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変わりゆくモノ3

 上空に飛ばされた漆黒の存在は、まだ少し幼さの残る顔立ちの女性の方をじっと見下ろす。
 それは黒い靄の塊のような姿ではあるが、それでも人の形をしているのが辛うじて解る程度には、手足と顔に当たる部分が輪郭を描いている。
 そのまま上空で止まりながら漆黒の存在が女性を観察していると、女性は虹色の輝きを集めて楕円形の塊にしていく。それを興味深そうに眺めていた漆黒の存在へと、女性は虹色の輝きを放った。
 勢いよく飛んでくるそれを眺めながら、漆黒の存在は横に回避する。通常であれば射線上から退避すれば攻撃は当たらないのだが、飛んできていた虹色の輝きは、漆黒の存在が避けた方へとほぼ直角に進路を変える。

(追尾型か。中々に高度な魔法だ)

 眼前に迫ってきている虹色に輝く光弾を前に、漆黒の存在は冷静に観察を行っていた。
 そのまま光弾が漆黒の存在に直撃すると、漆黒の存在の鳩尾辺りから下が消滅してしまう。しかし、漆黒の存在はそんな事など気にせずに、威力も十分だと感心する。
 それからすぐさま女性が次弾を準備して放ってくる。回避不可能なそれを眺めながら、漆黒の存在は小さく口元に笑みを湛えた。
 黒い靄の様なそれの笑みなど、普通は分からない。それも消える間際の一瞬だけの笑みなので、捉える事も難しかっただろう。しかし、最後まで油断なく観察していた女性は、どうやってかその笑みをしっかりと捉えていた。
 口元に笑みを湛えた直後、漆黒の存在に光弾が直撃して消滅する。最後は実に呆気ないものであったが、それを確認した女性は、気を引き締めて次の行動に移った。





 光射さない闇の中で、ジュッと肉の焼けるような小さな音が響く。

「おや? 失敗ですか?」

 その音を聞いて、聞き惚れてしまいそうなほど透き通った女性の声が小さく問い掛けた。

「まぁ、失敗なのかな」

 その声に、肘から先が消えた片手を眺めながら、思案するような声で返答があった。

「珍しいですね。貴方が失敗など・・・それほどの相手が異世界に?」
「いや、異世界でやられはしたが、やったのは異世界の者ではなく彼女だよ」
「ああ、最近何やら籠ってやっていたようですからね。詳細は分かりませんが、その成果ですか?」
「おそらくな。随分と強くなっていたよ」
「まぁ、それは良い事です」

 美しい女性の声が満足そうに言ったのを聞きながら、消失していたはずの肘から先の部分が黒い靄で覆われるとそのまま形作り、あっさりと真っ黒の腕が復活する。
 復活した腕や手を軽く動かして調子を確かめると、腕の持ち主は問題なしと頷く。

「戻りましたか?」
「ああ。これぐらいはな」
「そうですか。それでも消滅までさせるとは、期待が出来そうですね」
「そうだね。彼女は力なんて全然出していなかったから、とても期待出来るよ」
「勝てそうですか?」
「同じ攻撃ならもう効かないかな」
「そうですか。それで? あれはどんな攻撃をしてきたので?」

