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十九話

 鉛を張ったような曇り空。
 暗澹(あんたん)と蠢く雲は濃く濁っていた。
 もう少しすれば雨が降り出すかもしれない。
 そんな感想を抱いてしまうような天気。
 用事を済ませ、屋敷を後にした俺とアウレールは、いつの間にやら移り変わってしまった不機嫌な空模様の下、あてもなくほっつき歩いていた。


「人喰い虎、ねえ……」


 ツァイス・ファンカより『人喰い虎(ヴォガン)』の姿絵に加え、凡その拠点としているであろう場所がマークされた地図を受け取っていた俺は、手渡された姿絵を眺め、薄い苦笑を顔に刻む。


「虎、っていうより地竜か何かでしょこれ」


 どこか呆れ混じりにそう呟き、ポケットへと姿絵をしまい込んだ。
 体長は約10m程の魔物。
 息吹(ブレス)やら、何やらと攻撃手段は豊富ならしく、渡された姿絵を見る限り、その面貌は虎というより竜だった。


「ま、何だろうと斃すし、だからといって別に問題は無いんだけどね。そんな事より——」


 そう言いかけて、俺は翳るそらを見上げる。
 いつ雨が降り出してもおかしくない空模様を眺め、次いで溜息を吐いた。


「こっちの方が問題だよね」
「流石に雨の中の野宿は勘弁願いたいな」


 お金を稼ぐ為に依頼を受けたものの、現時刻は既にお昼過ぎ。俺自身、あまり夜目がきく人ではないと自覚があった為、『人喰い虎(ヴォガン)』の討伐については明日にすると決めていた。
 が、そうなると一日は何処かで過ごさなくてはいけないわけで。無一文の俺たちはどうやって金を稼ぐか。
 その問題に今まさに直面し、頭を悩ませていた。


「———そういえば」


 ふと、思い出したかのように


「いつだったか、ギルドは素材の買取を行っていると聞いたことがある。もちろん、真偽の程は定かでないが」


 現にほら、といつの間にやらギルドのすぐ側まで歩き戻っていた俺たちの瞳に映るひとりの冒険者。
 なにやら大きな魔物を担いで、ギルドへと今まさに足を踏み入れていた。


「ん……、言われて見ればホントだ」


 アウレールの言葉の信憑性の高さに、ほんの僅か目を丸くする。


「魔物の素材、かあ……」


 元々、魔物を討伐するような依頼を受ける気でいた。
 それが討伐から、素材の回収へ変わっただけ。
 空模様を見る限り、まだあと少しくらいは猶予はあるだろうという希望的観測を願いつつ、鷹揚と彼女の言葉に俺は頷いた。


「うん、いいね。それでいこっか」


 素材として受け取ってくれる部分の知識なぞもちろん持ち合わせちゃいない。
 が、それに関しては丸ごと凍らせて持っていけばさして問題はないだろう。と、一瞬過ぎった懸念すらも俺は無造作に押し退ける。


「確か、ベルトリア(ここ)に来る最中に『ジャヴァリー』みたいな魔物がいたじゃん?」
「……あー。私たちがご飯にしてたやつか」
「そうそう! 肉感あって美味しかったやつ。アイツなんてどうだろ?」



 『エルフの里』にいた『ジャヴァリー』とは異なり、獰猛さも凶暴性も希薄で、少し逃げ足の速いだけのイノシシめいた魔物。『ジャヴァリー』よりもふた回りほど小さなその魔物に俺は狙いを定めていた。


「まあ、選択としては悪く無いんだろうが……」


 すっきりしない言い方で、アウレールは俺を見据える。
 何やら物言いたげな視線を向けており、俺が「なんだよ」と不服げに尋ねるより先、その答えは鼓膜を揺らした。


「ナハトはあの魔物を一度も捕まえられてなかったような気がするんだが、それは私の記憶違いだろうか」
 

 言葉では尋ねかけているものの、確信を得ているアウレールは、意地悪い笑みを浮かべている。
 こ、コイツ……!!
 と、歯噛みしながらも俺は必死に自分を律し、冷静に努めて言葉を紡ぐ。


