国境の森
牛の名前はカルビ。
羊の名前はジンギス。
山羊、オスはヤギヤマ。
山羊、メスはヤギカワ。
命名、ラナ。
まあ、それはいい。
カルビたちを迎えてから一ヶ月も一緒にいれば、その名前に違和感など感じなくなる。
『緑竜セルジジオス』はその名の通り、初夏の香り漂う季節になった。
俺たちが『青竜アルセジオス』から追放され、三ヶ月。
暗殺者でも仕向けられると思ったが、来たのはせいぜい困り果てたダージスのみ。
アレファルドが俺を諦めた?
潔すぎて『恋のチカラってすげー』って事なのか、どうなのか。
まあ、それを考えるのはまたあとでにして……。
「す、すご……」
蓋を開けたのは『肥料生産機』。
一ヶ月前にラナが考えついたものだ。
樽に開閉式の蓋をつけ、その取っ手に小型竜石で作った核を取り付けた竜石道具。
汚物を雑草や野菜クズなどを入れておくと、自動で肥料を生産する。
一ヶ月間使ったが問題はなさそう。
「さすがフラン、チート男!」
「それ褒めてるの?」
「めちゃめちゃ褒めてるわよ。だって、先月頼んだものが全部完成してるんだもの!」
先月頼まれたもの。
『乳製品製造機』……チーズ、クリーム、ヨーグルト、バターを製造する竜石道具。
もちろんそれぞれにプラス材料が必要なので、その場合はそれも入れる必要がある。
ラナには「ゴミ箱が四つ繋がって並んでるみたい」と評されたけど、機能は問題なさそう。
『ハンドミキサー』と『ミキサー』……ラナに形を聞いて製作。
ハンドミキサーはお菓子用。
ミキサーは飲み物を作ったりする時に使うんだって。
なんかよく分からないが、ラナは「ミキサーがあればスムージーが作れる! 目玉の一つにするのよ!」とやる気モリモリになった。
まあ、よかった。
そして『食洗機』……命名、ラナ。
汚れた食器の類を自動で洗う。
水と食器用粉末石鹸を入れて使う。
……これは、俺が初めて自分で考えて作ったものなのだが、ラナの前世の世界にはすでにあったそう。
すげーな、ラナの前世の世界。
なんでもあるんだな。
……しかし。
「まあ、フランが自主的に作ってくれた食洗機に勝るものはないけど! 食洗機! 神の道具!」
「大袈裟」
「じゃ、ないの! フランが自分で考えたものって初めてなんでしょ?」
「ん、うーん?」
「なんで疑問形?」
「いや、別に。俺もそういうのがあれば、仕事に専念出来るなーって思って作ったものだし」
とか、言ってみるけど。
……ラナの喜び方が異様。
そんなに抱きついてまで喜ばれるとは思わなかった。
は?
もちろんラナが抱きついてるのは食洗機の方ですが?
「その発想が今までなかったんでしょ? フランも成長したのよ!」
「…………」
複雑。
「来月まで稼働させて、問題なければまたレグルスに設計図を売りましょう! 食洗機は世の主婦の人生を変えるわよ!」
「大袈裟」
「じゃ、ないのー!」
ラナは今日も元気だな。
熱量の圧倒的に足りない俺には相変わらず眩しい。
まあ、だけど……。
「さてと、それじゃあとりあえず肥料、畑に撒くとするか。あっちにも畑を作るんだっけ?」
「そうね、カカオの種を植えなくちゃいけないし……他にも果物の木が植えられたらいいんだけどな」
「なにそれ果樹園かよ」
「…………」
「……マジで?」
なにその「それだ!」みたいな表情。
「果物の木があれば材料費タダ!」
「…………分かったよ、あの辺りは果樹園にしよう」
「やったー!」
畑、広げすぎじゃない?
そろそろ管理大変になってきた気がする。
お肉以外は自給自足生活で事足りる……というより足りすぎるぐらいになってきてません? ラナさんよ。
果樹園って事は樹だよな?
もっと拡げないと無理じゃないか?