 腕の主の答えに、美しい声の主は興味深げに問い掛ける。それを聞いて、どう説明すればいいかと腕の主は軽く思案すると、口を開いた。

「目覚まし攻撃だったな」
「目覚まし攻撃?」

 自分で言っておいて、中々に的を射ているとばかりに大きく頷くと、美しい声の主の疑問に説明を始める。

「君も知っている通り、魔法というのは世界を騙して現象を起こす方法だ。それでも世界と言うのは強大なので、局所的に僅かな時間騙すのが精々だ」
「ええ。ですから、大抵の魔法には時間という制約があるのですから」
「そして、私達の使う魔法は、それを少しでも緩和する為に手を加えたものだ」
「そうですね。通常魔法の現象の置き換えや、天使族の書き換えも時間の制約は同じですから」
「ああ。魔力を魔法として置き換える方法も、眼前の理を強制的に書き換える方法も、結局は世界に直ぐに見つかってしまうから、魔法の効果時間は極めて短い。それに燃費も悪い」
「ええ。それが?」
「その分、私達の時間遡行型魔法とでもいうべき方法は、猶予がかなりある訳だ」
「元々それが存在していたという前提にする魔法ですからね。世界が気づくのが大分遅い。流石に我が君の様な世界を支配して強制的に認めさせる方法は出来ませんが、世界を書き換える中では優秀な方だと思いますよ・・・なるほど。それを世界に知らしめる攻撃という事ですか?」
「はは。相変わらず聡いね」
「それは目覚まし攻撃というよりも、密告攻撃では?」
「そうとも言うな!」
「まあ何でもいいですが、それはそれは厄介な攻撃ですね」
「そうでもないぞ?」
「そうなんですか?」
「ああ」

 不思議そうに問い掛けた声に、勿体ぶるように腕の主は僅かに言葉を溜める。だが。

「・・・ああ、事前にこちらから世界に通知しておくつもりで?」
「・・・・・・」

 先に答えを言われ、腕の主は溜めた言葉を発せずに飲み込む。それに気づいた美しい声の主は、呆れたように息を吐く。

「そこまで解れば、それぐらいは誰でも思いつくでしょうに。他にも幾つか方法もありますし、事前に知っていれば確かに脅威ではないですね。しかし、それは力を出していない状態での攻撃なのですよね? では、その先があると考えるのが妥当では?」
「・・・君は本当に聡いな」
「貴方が無駄にはしゃぎすぎなだけです。そこまで外に出たかったのであれば、色々仕事を回したのですが?」
「それは君や他の者の仕事だろう? それに、わざわざ仕事でなくても外には出られるとも」

 その少々拗ねたような物言いに、美しい声の主は再度呆れたように息を吐いた。

「貴方にもそういう幼いところがあるのですね」

 美しい声の主がそう言うと、今度はもう一方の声の主が呆れたようにため息を吐いた。

「私は元々君の半身だったのだよ? 当時の君の性格を大分継承しているのだ、その中には当然幼い部分も含まれているさ。これでも、今の君よりかはマシなんだよ?」

 呆れ混じりながらも言い聞かせるような口調に、美しい声の主はムッとしたように黙ってしまう。

「ほらね。そういうところだよ」

 そんな相手に呆れながらそう指摘した後、声の主は黒い手に視線を落とす。
 視線の先の黒い手は、先程消失していたとは思えないほどしっかりとくっついており、繫ぎ目なども見当たらない。周囲と同じ色で同じように傷痕一つ存在しないので、これが新しい手だと言っても誰も信じないだろう。
 片手、それも肘から先だけではあるが、それでも持ち主の分体だ。能力がかなり下がったとしても本体の実力が非常に高いので、普通であれば倒す事など不可能。

(しかし消滅までさせられた。元よりそれなりの実力者ではあったが、消滅させられるほどではなかったはず)

 分体を倒した相手を思い出し、腕の主はふっと小さく笑う。
 元々腕の主が分体を使ってまで異世界を調べようとしたのは、世界の変革の為。その何かしらの手掛かりでも掴めればと考えていたのだが。

(思わぬ収穫だ。世界の変革を終える前に自らを変えるなど。異世界を調べるよりも、あれを参考にした方がずっと得る物がありそうだな。あの方が創った肉体を与えられただけはあるという事か。少々軽んじていたようだな)