「あ、あれは偶々だし? ちょっと調子が悪かったと言うか……そ、そもそも! あたり一帯全部凍らせちゃえば何も問題な、しッ?!」


 ポカンっ。と、軽く頭を殴られる。
 きっとそれは、俺ならば冗談抜きでそうすると知っていたからこその一撃。


「ただ単にナハトの氷の扱いが下手くそなだけだろう。そんな事で何処もかしこも凍らせるな」


 そうされると後処理の方が面倒だ、と。
 彼女は深々とため息をもらす。


「ぐ……」


 言い返したい気持ちでいっぱい。
 しかし、アウレールの言葉に嘘偽りは無く、正論すぎて言い返す隙が何処にも見つからず俺はぐぬぬと眉をへの字に曲げて不満げに唸った。


 一見、氷の扱いに長けているように見える俺だが、アウレールの言う通り、普段(・・)の状態での扱いだけで言えば俺よりも彼女の方が数段は上である。


 『氷原世界』のようにあたり一帯を凍らせてしまえば、周囲に『()』という自身の一部がが張り巡らされる事となり、神がかった技量ですらも発揮出来てしまうのだが、普段の状態となるとその限りではない。


「り、リベンジ!! 今回こそは、俺がめっちゃ捕まえてみせるから!!!」
「はいはい」
「ちょ、アウレール俺の言葉を信じて無くない!? くっそ……今に見てろ、俺を本気にさせた事、後悔させてやるからね……!!」


 本気って、その言葉はもう何回も聞いたぞ。
 と、苦笑いするアウレールであったが、俺はそんな事は知らんとばかりに聞く耳を持たない。



 闘争心を燃やす俺は、少しばかり足早になりながらも目的地へと歩を進めるのだった。







 そして魔物を狩りに向かわんと、ベルトリアを後にする際。すれ違いざまに俺たちは声を掛けられていた。


「依頼かい?」


 声の主は、街の門番をしている男だった。
 入った時に門番をしていた人とは異なった男性。
 物珍しさからか、彼はアウレールに対して頻りに視線を向けていた。


 雰囲気からして商人ではない。
 かといって供もおらず、服装も貴族のソレとは程遠い。であれば、『冒険者』か、と。
 俺たちの風貌を目にし、そう結論付けていた門番の男は依頼なのかと口にしていた。


「いいや、違うよ」


 他愛のない話。
 普段ならば、きっと俺はここで話を切り、歩み進んでいた事だろう。が、今回の俺は、足を止めた。


「——あ、そうだ」


 肩越しに振り向きながら、ふと思いついたかのように今度は俺から話を振る。


「魔物の素材をギルドに渡せば、お金が貰えると聞いたんだけど……それって本当?」


 ここで漸く、門番の男の顔を視認する。
 何処にでもいそうな、平々凡々とした素顔。
 それでもあえて、抱いた印象を挙げるならば、狐のような男だと、どうしてかそう思った。


「———、」


 俺の質問が至極当たり前のものだったからなのか。
 少し、男は呆けた様子を見せるも、それは一瞬の出来事。すぐに調子を戻し、愛想笑いのような笑みを浮かべて言葉を続ける。


「ああ、本当さ。ただ、大半の素材は売値が安い。だから、『冒険者』という職業の者たちは依頼を受けるのさ。素材を売るより、依頼をこなした方が断然稼げるからね」
「ふぅん。成る程ねえ」


