58.救出作戦
コバートはソルツィロ神殿の裏側にいた。
袋小路で誰かが来ることはほとんどない。
祭りの日であるからといって特段警備されているわけでもなかった。
コバートは近くに置いてあった陶器製の壺を調べた。
中にはアリータ・テミスの入れた、ロープと毒草が入っている。
コバートはまず、ロープ取り出して準備に取り掛かった。
用意してたのはクレア武器店で買った特製の1本矢。
先端は特殊な矢尻になっており、何かの物体を貫くと返しが出て抜けなくなる。
それに、
その部分にロープを括り付けて使用し、神殿上に登る算段だ。
コバートは巻き付けながら文句を呟く。
「この縄ちと太いぜ。もうちょっと細いやつはなかったんか?」
ワイヤーが売ってないのだから仕方がない。
そう理解しつつも作業の難易度に、ついこぼしてしまった。
「よーし、できた! あとは……」
コバートは毒草を掴み、手の中で捏ねてすり潰した。
滲み出てきた毒液をコップに垂らし、用意しといた水と混ぜる。
「こればっかしは……気合だぜ……」
コバートはその水を口に含み、うがいをする要領でぶくぶくした。
喉には灼熱感と鋭い痛みが襲い、思わず
だがコバートは堪えた。
堪えさせるほどの目的があったからだ。
しばらくしてその水を吐き捨てると、声の調子を確かめた。
「あー、あ゛ー……よ゛し」
毒液によってパンパンに腫れた喉から発せられる声音は、老人のようなものに変わっていた。
いつもの若者声からは一転、聞くものによれば神のような威厳ある者の声に聞こえなくもない。
コバートは隠し持ってた弓に先ほどの矢をつがえ、神殿の天井付近を目掛けて射抜いた。
放つ際に、結んだロープが
軽く刺さった瞬間、その矢尻の機能によって深く食い込み、コバートがロープを引っ張っても抜け落ちないことを確認した。
「待ってろ゛よ゛。ラ゛フ゛マ゛」
◆◇◆
怜央はコバートに通信を入れた。
[コバート、もう時間がない。ラフマが祭壇に到達した]
神殿内部の民衆は、皆が上を見上げ、儀式の成り行きを見守っていた。
ラフマは立方体のような石の上に寝かされ、胸部を曝け出されていた。
その後ろに控える神官は祝詞のようなものを唱え、手には黒く鋭い石を携えている。
[もうすぐ配置につく! ちょっと待ってくれ!]
「俺に言われてもどうしようもない。急げ!」
コバートは丁度、ロープを登り始めた時だった。
思った以上にラフマの所有権奪還に時間を取られたのが原因だ。
本来ならもうとっくについている予定であった。
怜央とラフマの距離はそこそこある。
それに加えて高低差もやっかいだ。
この条件での魔力壁展開は未体験だったため、怜央は調整に手間取っていた。
魔力壁は自分に張る分には簡単だが他人に張るのは難しい。
今までは全身にぴったりと貼り付けるか、特定箇所に壁の如く顕現させるかの2通りの手段を用いていた。
前者は安全であるが難易度は高く、後者はその逆。
今回はラフマの上体に、ナイフの刃を通さないよう壁を敷くように顕現させていた。
押さえつける神官と触れないよう、ナイフが刺されるであろう部位にのみ顕現させている。
幸いな事に、微調整が終わったと同時くらいに神官の祝詞も終わった。
神官はナイフを両手でもち、高く振り上げた。
[コバート! もう刺されるぞ!]
怜央は神官の一挙手一投足を注意深く見守った。
もし胸付近以外に刺さったらどうしようと心配だったからだ。
だがその心配は杞憂に終わった。
勢いよく振り下ろされた神官のナイフは、不可視の壁に弾かれ切っ先が砕け散ったのだ。
それはドーム状の神殿に響き渡るくらい大きく音を立て、天井に到達したコバートにも聞こえた。
神官は明らかに狼狽し、何が起きたか分からないという様子だった。
その同様は民衆にも伝播した。
「おい、今のは一体……」
「まるで何か、硬いものに当たったようだったよな!?」
「弾かれたようにも見えたぞ!」
ラフマと神官に皆が注目する中、怜央だけはさらに上を見ていた。
そこには天井の穴から顔の上半分を覗かせるコバートが。
状況を確認したコバートは怜央から借りた透明リングに魔力を通わせる。
コバートは身を乗り出し、大きく息を吸って叫ぶように言った。
「静ま゛れ゛人間共よ゛!」
ドーム状の神殿は音が反響しやすい。
ナイフの炸裂音と同じで、よく響き渡った。
神官や民衆達は目の前の信じられない事態に加え、どこからともなく聞こえる声に、言葉を失った。
コバートの物言いと
「我は貴様ら゛が信仰す゛る゛太陽神ソルであ゛る゛。我を゛崇め゛奉る゛者は跪き゛敬意を゛示せ」
神官を含め民衆達は、祭壇の像に向かい跪いた。
怜央も周りの様子に合わせ、さっと真似をする。
ナイフを持っていた神官は問いかけた。
「おお! 偉大なる太陽の、全知全能なる神よ! 我らは皆、貴方様をお慕いする者であります! 先程の
「い゛かに゛も゛」
「――大変失礼ながら、私にはその真意がわかりかねます! どうか、ご教授願えませぬでしょうか……」
平に伏す神官を尻目に、コバートはアドリブを効かす。
「よ゛かろ゛う゛。――我が発現し゛たの゛は他でも゛な゛い゛。今回の゛贄はい゛ら゛ぬ゛の゛だ」
その言葉に神官は青ざめた。
生贄の人選が悪かったと思ったからだ。
「ははーっ! どうかお許しください! 直ぐに他の者をご用意致します!」
「――愚か者! その゛様な゛意味で言った゛の゛では無い゛!」
コバートは怒気を込めて戒めるように言った。
それを敏感に感じ取った神官はより一層青ざめた。
「……我は、そ゛の゛
「……は? それは一体どういう――」
「1度しか言わ゛ぬ゛。その゛贄は生かし、我と思って大事に゛する゛の゛だ! 決して、殺すことは許さぬ゛――」
民衆は先ほどの現象を理解した。
神が守ったのだと。
あの巫女にはそれ程の価値があり、もはや聖人としての扱いを要するものだと。
神官は誓った。
「はっ! 必ず、そのようにするとお誓い致します! ですからどうか、これからも我々をお導きくださるようお願い申し上げます!」
「う゛む゛。その言葉、
◆◇◆
神様の振りをして、ラフマを保護するというコバートの作戦は成功した。
現場のごたごたに乗じて、コバートの入手した権利書は怜央に渡り、怜央はラフマを回収する。
コバートが受け取りに来ると、声でバレてしまうからだ。
その際の周囲の羨望は著しかった。
ラフマを売ってくれと声を掛ける者も多くいた。
金貨100枚で売ってくれという声から競りのような状況になり、最終的には金貨3000枚出すという強者まで出てきた。
だが、怜央は断った。
ラフマをひとめ見ようとする人垣を掻き分けて、怜央は宿場に戻った。