 楽しげに口の端を持ち上げたところで、先程まで拗ねていた美しい声の主が、そんな事はなかったとばかりにいつも通りに声を掛けてくる。

「そういえば、あれはどうやって急に強くなったのですか? 少しの間引き籠っていたのは確認していますが、中で何をしていたのかまでは把握出来ませんでしたし」
「ああ、詳細は知らないが、同族を喰ったらしい」
「というと妖精を? しかし、残りの二人は無事ですが?」
「いや、精霊の方」
「なるほど。しかし、いくら同族とはいえ、精霊をどれだけ食べようとも強くはなれませんよね? 根本は似たようなモノですし、結局は魔力を取り込んだのと同じですから」
「そうだね。だから詳細は知らないさ。だが、本人も肯定していたし、あれの中から別の力を感じた」
「ふむ・・・」
「ああそれと、あれは既に別の存在になっていたよ」
「進化ですか?」
「いや、あれは根本から新しく組み直したといった方が正しいかもしれないな。全くの別物になった訳ではなかったが、それでも違っていたよ」
「なるほど・・・異世界から帰ってきたらじっくりと観察してみましょうか」
「出来るならな」
「・・・そうですね。分体とはいえ貴方を消したのですから、姿を消すぐらいは出来るでしょう」

 さてどうしたものかと呟く声を聞きながら、黒い手を擦った後にそれは歩き出す。
 突然の行動だが、それについて問う声は聞こえてこない。何処へ行き、何をするのかはもう一人も把握している事だから。
 真っ暗な世界を進みながら、それは下へ下へと下っていく。
 周囲の様子は黒一色なれど、それの目にはしっかりと周囲の様子が映っている。
 暗く深い大穴の縁を伝うように、僅かに出た段となった足場だけが螺旋を描き下へと延びるそこは、手すりなどの安全性に配慮したものは一切ない。
 足場も数十センチメートル程度の突き出した石だし、どんどん下りると下から嘆くような声や悲鳴などが昇ってくる。
 それを楽しげに聞きながら、コツコツと音を立てて延々と下っていくも、途中で飽きたのか、それは大穴へと身を投げて落下していく。
 自由降下でどんどんと速度が増すなか、足下から昇ってくる怨嗟の声も大きくなっていく。それでも中々底へと到着しない。
 一体下りるのにどれだけの時間を要した事か。ようやっと到着した大穴の底は、ゴウンゴウンと何か重そうな者を引かされている者と、それを監視する者とが集まっていた。
 監視していた者はちらと下りてきたそれへと目を向けるも、すぐさま監視に戻る。それだけで先程よりも監視がきつくなったような気がした。
 しかしそれは気にせずに、そこから奥へと歩いていく。
 奥の方には赤々と照らす横穴が遠くに見える。周囲の悲鳴や怨嗟の声などを心地よさそうに聞きながら、それは横穴を目指す。
 結構な距離があったが、それの移動速度がとんでもなく速かったので、程なくして横穴に到着する。その横穴の先には溶岩の海が広がっていた。
 その煌々と照らす真っ赤な光に映し出されたそれは、全身を真っ黒な靄に包まれたような姿をしているが、境界が曖昧なだけで人型をしているのは直ぐに解る。
 そんな姿のそれは、熱さなど気にも止めずに溶岩地帯を歩いていく。それにとっては溶岩の上でさえ、普通の平地と変わらない。
 溶岩の中には何かが棲んでいるようで、時折細長い影が目に映る。しかし、それへとちょっかいを掛けてくる事は無いし、それも全く気にも留めない。
 それから暫く歩いたところで、それは奥に在った横穴の一つに入っていった。
 横穴の中は狭く、人一人が通るだけで精いっぱいの細く短い通路があり、その先にはこれまた狭い部屋があった。
 その小部屋は岩肌むき出しの部屋で、中央に青白い光を放つ複雑な模様が浮かび上がっている。
 それはそのまま小部屋の中央まで歩み出ると、青白い輝きを放つ模様の上に移動してその上で立ち止まった。