これは森の方をクーロウさんに頼んで木の伐採を手伝ってもらわなきゃ……。
……あ、そういえば……。
「森の方って行った事ないよな」
「あ、そうね……? ……行ってみたい!」
そう言うと思いました。
「えーと、南東の方に『青竜アルセジオス』があるから……南西の方の森に行ってみましょう!」
「それって川、超えなきゃじゃん」
「木材で簡単な橋を架ければ問題なーし!」
「はいはい」
竜石道具用の木材を使って、幅の狭いところに橋もどきを設置。
川の方は時々魚を釣りに来る。
その川を越えて南西側……『黒竜ブラクジリオス』側の森だ。
まあ、さすがに国境辺りで森は終わっている事だろうけど。
「はっ!」
「どうしたの」
「見て! フラン! 野生のカカオよ!」
「…………」
野生のカカオ……。
でも本当だ。
カカオの木が生い茂っている。
その下にはコーヒーの木。
あと背が高いアレは胡椒だ。
ん? あっちにあるのは唐辛子。
「な、なんなのここは……! 楽園!?」
「普通に『黒竜ブラクジリオス』の加護の影響でしょ。もう少し進むと……ああ、やっぱり森が終わってる。ここから先は『黒竜ブラクジリオス』だな」
「え! ここが国境なの!? 『黒竜ブラクジリオス』ってこんなに近かったの!?」
森が終わり、その下は断崖絶壁。
三十メートルはありそうな崖になっていた。
その先は黒土の平地。
岩が山積していてゴツゴツした路が見えた。
遠くには煙の出る山脈。
多分、あれが炭鉱のある山だろう。
「すごいわね……本当に『青竜アルセジオス』とも『緑竜セルジジオス』とも全然空気が違う……。守護竜が違うとここまで差があるなんて……」
「ね」
俺も『黒竜ブラクジリオス』には初めて来たけど、確かに空気が違う。
しかし、どうやら国境沿いであるこの辺りは時折現れるであろう『聖なる輝き』を持つ者のおかげで力を増した『守護竜ブラクジリオス』の力の影響が残っているらしく、『黒竜ブラクジリオス』で育つはずの植物がふんだんに生えている。
つまり……。
「採取しても……」
「怒られない、という事だね。まあ、さすがに雑草も多いから手入れは必要かも」
「そうね! そうよね! よーし! 手入れをしてカカオとコーヒー、あと胡椒もゲット! 唐辛子も!」
盗人猛々しいにならないように、しっかり草をむしり、木々に絡まった蔦を取り、最低限の手入れをしてカカオを頂いて、と。
あれ?
「これ、芋じゃない?」
「本当だ! 自然樹の葉っぱね!」
よく知ってるなぁ。
感心しちゃったよ。
きのことかたけのこあればいいな〜、と小さいスコップを持ってきてたので、優しく掘り起こすと……。
「わあ!」
「おお、結構大きいね」
「お米が食べたくなるわね〜」
「コメ?」
なにそれ、と言うと目を丸くされた。
え? なに? どうしたの?
「え、自然樹といえばとろろにして白米とかき込むんじゃないの」
「え、とろろ? ハクマイってなに?」
「え?」
「え?」
……え?
なんか会話が噛み合わない?
とろろ?
ハクマイ?
またラナの前世用語てすか?
「……まさか……嘘でしょ……? 作者は日本人なのに……」
「…………」
ぜ、前世関係か。
しかもなんかプルプル震えてる。
いや、どっちかというとわなわな?
とりあえず空気がどんどんお怒りモードになっているんだけど。
「米をこの世界に出してないの!? そういえば五冊も出しておきながら和食表記ゼロだったわ! つーかご飯食べてるシーンの表現ざっくりしてたし! 今考えるとなんて雑な描写能力の作者だったの!? 表現もっと細かくしなさいよ! そして米くらい登場させておきなさいよおおおぉ! 日本人でしょおおぉ!」
「ラ、ラナ、あんまり大声で叫ぶと肉食野生動物とかに見つかるから」
「ハッ! ……ご、ごめん」
いやまあ、肉食動物も今の大声で逃げ出したと思うけど。
そんな絶叫するほどの事態なのだろうか。
基本は『エラーナ』であるとは言ってたが、食に関しては前世に随分引っ張られているような気がするなぁ。
ラナの前世の料理はどれも美味しいから、無理もないのか?