 だったら少し多いくらいで丁度良いよね。
 雨が降り出すギリギリまで粘ってみようかな。
 などと、方針を人知れず変更する俺はもう用は済んだとばかりに背を向ける。


「ありがと。助かったよ」


 礼を告げて、去ろうとしたその時だった。


「あそこの山、見えるだろう?」


 そう言って、門番の男が指差したのはここから比較的近くに位置する小さな山。


「少し凶暴だが、ギルドが比較的高くで素材を買い取っている狼の魔物がいる。名を——『ウォルフ』。白い毛並みの魔物だから、見れば一目瞭然さ。丁度、あそこの山の麓付近にいるらしい」
「へえ」
「力に覚えがあるなら、狙ってみてはどうかな」
「そういう事なら、覚えとくよ」


 門番の男を尻目に、話をしていた俺は今度こそ、その場を後にする事にした。
 ちらりと、最後に一瞥した男の表情。
 加えて、視線の濁りに、どうしてか俺は心当たりがあった。


「……似てる、なあ」


 ツェネグィア伯爵領で、奴隷商人をしていたあの肥えた男に、とても良く似ていた。


「あぁ、くそ」


 数歩離れ、門番の男に聞こえないだろうと踏んでから、忌々しげに言葉を唾棄する。
 何もかもに対して、穿った見方をしてしまう。疑ってかかってしまう。何処からどう見ても人間不信だ。笑えるくらいに、何もかもを訝しんでいる。
 そんな自分にどこまでも嫌気がさして、自虐めいた言葉を吐き捨てた。


 常人とは異なった生を歩んできた弊害なのか、俺は人の視線や感情に敏感だ。
 それも、負に傾いている場合であれば、それは更に加速する。


「薄々勘付いてはいたけど、ほんと厄介な性格になっちゃったなあ……」


 髪の毛をくしゃりとさせながら、濁った曇り空を仰いだ。それは少しだけ、俺の心模様と似てるような気がした。


「それの、何が悪いんだ」
「ん?」
「こんな世界なんだ。私は、そのくらいで丁度良いと思うぞ」


 俺のひとり言を聞いていたのか。
 慰めるように、アウレールが隣で口を開いた。


「……たしかに、そうだなあ」


 こんな、世界だ。
 優しくないこの世界ならば、きっと、このくらい疑い深い方が生きやすい気がする。
 アウレールに言われると、余計にそう思えた。


「誰も彼もを信じられる。確かにそれは美徳だろうが、それは美徳であって、必ずしも正しい考えではない。正しい答えはいっぱいあるだろう。目に見えず、手にも触れられず。だからこそ、考えに付き纏う正解など、星の数ほどある。私はそう思うがな」


 恐らく、ナハトの抱くその考えもまた答えの一つだと。
 彼女は言う。


「無理に他者を信じる必要もないさ。もっとも、私もあの男から向けられる視線には不快感を抱いていたところだ。私は見世物などではないと言うのにな、全く……」


 かすかにとげとげしい様子を表情に残しながら、アウレールは辟易した。


「あは、アウレールもやっぱそう思ってたんだ」
「ああいう視線は私も苦手なんだ」


 そう言うや否。
 弱点見つけたり! と言わんばかりに俺はアウレールへ視線を向け、にたにたと笑んでみせながらジッと眺める。


 すると、彼女は俺の目論見を悟ったのか。
 呆れ混じりに笑いながら、


「残念だったな。欠片も似てない」


 どうやって悪戯してやろうか。
 そんな事を考えながらの凝視は見事に玉砕。


「なぁんだ。ちぇっ、つまんなー」
「お前はそのままで良いよ。というより、そのままでいてくれ」


 何か面白い反応でも見れると思ったのに。
 そう言うより先に、アウレールの手が俺の頭上へと伸び、いつも通りわしゃわしゃと軽く撫でられる。


 ま、……俺はアウレールがいればそれで良いし、言われずとも変える気なんて更々ないんだけどね。
 と、思いはするも、少しだけ言葉にするのは気恥ずかしくて。


 俺は密かに言葉を胸に秘め、頭から伝わる心地良い感触を思う存分堪能する事にした。

 

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