「時が終わり始まる園へ」

 小さく呟き僅かに魔力を放出すると、一瞬でそれの姿はかき消える。
 次にそれが現れたのは、何処かの庭のような場所。
 足下には鮮やかな緑色の芝生が生えており、少し離れた場所には色とりどりの花が咲いている花壇があった。
 遠くに真っ白な建物が確認出来るも、あまりにも距離があるのかとても小さい。周囲には遊具も少し見受けられるも、人の姿は何処にもなかった。
 まるでそこに居た者達が一瞬で消失したかのような穏やかな景色を確認したそれは、建物とは反対側へと歩いていく。

「さて、今回はちゃんと居るのやら」

 そう呟きながら歩いていると次第に芝生が無くなり、荒れた大地がむき出しになってくる。茶褐色の土に、そこら中に転がっているこぶしより一回り小さな石。地面には草の一本も生えておらず、そこには荒涼とした寂寞感しか存在しない。
 周囲にはやはり誰も居ない。遮る物が何も無いので、誰か居れば直ぐに判りそうなものだが。
 天上には太陽らしき明かりが燦燦と照らしているが、それは明るいだけで温かくはない。
 そんな場所を歩いていくと、僅かに川の流れるような音が聞こえてくる。音に誘われるように、それはそちらへと進路を変更した。
 暫く歩いていくと、川に行き当たる。
 幅は十メートルほどだろうか。流れはやや速いものの、流れる水は透き通るように美しい。水上から見た感じだと深さはそれ程でもないのだが、その川の中を人や動物などが流れているところをみるに、見た目に反して深さはかなりあるのだろう。
 周囲を見回すも、橋のようなモノは見当たらない。誰も利用していないのだからそれが当然なのかもしれないが、渡ろうとするには不便である。周囲には木の一本も生えてないので、簡易的な橋も造れそうもない。

「しょうがない」

 それはそう呟くと、空を飛んで対岸へと渡る。
 対岸も同じような荒れた場所だが、遠目に途中から色が変わっているのが分かる。それはそこを目指して進んでいく。
 暫くして到着すると、その境目から先は一面真っ白で、まるで雪が積もったかのようだ。
 遠くに何やら小さな盛り上がりが確認出来るが、よく見ればそれが白亜の城だと分かる。

「大人しくあそこに居ればいいが」

 ため息交じりにそう零すと、それは白亜の城目指して移動していく。
 一面真っ白のそこには遮る物は無いものの、同じく真っ白の生き物が確認出来る。
 大きな白い箱に白い脚を沢山生やした巨大な何かが歩いているかと思えば、足下にはうねうね動く紐の切れ端のような白い何かが多数蠢いている。
 ぴょんぴょん跳ねる白い袋がいれば、空飛ぶ白い石像も視界に入った。どれもこれも真っ白だが、見た目が奇妙なだけで襲ってはこない。
 城への道はかなり長く、見た目以上の距離があった。
 やっと到着した大きな城は真っ白で、汚れが一切見当たらない。
 高さは百メートルはあろうか。天を貫かんとするように高く高く聳えている。
 しかして城の幅はそうでもなくて、数十メートルほどしかない。
 入り口は大きな門で、二人の貧相な兵士が護っている。やはり兵士も真っ白で、手に持つ武器もまた白色。
 顔も何もかもが白い兵士は、近づいてきた反対に真っ黒なそれへと問い掛ける。

「ここに一体何用か!」

 ただ大きな声での問い掛けに、真っ黒なそれはゆっくりと距離を詰めながら返答する。

「ここに姫は居るだろうか?」

 真っ黒なそれの声は決して大きくはなかったが、それでも頭の中を引っ掻くような不快さに、兵士は思わず頭を押さえて蹲る。
 それを見た真っ黒なそれは「ああ、ごめんよ」 と軽い調子で謝罪した。
 今度の声は普通の声で、むしろ耳に心地よい。兵士はよろよろ立ち上がると、門を示して先程の問いに答える。

