子どもたち
長いといえば長いが、短いといえば短かった。
叶うはずのないものだと思っていたものが、あの日以来転がり落ちるように手の中に入ってくる。
そんな奇跡はいつまでも続かないだろうと、心の中で達観した自分が訴え続けていた。
そんな事は分かっている、と答え続けて……半年。
「おは、おはよう」
「お、おはよう」
一階に降りるとラナが食事の準備を始めており、手伝いを申し出ると真っ赤な顔でブンブンものすごい勢いで首を左右に振られる。
昨日の夜は案の定一切眠れなかった。
廊下隔てて隣の部屋にラナがいると思うと、昨夜の自分の行動は人に見せられない感じだっただろう。
「いいいぃいいの! わ、わわわわたくしがやるの!」
「は、はい、そ、そうですか、出すぎた真似を……」
「そ、そういうんではないですわ! きょ、きょきょ、今日はわたくしの新メニューを披露する日なのですわ!」
「え、そ、そうだっけ? い、いや、そ、そうなの? じゃ、じゃあ……えーと……か、か、家畜たちの世話に行ってきます」
「はい! 行ってらっしゃい!」
家を出る。
最近は、起きた時間が早く余裕があれば朝食作りを一緒にやっていたわけなんだが……。
その場でしゃがみ込んで頭を抱えた。
いや、まあ、なんとなくこんな事になるのではないかと、お、思っていましたけれど。
俺はおかしくなる気はしてた。
し、しかしまさかラナまで様子がおかしい事になるとは思わなかった。
顔がずーと熱いし、そのせいか気温も暑い気がするし……あ、まだ季節的に夏だから、暑いのは当たり前か……。
「はあ……」
なんにせよ、ガッチガッチで変な空気。
これならまだ一ヶ月前の方が穏やかだった。
牛舎と厩舎から家畜たちを出し、隣の犬小屋から出て来たシュシュが元気よく放牧場を駆け回る。
ルーシィに水と干し草を与えて首を撫でつつ額を押し当てた。
「ひん」
「んん、いや、ラナとね……その、今更だけど……恋人になれたよ」
「ふん」
ようやくか、と言われた気がする。
それから、今日から『赤竜三島ヘルディオス』から来た子どもを引き取る話。
動物に悪さしないようにっていうのは、先に話すけど……。
「フゥブルルルル……」
「ああ、そうだな」
顎を撫でる。
ルーシィも一応、竜馬の血筋だ。
ロリアナ姫の竜馬のように翼を開く力は持たないが、力も持久力も知恵も寿命も頑丈さも、普通の馬の数十倍ある。
その……『加護なし』の子はルーシィに任せよう。
竜馬には『聖なる輝き』を持つ者ほどでもないが、多少守護竜の加護に近い力があるというから。
ちらりと見上げれば『アタシそんなに竜馬としての力はないから、その子の力になれるか分からないけどね』と不安そう。
それでも子どもは生き物の隔たりなく好きなので、ルーシィはその『加護なし』の子の世話を買って出てくれたのだ。
効果のほどは分からない。
未知数だ。
だがなにもしないよりはなにか試した方がいいだろう。
「ブルゥ……」
「ん? そ、そう?」
「フーンッス!」
そうだろうか?
俺は変わっただろうか?
ルーシィの言うように、多少は前向きになっている?
そりゃ、前ほど生活が仕事中心ではないしな。
夜は眠れているし、日々のご飯は美味しい。
空気は綺麗だし、怒鳴るお偉いさんたちもいない。
弟たちの騒がしい声がなくなったのは少し寂しくもあるが、その代わりラナの声が毎日賑やかに響いている。
彼女の存在は、潤いだ。
「……そうだなぁ、俺もそう思うよ」
彼女のおかげだ。
間違いない。
「ぶるぅ!」
「あ、はい。戻るよ」
今日は子どもたちを迎えに行く日だしな!
と、いうわけで『エクシの町』にやって来た。
昨日は手紙でいっぱいいっぱいだったもんなぁ、ラナ。
なぜか最初からドヤ顔と腰に手をあてがって臨戦態勢。
これは、もしや子どもに舐められないための——虚勢……!?
はあ、なんなの?
今日も可愛いが仕事のしすぎだ。可愛すぎて頭が痛い。
……正直ただ令嬢モードになればいいと思う。
「ハァーイ、おはよう二人とモ! さ、上に来テ。子どもたちを紹介するワ」
待ってました!