「それで、そのコメとやらをご所望?」
「! ……そ、それは……」
「どうしたの?」
「……確かにお米を食べられたら幸せだけど、日用品と違ってお米は穀物なのよ。稲っていう植物から採れるの。……分かる?」
「イネ……俺は聞いた事ないな?」
それに穀物か。
もう少し特徴を聞いてみると、イネとはスイデン……田んぼという水を張った畑に植えて半年近くかけて育てるらしい。
水を張った畑なんて、他国情報を多少かじった程度の俺では分からないな。
「レグルスに聞いてみたらいいんじゃないか?」
「でもレグルスも知らなかったら? そんなのないって言われたら? フランがいるから最先端な便利道具は作ってもらえるけど、お米は……お米は……!」
「ちょっと落ち着いて」
そんなに狼狽える事?
よく分からないけどラナのおコメとやらに対する思い入れはなかなかのものだなぁ?
いや、別に妬けませんけど〜〜?
「メニュー開発の時に、こう、小麦とは違ったものでなにか、新しい料理を考えてたんだけど、って前置きして聞いてみたらいいじゃん」
「! そうか! その手が! フラン相変わらず天才!」
「ど、どうも」
ラナも落ち着いていれば普通に思いついたと思うよ。
「とにかく今日は帰ろう。いいところも見つけられたし、ちゃんとした橋を今度作るよ。そしたらまた来れるだろ」
「うん! そうね! ありがとうフラン」
「いーえいーえ。でもまあ、せっかくの芋だしこれはレグルスが来た時に売るけど、いいよね」
「……もったいないけど気持ちが完全にとろろご飯になってしまったから、とろろご飯を食べられないならとろろ芋なんて無価値」
「そ、そう」
全然理屈が分からない……。
でもものすごい真顔。
どういう事なの……。
「でも米粉パンってのもアリアリよね。米粉ドーナツとか、米粉クッキーとか……ハッ、豆乳……」
「…………」
なんとなくだがラナの食べたいものリストが拡大しているような気がする。
改めてすごいなぁ、ラナの前世の世界。
食べ物も道具も、ありとあらゆるものがこの世界とは比べ物にならないほど進歩してる。
……この世界が本の……物語の世界だというのなら、作者はなぜこの世界を自分の生きてる世界のようにしなかったのだろう?
「…………」
しかし、ラナの前世の話を思い出すと……たとえ、どんなに美味しい食べ物があっても、便利なものがたくさんあっても、それを『幸せ』と感じられなければ意味はないんだろうな。
実際貴族だった頃より明らかに生活は大変なはずなのに、俺は充足感を感じている。
アレファルドたちにこき使われる日々より、自分で動いてラナと会話して過ごす今の生活の方が遥かに『幸せ』だと感じるから。
ラナもそうなのだといい。
——『俺』と一緒で『幸せ』と思ってもらえていたら……。
「……」
いかん。
これは傲慢だ。
思い上がってはいけないな。
たかだか伯爵家程度の身分の出で、公爵家の一人娘に……それも元王太子の婚約者にそこまでの事を思ってもらおうなんて。
それに、今は身分が関係ないと言っても、俺がラナに認識してもらったのって三ヶ月前だぞ?
最初よりは親しくなれたと思うけど、まだ『知り合い』くらいだろう。
せめて『友人』くらいにランクアップしたいものだけど……男女の『友人』って何ヶ月くらいから?
女友達なんかいた事ないから全然分からないなぁ。
やはり一年くらいはかかるんだろうなぁ。
せっかく『夫婦』という立場になったんだ。
彼女が他の男にアプローチされる心配が少ないうちに、なんとか、なんとか俺を『男』として認識してもらって……ンン、でもまず目指せ『友人』?
「よし、レグルスが来たら大豆とお米について聞いてみよう! ユショーはあるけどお味噌っぽいものは今のところ見当たらないし! まずは目指せラーメン!」
となると恋愛対象として見てもらえるようになるのは三年後?
まあ、仕方ないな。
ラナは帰る気ないみたいだし、今のところ他に行きたい場所もないようだから……頑張ってまずは『友人』ぐらいになるとしよう。うん。
「というわけでフラン、製麺機作って」
「なんの話?」
なにがどういう訳? それ。