「ひ、姫なら先程出ていきました!」

 それを聞いた真っ黒なそれは、疲れたように息を吐いた。

「そうか。教えてくれて感謝する。何処に行ったか分かるかな?」
「行き先はまでは分かりません。それでもいつもの様に出ていかれました!」

 兵士の答えに足を止めた真っ黒なそれは、一瞬考え「ああ、そうか」 と声を漏らすと、城を迂回するように足の向きを変える。

「それだけ判れば十分さ。世話になったよ、感謝する」

 言葉を残して歩いていくそれに、もう一人の兵士が思い出した様に声を上げた。

「姫を見つけたら、大臣が探していたとお伝えください!」

 そんな兵士の言葉を背に、真っ黒なそれは軽く手をひらひらと振って了承の合図とすると。

「今度は何をやらかしたのやら」

 誰に言うでもなく、一人呆れたように呟いた。





 人は死後の世界というと、どういったところを思い浮かべるのだろうか?
 真っ暗でじめじめした場所だろうか? 月夜の大河のような神秘的な場所だろうか? それとも地中深くの人智の及ばぬ場所だろうか? もしくは緑豊かな明るい場所? 争いのない平和な場所? 美味しい物が大量に在る楽園? 一体どんな場所を想像するのか、それは人に由るのだろう。
 現在真っ暗なそれが歩く真っ白な場所は、その死後の世界の一部。
 死後の世界を支配している女王めいが住まう山も死後の世界なのだが、死後の世界の大本はこの広い世界だ。
 この世界はとても広く、めいが住まう山が存在している世界でさえ、この真っ白な場所よりも小さいぐらい。そして、この真っ白な場所は、死後の世界の中ではあまり広くはない場所だった。
 そんな場所を歩きながら、真っ黒なそれは確かな足取りで目的の場所を目指す。
 どれだけ長時間歩いても、この世界が暗くなる事はない。頭上で輝く何かは太陽の様に移動したりしないので、沈んだり昇ったりはしないし、雲が空に出る事もない。常に明るいが、太陽ではないから暑くはなく、ただ明るいだけだ。
 この世界の気温は、人によって異なる。同じ種族で生前同じ環境で育った者でも、焼けそうなほどに熱いと感じる者もいれば、凍りそうなほどに寒いと感じる者も居る。または丁度いい温度だと感じる者だって居るだろう。
 それは温度だけではなく明るさもで、刺すように眩しいという者も居れば、何も見えない程に真っ暗だという者も居る。これはその者が生前犯した罪の重さによって変わってくるようだ。
 真っ黒なそれのように死してこの世界に来たのではない者にとっては、この世界は温暖でただ明るく何処までも広いだけの場所であり、住みやすそうとは思わないが、それでも住みにくそうとは思わない場所。
 奇妙な生物を目にしながら、真っ黒なそれは目的の場所を目指して進んでいく。
 遠い遠いその場所は、普通の者なら幾日も幾日も必要なのだろう。しかし歩いているそれは普通ではないので、一時間と掛からずに到着する。そもそも死後の世界に来てからここまでで、既にそれは生前の世界の端から端までの距離ぐらいは移動している。ただ歩いているだけだというのに、もの凄い速さだ。
 勿論これもそれが死んでいる訳ではないからだが、それが尋常ではない速度で移動しているのもまた事実。
 この世界では温度や明るさだけではなく、距離も重さも何もかもが罪の重さによって変わってくる。罪深き者はその者にとってより苛酷な環境に感じるだろうし、罪の軽い者は過ごしやすい環境に近づく。もっとも罪なき者など存在しないので、この世界に永住したいと思えるような快適な環境で過ごす死者はこの世界には居ないのだが。
 真っ黒なそれが到着したのは、ひっくり返したような真っ白な高い木が整然と立ち並ぶ場所。
 その木の一本の根元に、一人の少女が立っていた。
 少女は真っ白な木の幹に触れながら、高い高い木を見上げている。
 その少女は半分が真っ白で、半分が真っ暗であった。

