エピローグ 帝都内・軍人とヤクザ
「どうやら全て
「そうね〜。生物兵器なんて、過激派のやることは想像もできないわ」
「困りますよ、ああいうバカは。この街には縄張りがあるのだということを理解していらっしゃらない」
「それで、それっぽい男を一人捕まえたんだって?」
「えぇ、
「ありゃぁ、それは『不運』だ。事故で死んでた方がよっぽど幸せだったよ。ソイツが両手の爪全部くらいで喋ればいいけど」
「口さえ
薄暗い路地裏で、
片方は黒スーツに赤いシャツ。色のついたメガネが一見ホストにも見える堤凪沙。
もう一人はホワイトスーツにグレーのコートを羽織った、一見上流のビジネスマンのような男。知的な眉と流した黒髪に、清潔感と上品さが感じられる。
「
薊と呼ばれた男は怪しく笑う。堤とはまた違ったタイプの底の見えない男だ。本心を隠すために笑う二人の男は、壁に背を預けて世間話とも仕事ともつかない雰囲気で会話を続ける。
「約束通り、この前警察が捕まえちゃったキミんとこの
「ありがとうございます。その辺の
「警察も闇は深いからねぇ。お偉いさんを
「私が言うのもなんですが、あまり派手に動くと足が付きますよ」
「実際にやったのはその日暮らしのホームレスさ。俺の名前も顔も知らない。金で
「悪いお人だ」
「国一番のヤクザの
堤は楽しげに目を細めた。
薊は、帝都に拠点を置く武装ヤクザ・
その実権の全てを握る男は肺の中の煙を吐いてから、堤を『睨むように』笑いかける。薊という男はいつも、目は笑っていない。
「なにを言う。
「ありゃりゃ、そうかな?」
「まさか私とコンタクトを取る為に組の抗争まで起こさせるんですから。貴方が黒幕と知った時には随分頭のイカれた方だと思わず声を上げて笑ってしまいました」
「それ、褒めてないから〜」
「いえいえ、我々ヤクザの最高の褒め言葉です」
二人の間には、一見友好的な空気が流れている。が、絶対に踏み込ませないし踏み込まない一線をお互い明確に感じ取りながらの、駆け引きのような会話だった。
「頼まれていた件、こちらもすでに完了しております」
「ホントありがとね〜。迅速確実誠実! 薊さまさまですよぉ」
「ヤクザの仕事を水道の工事業者のように言うの、貴方くらいのもんですよ」
短くなったタバコの火を手持ちの携帯灰皿で消して、薊は今回の堤の『頼み事』についてより詳しく補足した。
「先日
薊が各地に送っている部下は、薊のネットワークの役割を果たしている。
軍人が個人で繋がるヤーンよりも余程広大で強力な繋がりを持つ薊のネットワークは、堤にとって魅力的だった。だから何人も犠牲にし、自身も命を懸けて薊と協力関係になったのだ。
「情報操作は早急に手を回しておりますので。しばらくすれば今回の事件の犯人像が『
薊は携帯灰皿を
煙を吐きながら受け取った堤は、それを食い入るように見た。
ピンボケもしているし真正面から映したものではないが、なんとなく人物像が浮かぶくらいにはバッチリと写真の
白い肌、白い髪。辛うじて男だとわかる。なんとなく笑っているように思える口元。いや、そう見えるのは堤だけかもしれない。
「カメラはすでに破壊して燃やしました。口止めもしてあります。余計なことはしないでしょう」
「腹を空かせた獣はすぐに口を開けるもんじゃないの?」
「ご安心ください、他の
「あははっ、なにそれサイコー! やっぱ俺なんかよりよっぽど悪党じゃーん」
「それが
それから、なんとも微妙な顔をした。心情は読めないが、悪い顔であるのは間違いない。薊は内心で『この男もよくやるもんだ』とある種の
「写真なんて、厄介な技術が復活したもんだよ。今じゃ一般市民だってカメラを持てる時代なんだから」
「時代はどんどん進みますね。私が若い頃なんて、写真屋に撮りに行くのがせいぜいでしたよ」
「油断すると言い逃れのできない尻尾を掴まれるってことだ。薊も気をつけなよ」
「その言葉、そのままお返しします。そうだ」
そこで薊が、少し声のトーンを変えた。
「先ほど、偶然ですが例の彼に会いましたよ」
「あ、みやもっちゃん?」
「えぇ、一年前のテロリスト処刑場襲撃事件で、唯一生き残った警察官」
「あの子、厄介なんだよねぇ」
「おや、貴方がそこまで警戒するなんて珍しい」
薊にしてみれば、なんて事のない普通の少年に見えた。組織単位で相手をすることもある堤からすれば、そこまで手を焼きそうな人物ではないように思えたのだ。
堤は困り半分、おもしろ半分のような、この男特有の声音を出す。
「まさかと思って警察に探り入れたら、案の定よ。犯人捜して何度も警察の捜査資料室に出入りしてる」
「なるほど、だから自分の手元に置いているわけですか。下手なことをしないように」
「そそ、いやぁ幸運だったよ。どんな手を使って軍に引き抜こうかと考えてたら、向こうから来てくれるんだもん。あとは
「それは本当に幸運でした。貴方なら、彼一人を引き抜く為に町一つくらい戦場にしてしまいそうだ」
「場合によるけどね〜」
会話が途切れたタイミングで、さてと声を上げた薊は壁から背を起こす。
「私はこれで失礼しますよ」
「はぁーい。またヨロシクね」
「こちらこそ」
ヒラヒラと手を振る堤に軽く振り返して、薊はさっさと路地裏から出ていく。
すぐに目の前に黒塗りの高級車が止まり、運転席から
車が去るのを見送って、堤も歩き出す。
スーツの内ポケットからライターを出す。火を点けて写真をかざした。
みるみる燃えていく。ほとんど燃え切ったのを確認してから、最後には通りに面した川に捨てた。
ジュッと火が消えて川の底に沈んでいくそれをなんとなしに見て、笑う。
「まったく、もっと慎重にやれってば。