れないんじゃないの!?」
「買い物に出掛けた。一時間は帰ってこない。そんなことより、なんだこの有様は! お前がこんな羞恥犬を殺そうとするなんてどうかしてる!」
「だって、このペロッがゴキブリの卵を小豆だと思って家に持って帰って来てたのよ!」
「だからって警視庁に出入りする探偵が犬を殺していいと思っているのか!」
「わたしの犬なんだからわたしの勝手にさせてよ!」
冴渡がジン子の頬を思いっきり平手打ちする。
「……」
涙があふれるジン子。もう自分の気持ちに嘘をつくことが困難になっていた。ジン子は、冴渡への思いが爆発してしまう。
「わたしはあなたが欲しいのっ! 欲しくて欲しくてたまらないの! この犬だって本当はあなたの代わりなんだから!」
「バカを言えM探偵!」
「お前はその飢えた本能を特殊能力として捜査に生かすんだ! そう決めたのはお前じゃないのか!」
「違う……違う……」
「冴渡さんと……一緒にいたいから……」
「Mたんて……ジン子……」
一瞬、M探偵のことをジン子と呼んでしまった自分をかき消すかのように、冴渡は真黒なこけし状の機械をジン子の前に出す。
「それより、今はゴキブリだ。こいつをコンセントに差し込め」
ジン子、とりあえずコンセントに電源を差し込みながら、
「これは?」
「ブラックメンちんだ。漆黒の巨大なイチモツを意味する。こいつがこの部屋のゴキブリ全てを退治してくれる。先端の割れ目から白い有機リン系の毒ガスが噴出する仕掛けだ」
「すごい! それで一網打尽ね!」
「喜んでる場合でもない。……俺たちの命にかかわる」
「え? ちょっと待ってどういうこと?」
「有機リン系の毒ガスだ!」
「やだ……やだ……私一人でいい! 冴渡さんは逃げて!」
冴渡が、ジン子の顔を両手でわしづかみにして正面を向かせる。
見つめあう冴渡とジン子。
ブラックメンちんから、おびただしいガスが噴き出てくる。
「息をするな」
冴渡はジン子の唇に自分の唇を重ねた。その瞬間、ジン子は自然と目を閉じた。
ガスのせいで部屋中のゴキブリが苦しみだし、ポロポロと床に落ちていく。
苦しみだすジン子の愛犬ペロッ。
白いもやがかかる部屋の中、ずっとキスをする冴渡とジン子。
どれくらいの時間がたっただろう。
もともと窓ガラスが割れていたこともあって、部屋のガスは人間と犬の致死量までは至らなかったようだが、ゴキブリを駆除するには十分だったようだ。
冴渡はジン子の唇から離れる。
「大丈夫か?」
小さくうなづくジン子。
「ふぅ……こりゃ部屋の掃除が大変だ」
部屋中に転がるチャバネゴキブリの残骸。
ジン子はそれどころでは無かった。もっと冴渡を知りたくなってしまった。純粋に彼を質問攻めしたくなった。
「ねぇ。もしわたしと付き合ったらどんな愛撫をしてくれるの?」
「何を……急に」
「もし、わたしが冴渡さんを責めたらどんなエッチな声を出してくれるの?」
「そ、それは……」
「もしわたしが世界一の羞恥をしてって言ったらどんな羞恥をしてくれるの?」
「……」
言葉を失った冴渡は、自分なりの愛の表現のつもりで、駆除業者が忘れていったスリッパを持つ。
小刻みに首を振って、「え……え……」と、期待と不安の入り混じったアンニュイな表情でその瞬間を待つジン子。
「お前にはこんな愛の表現しか思いつかない……」
パァーーーーーーーン!
次の日。夕暮れ時の公園で、ジン子はペロッの散歩をしていた。
ジン子は冴渡からのあの一撃を思い出して、一人でにやけていたが、その下でペロッはまた小さい小豆状の物体を鼻で転がし、もてあそんでいた。