「やっぱりここに居たか」

 それがそう呟いて近づくと、少女も気づいて顔を向ける。

「あらあら、こんなところで珍しい」

 芯から冷えるような冷たい声音で、少女はそれへと声を掛ける。顔は無表情ではあるが、口の端は僅かに上がっているので、笑みを浮かべているのだろう。

「こんなところまで君を探しに来たのだよ」

 そんな少女へと、少々の皮肉を込めてそれは返答する。
 しかし、少女は冷たい声で「ははは」 と抑揚のない声を漏らしただけで気にしていない様子。
 そんな様子に呆れながらも、それは少女へと用件を告げる前にそれを伝える。

「ああそうだ、大臣が君を探していたようだよ」

 門番の兵士からの言伝に、少女は僅かにびくりと肩を跳ねさせた。
 それを相変わらずの反応だと愉快そうに眺めた後、「城に戻るぞ」 と告げる。

「あんな場所に戻るのなんて嫌よ」

 しかし少女はそれを拒絶して、そっぽを向く。頬を膨らませてはいないが、幻視出来そうなぐらいには子どもっぽい仕草だ。
 そんな少女に、それはやれやれとばかりに息を吐くと、もう一度「城に戻るぞ」 と告げる。
 だが、少女はそっぽを向いたきり動こうとはしない。そんな少女に再度息を吐くと、それは頭の中をぐちゃぐちゃにかき回すような不快な声音で一言告げた。

「それは女王への反逆か?」

 その一言に、少女はその場で倒れてしまいそうなほどガタガタと震えて、首がちぎれ飛ぶのではないかというぐらいにぶんぶんと首を横に振る。

「ならば言う事を聞け。お前は女王の所有物。多少の我が儘は見逃すが、仕事はきちんとしてもらわねば困る。まだ私が来ている内にその意識は改めておけ」

 今度は勢いそのままに、壊れたように首を縦に振っていく。
 それを見たそれは一つ静かに頷くと、先程までの奇麗な声音でもう一度告げた。

「城に戻るぞ」

 それに少女は「はい」 と緊張しながらもはっきりと告げて、今度は大人しく付いてくる。
 そんな少女に、真っ黒なそれはやれやれとまた息を吐き出した。





 二人は真っ白な世界を歩きながら、城を目指して進んでいく。その道中、少女はおずおずと前を歩く真っ黒な相手へと声を掛ける。

「そ、それで、今回はどのような御用向きでしょうか?」

 少女の問い掛けに、真っ黒なそれは首を少し捻って少女を視界の端に収めると、直ぐに顔を戻して前へと向き直る。

「今回のは大した用事ではない。住民を少し取りに来ただけだ」
「そ、そうでしたか」
「ああ。女王よりここの管理を任されているお前がちゃんと城に居ればもう終わっていた用事だ」
「そ、それは、大変申し訳なく」
「そうだな。そろそろ学習するべきだ。もうお前はこの地の支配者などではなく、ただの管理代行だ」
「・・・・・・はい。心得ております」
「ふむ。つまり理解して尚、あの失態と。それも何度も。・・・とりあえず管理される側に降格するか?」
「い、いえ! 滅相もなく!! あ、いや、申し訳ありません。今後気をつけます」
「それは前回も聞いたな」
「・・・・・・申し訳ありません」

