二十一話
「にしても、なんでこのもふもふは独りだったんだろ」
むしゃむしゃと小柄なイノシシの魔物を頬張る『ウォルフ』らしき魔物を眺めながら、俺はそう話を切り出す。
魔物という種族は、あまりに我が強い。若しくは個が強かったりしない限り、纏まって動く生き物だ。
だから疑問に思う。
なんで、独りでこんなところにいたのだろうか、と。
「見たところ、食い逸れていたみたいだし……」
今でこそ、アウレールが折れて餌付けをしているものの、弱々しかった足取りから察するに、この様子だと随分と食にありつけていなかったのかもしれない。
「何か、ただならぬ事情でもあったのかもな」
「ただならぬ事情?」
そう尋ねると、ああと首肯し、アウレールは言葉を続けた。自然と関わり深い『エルフ』だからこそ、そういった事情には詳しいのだろう。
「外からやって来た魔物に狩場を奪われ、追い出された。もしくは襲われ、群れからはぐれた。そういった理由があるんじゃないか?」
「狩場を奪われた、かあ」
確かに、お腹を空かせてよてよてと歩き回る程、空腹に苛まれていた状態を考えるに、その言葉は確信をついている気がした。
「そうなの?」
なんとなく。
試しに食事中の『ウォルフ』らしき魔物にそう尋ねると、またしても「ガウっ」と、言葉に対して肯定するかのような返事が返ってきた。
「おおおおおー」
まるで意思疎通が出来ていると錯覚してしまう程のベストタイミングに、俺は感嘆の声をもらす。
「何がおおお、なんだか……」
「いやいや、どうみてもこれはおおお、しかあり得ないでしょ! 言葉を理解する魔物だよ!?」
「……多分それは気のせいだと思うが」
どうにも信じていないアウレールに向けて、ならばこれを見よとばかりにもう一度話を振る。
美味しい?
と、小ぶりのイノシシのお味を尋ねると、今度はぷいと顔を背けられた。
…………。
「……まあ、その事は一旦置いておこう」
「ソウダネ」
流石の俺もこれには言い返せなかった。
「とはいえど、何かがあった事は確かだろうな」
するとまるで、そうだ。
と言わんばかりに、ワォンと甲高く鳴いた。
ほらほら! やっぱり言葉分かるんだよ!
そう言ってはしゃぐ俺を余所に、
ずしん、と。
不意に槌打つような重々しい音が地面に伝った。
草木が、隠れていた小動物たちがさざめき立ち、異変をすぐに頭が理解をする。
遠間からでも目につく程大きな身体つきをした魔物らしき生物が顔を覗かせており、豆粒程度であったものの、その面貌には心当たりがあった。
「あー……、うん」
それは勘だった。
けれど、侮るなかれ。確信を抱いた勘である。
もふもふに夢中になるあまり、周囲への警戒を怠ってしまっていたが故の不測の事態。
下手うっちゃったかなあ。
などと思いつつ俺は即座に地図を広げた。
『
赤くマークされたその場所は、山の麓付近であった。
いやに見覚えのある地形。姿絵を気にするばかりで全く地図を確認していなかった自分に対して、辟易するも、過ぎてしまったことは仕方がないとばかりにくしゃりと乱暴に地図をしまい込む。
向こうから出て来てくれた。
そう思えばついてると言えるんだろうが、明日にしようと意気込んでいた事もあり、心境は複雑だった。
「なんだろ。これじゃあついてるのかついてないのか、分からないね」
ぽつり、ぽつり。
「どうする」
隣から声が聞こえてくる。
それはアウレールの声。然程、焦燥感に駆り立てられていない彼女の声音は、迎え撃とうが逃げようかどちらでも構わない。そう言っているようにも思えた。
「そりゃ、」
上空は暗雲に閉ざされており、僅かに薄暗い日の光か射し込んでいる程度。夜目が利く方ではないが、今はまだ問題なく見えている。
それに申し訳程度の日照は、僅かだろうがまだ続く筈だ。弱々しくとも、薄暗い光が今も尚、視界を照らしてくれている。
「迎え撃つに決まってるじゃん」
不敵に笑い、口端を愉悦に歪めて円弧に吊り上げる。
「よし。今回は俺が相手するからさ。……そこから動かないでよ。制御がまだ甘いから」
そう、俺はアウレールに注意を促して前へ歩み進めた。
こうして前に出て、自分の身一つで戦える。そんな奇縁に恵まれた俺であるが、それでも二年前と比べて失ったものは数知れない。
その一つに、視力がある。
夜目が利かないから当初は討伐を明日にする。そう取り決めをしていたが、実のところは違う。
夜目が利かない、のではなく、見えないのだ。
殆ど全く、暗闇の中が見えない。
明かりさえあれば辛うじて目は働くが、一面暗闇ともなると殆ど全く見えていない。目が慣れる、という段階が存在していないのだ。マクダレーネ曰く、凍結状態に一年置かれていた弊害じゃろう、と。
だから、さっさと終わらせる。
そんな考えを念頭に置いてまだ数十メートルは離れた場所にいる『
まるで亀裂が走ったような聞き慣れた音が耳朶を叩く。
そして跳躍した先に薄氷な足場が即座に形成され、それを踏み台として、もう一歩、もう一歩と俺は上空に向かって駆け走り、ものの数秒で『
「このワザは、あんまり好きじゃないんだけどね」
雨の日は、特に。
ほんの少しだけ、時間と共に降り注ぐ雨が強まってきていた事に苦笑いを浮かべながらも、天に向けて手を掲げる。
「でも俺が唯一、マクダレーネに勝てるとするならば、それは物量だったんだ。今や自分自身ですら正確に判断し切れていない魔力量」
はじめこそ、気を失って倒れたものの、その魔力量は日々を追うごとに拡大する一方。
魔力切れなんて状態にはクラウスと出会ったあの時を除いて経験をしていない。魔力量とは力に直結する。
量とは力だ。物量で押し込めば大抵の相手は斃せる。
「見たところ、強そうじゃん?」
——だから、遠慮は要らないよね。
掲げた手のひらから、視認できる程の冷気が発せられ、ひゅぅ、と辺りを風が疾り抜けた。
同時。
降り注いでいた筈の雨が突如として止む。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
数滴の雨粒が集まり、その水滴は細長の菱形を形成。鋭利な凶刃が如きソレは数瞬の間で量が倍加されて行く。常人ならば到底真似できない魔力量に物を言わせた荒技。
ものの数秒でそれは眼前一帯を間隙なく支配し尽くし、幻想風景を創り出していた。無数に広がる氷刃。
意思を込めた瞬間、全てを押し流すと錯覚してしまいそうな程に凄まじい勢いで万物を穿つソレ。
「『“押し潰せ—————』」
圧倒的な物量に物を言わせるソレから逃げる
視界に映る全てが氷の刃。
辺りに満ちた『氷』の全ては、俺の支配下。
物量に物を言わせた戦い方を好むがゆえに、アウレールのような技術が一向に身につかないのだと理解をしているにもかかわらず、やはり頼ってしまうのは圧倒的な魔力量。
さぁ、響声を上げよう。
吹雪け、吹雪け、押し潰せ。
穿ち、凍て付け、氷嵐に、曝されろ。
「『————
細長の菱形を模った切っ先が、遠く離れた『
「あまり時間がなくてね」
突然視界一面に広がった氷刃に身体を硬直させる『
「命のやり取りに卑怯もクソもないからさ。俺は嬉々として不意を打たせてもらうよ」
そして、天に向けて掲げていた手を振り下ろす。
「やっちゃえ」