……あ、いや、こほん。
べ、別に小さな子と触れ合って弟たち元気かなっていう思いをごまかしたいとかではない。
断じてそんなんではない。
「♪」
(フランすごい嬉しそう……昨日私と両想いになった時よりもウキウキしてない? ……いや、嬉しいの種類が違うって事くらい分かるけど……しかし、んむぅ~……解せぬ!)
(ユーフランちゃん生粋の子ども好きネ……エラーナちゃんを見てると分かるわァ……。絶対言えないけどォ〜〜)
二階、三階と階段を登り、一番奥の広い部屋に案内される。
本来の用途は物置らしい。
そこを片付けて、七人の子どもが寝られるようにしたそうだ。
みな、赤茶髪や赤目、ピンク髪と……見事にこの国では嫌がられる色ばかり。
クラナに促されて一列にならばされる。
「みんな、紹介するね。新しいお家が出来るまでお世話になるお家の人たちよ。エラーナお姉ちゃんとユーフランお兄ちゃん」
お兄ちゃん……。
懐かしい響きだな。
「えっと、では子どもたちを紹介します。まずは、ファーラ、ご挨拶して」
「……ファーラです、はじめまして」
ファーラ、十歳の女の子。
金髪、茶目。
この子が『加護なし』。
俯いていて元気がない。
見た目は普通の女の子だな?
「シータルです」
「シータルだ!」
「初めましては?」
「はじめましてー」
シータル、十歳の男の子。
赤毛、赤目。
頰に大きな傷がある。
クラナが「ほっぺの傷は木から落ちた時に……」とどこか恥ずかしそうに補足説明してくれた。
どうやら虐待などを受けたわけではないようで安心した……けど、これはやんちゃ坊主だな?
「この子はアルです」
「アルだ! 九歳! はっじめまっしてぇー」
アル、九歳の男の子。
赤茶、紫目。
こちらもかなりやんちゃそうだ。
そばかすが大量にあり、にやにや笑っているのが気になる。
「この子はクオン」
「はじめまして! クオンです! お世話になります!」
クオン、九歳の女の子。
ピンク髪、緑目。
挨拶も完璧だし活発で気が強そう。
目元がラナに似ていて……いや、ラナよりもつり上がってるかな?
ふざけてちょっかいを出す、隣のアルを容赦なく引っ叩いたので第一印象は正しいっぽい。
「アメリー」
「うん、あの、アメリー……、アメリーはアメリー……六歳で、ルーナの花の蜜が好き」
「そ、それは言わなくていいのよ!」
アメリー、六歳の女の子。
紫髪、赤目。
やや舌ったらずだな。
体も歳の割には小さいような?
……ルーナの花って朝に花弁から蜜が滴る野草では……い、いや、深く突っ込むまい。
「ニータン、あなたの番よ」
「えー、うーん、まあ、よろしくー」
「こら! ちゃんとご挨拶しなさい!」
ニータン、八歳の男の子。
茶髪、茶目。
気怠そうにして、こちらを一切見ない。
見ないが、不機嫌そうにしているのを見てなるほど、と思う。
シータルとアルに比べて精神的に大人だな。
「そして、わたし、クラナです。よろしくお願いします」
「あなた子ども?」
と、ラナが問う。
あはは、と乾いた笑い。
確かに十六歳のクラナは子どもとは言い難いかもな。
しかし、成人というわけでもない。
「ラナ、一応未成年だから」
「あ、そうか。それもそうね。……それに、私の名前もエラーナ……愛称は『ラナ』なの。貴女の名前と似てるわね?」
「! あ、ほ、本当です……」
「なんだか妹が出来たみたいで嬉しいわ。なんでも頼りなさい! あ、なんなら『姉さん』と呼んでもいいわよ!」
「……あ、ありがとうございます……」
一瞬驚いて、それからクラナは口に手を当ててジワリと涙ぐんだ。
……クラナよ、ラナはレグルスがよく「レグルスオネェサンよーン!」って言ってるのを内心羨ましく思っていたに違いないので感動する必要は多分ない。
まあ、知らない土地でここまで言ってくれる同年代の女性がいるのは心強いだろう。
「さて、挨拶もすんだ事だし、牧場の方へ移動しまショ」
「ああ、そうだな」
レグルスが少し、一瞬だが笑顔を曇らせた。
目線の先は階段。
これは、従業員に苦言でも食らってるのかな?