 小刻みに身体を震わせながら、ただでさえよくなかった顔色が更に悪くなる少女だが、真っ黒なそれは全く気にしていない。むしろ呆れと共に僅かではあるが苛立ちを覚えていた。
 やはり身の程に合った身分にするべきだったのではないか? そんな考えも浮かんでくる。
 真っ黒なそれの後ろを付いてくる少女は、かつてヘルという名で呼ばれていた。
 現在死後の世界を支配している女王めいの前に死後の世界を統治していた女王で、めいによって一度殺された存在。
 それによって死後の世界の女王はめいに代替わりしたのだが、その後めいはヘルから名と地位を奪ったうえで、新たな名と地位を与えたうえで死後の世界の一角に封じた。
 とはいえ、実際のところ存在としては他の死者と同じであるのだが、死後の世界を元々統治していたので死者の管理者として丁度良いと、めいが己の代行の一人として置いているだけだ。
 もっともその権限はほとんど無い。やっている事は、やってきた死者の生前の名前や役割などを記録するのと、死者が死後の世界から出ていく際の手続きぐらい。つまりは、死後の世界で死者の数を管理しているだけ。それも大半を別の者がやっているので、この少女は実質ただのお飾り。
 死者の罪については、世界が勝手に判断して勝手に裁いてくれるので、干渉する必要も隙もない。
 それでも死者を連れていく際には少女に直接通達しなければ連れていけないので、今回の様に死者を世界の外へと連れていく際には居てもらわなければ困るのだが。
 例外は、死後の世界全土の支配者であるめいが連れていく時ぐらい。めいの場合は、死後の世界全ての最上位権限を有しているので、思うがままに事が行えるのだ。
 そういう訳で、真っ黒なそれの後を付いてきているこの少女は、めいに一部権限を貸し与えられているだけの死者でしかない。なので、代わりなぞいくらでもいる。この世界には大量の死者が居るし、今後も増えていくのだから。
 だというのに、この元女王である少女は、かつて女王だった時の感覚が抜けきらないようで、ちょくちょく城を抜け出しては怠けて休んでいるのだ。
 いくらお飾りとはいえ、仕事なぞ山のように在る。それを片付けても問題はない。いや、むしろお飾りでやる事がない分、それを片づけるべきであった。めいはそんな煩わしい雑事に構っている暇がないからこの世界に代行を置いている訳だし。それ以外の重要な部分は、依然としてめいがしっかりと管理している。

(とりあえずこの事は報告するとして、提案としてここの代行の交代を申請しておくか。大臣の方がまだ仕事をする)

 因みにこの大臣だが、かつてヨルムンガンドという名で呼ばれ畏れられた大蛇である。今では新しい名と人と同じ姿を与えられて、しっかりと働かされているのだ。少し前まではフェンリルと呼ばれていた巨狼も同じ待遇で城に詰めていたのだが、今ではフェンリルという名を戻されて、姿を少し弄られた状態で生前の世界で働かされていた。
 彼、彼女らは分類としては一応魔物ではあるが、特別な魔物なので消滅しなかったらしい。
 そんな大臣達だが、主に膨大な量の情報の管理を担っている。だというのに、量としてはそれ程ではないとしても、この管理代行の仕事までも押しつけられているのが現状だ。流石に死者を外に連れ出す決裁までは許されていないが。
 まだ大臣の方が身の程を弁えていると思いながら、城を目指す。何にせよ、まずはこちらの方が先決だ。
 少女は申し訳なさそうに付いてきているが、きっと真っ黒なそれが戻れば直ぐに元に戻る事だろう。これで何度目か数えるのもやめたほどなのだから。
 真っ黒なそれが向こうの世界に戻ってからやるべきことを固く決めたところで、城に到着する。いくら移動速度が速いとはいえ、相変わらず距離というモノが曖昧になっている世界だった。
 真っ黒なそれが姫を連れて城に戻ると、門番が歓迎の言葉と共に門を開けさせる。これが先程と同じ門番かは誰も彼もが真っ白なので見た目には分からない。もっとも、真っ黒なそれは門番なぞに興味が無いので、いちいち記憶もしていないが。
 そうして開門した門を姫と共に潜ると、直ぐ目の前に在る城に到着する。
 城の前では幾人かの人影があったが、それの一つを目にした姫は、思わずばつが悪そうに顔を逸らした。

しおり