髪と目の色が赤系というだけでなかなかキツい事言われるからなぁ、この国。
なので、まあ……早く移動させたいわけね……。
「なあなあ!」
「あん?」
声をかけてきたのはやはりシータル。
その後ろにはアル。
二人ともにやにやしている。
「隣のブスは嫁なんだ——」
ふっ、と笑ってから脳天をげんこつで殴る。
最初が肝心なのだ、最初が。
男は特に。
「ぐっぅーーー!」
「うっわ」
「人の嫁をブス呼ばわりするなよ?」
笑顔で言うのがコツだ。
胸ぐらを掴んで持ち上げ、目線を合わせてから下ろす。
そうするととりあえず呆気にとられて黙り込む。
後ろを半笑いでついてきたアルにも同じように笑いかけると、口許をひくつかせて固まる。
よしよし、牧場に着くまでは大人しくしてろよ。
「……男の子、扱い慣れてるわネ」
「お、弟が六人いるって言ってたわ……」
「そ、そんなにいるノォ!?」
ニータンは必要ない。
あいつはシータルとアルよりも分析能力が高いのだろう。
周りの状況判断をあの歳できちんと出来ている。
俺に逆らってもいい事などないとわきまえているのだ。
とはいえ、まだ自分や『家族』にとって有益な存在かどうかの判断を下せないでいる。
そこまでの情報が揃っていないからだ。
口許が勝手に笑みを浮かべる。
ああ、なんとも賢くて男の子やってんねぇ。
「あ、あたしはおねーさん綺麗だと思うわよ」
「え、あ、ありがとうクオン」
女の子は総じて男子よりも大人だ。
すかさずフォローを入れてくるクオンは、ファーラよりも大人びている印象。
まあ、ファーラの場合は『加護なし』の事で落ち込んでいるだけかもしれないけど。
本来はどんな性格なのだろう?
とりあえず、この子たちにはある程度の教育は必要だ。
全員を馬車に乗せ、レグルスとラナ、クラナと引き続き今後の話を進める。
それを横で聞いている子どもたちのなんと大人しい事か。
クラナが時折「お、大人しすぎて怖い……」と呟くほど。
だが三十分ほどで牧場に到着してから、馬車を降りると真っ先にシータルとアルは復活する。
「おおおぉ! 本当に牧場だぁ!」
「すっげー! ひっれぇぇ!」
「よし、小僧ども早速仕事だ。牧場の周りに危険な生き物がいないかを、うちの番犬シュシュと共に確認してこい」
「「!」」
「え、あ、あの」
驚いたクラナ。
だがなんの心配もいらない。
シュシュ、と敷地内へ叫ぶと三秒で駆けつける我が家の番犬。
まあ、足が速いかと言われるとコーギーなので、だが。
ニータンは……まあ、こいつはいいか。
「この辺最近マジで獣が出るらしいから、あまり森の方には行くなよ」
「分かった!」
「任せろ! 行こうぜアル!」
「うん!」
ええええぇ、とクオンが不満そうな声を上げる。
だが、これでいいのだ。
あんな怪獣どもの相手を真面目にしていてはこっちが疲れる。
適材適所。
「さて、ファーラはルーシィを厩舎に連れて行くのを手伝ってくれ。ラナはニータンとアメリーとクオンを部屋に案内して昼食の準備よろしく」
「! ええ、分かったわ。クラナ、キッチンの使い方を説明したいし、一緒に来てくれる?」
「は、はい、分かりました」
「やーねー、敬語なんかいらないわよ! お姉様とお呼び!」
「えっ」
……それはなんか違うと思うんですが……。
「アラァ、じゃあアタシはユーフランちゃんが作り溜めているであろう竜石核の品質を確認させてもらおうかしラァ〜」
「くっ……。さ、作業小屋、いつもの場所にあるよ」
「ウフフ、了解ヨ」
ほい、と鍵を放り投げる。
まったくちゃっかりしてるよ、さすが。
「ファーラ」
声をかける。
かなり戸惑った様子。
しかし、手を差し伸ばした。
それに目を見開く少女。
「…………あたし、加護なし……」
「それがなに?」
「……」
見た目は普通の子どもだ。
彼女の方から触れないのなら、俺の方から手を繋ごう。
雨の日の、迷子になった森の中。
不安と、獣に襲われる恐怖の中で差し伸ばされた手は温かく心強かったな、と思い出した。
ああ、懐かしい。
「さあ、行くよ」
「!」
「働かざる者食うべからず」
「……」
手を繋ぐ。
ただそれだけの事だ。