病院
少女は翌日には目覚めていた。
病院に運んだときはまだ気絶していたが、一晩ベッドで休んだおかげて意識を取り戻したらしかった。
ただ、病院の医師によると、会話は成立していないらしかった。何度語りかけても、まともな反応はないらしい。
言語が違うから、という理由だけではないようだった。少女は一言もしゃべらず、出された食事にも一切手をつ
けていないという。
「警戒心が残っているのでしょうか」
芹沢が少女を見て呟く。
少女はベッドで体を起こしていたが、怯えた様子で俯き、その青い瞳をなかなかこちらには向けてはくれなかった。おれたちの問いかけにも、一切返事はない。
「これじゃあ、しばらくは事情とかは聞けなさそうだね」
「言葉が通じないなら、どっち道無理」
「まだわからないだろ。言語が違うとしても、わかりあえる方法というのはあるはずだ」
そんなふうに同級生で話しているなか、一人、拓真だけが無言で立っていた。
おれたちとはベッドを挟んだ反対側にいて、真面目な顔でベッドの少女を見つめている。
「か、可愛い」
「は?」
「この娘、可愛いと思わないか?」
確かに目鼻立ちは整っているし、顔は小さくて人形のようにも見える。しかし、この状況で容姿にこだわる発言というのには違和感を覚えた。
「そんなこと言ってる場合か」
「なんていうか、不思議な魅力があるよな。この娘が妖精だって言われてもおれは信じるよ」
「おまえはあれか、ミーハーとかいうやつか」
芹沢のことが好きだったんじゃないのか、なんてことはここではさすがに聞けなかった。
「なあ、颯太。この娘のことはなんて呼べばいいんだろうな。名前が何もないんじゃかわいそうだろ」
「名前か。確かに何かあったほうが便利ではあるな」
「よう子でいいんじゃない?」
と紗英が言う。
「よう子?」
「そこのバカが妖精みたいだって言うのなら、よう子でいいでしょ」
単純な発想だが、一時的な呼び名としてはいいのかもしれない。とりあえずおれは拓真に確認をすることにした。
「どうだ、よう子っていうのは」
「よう子か。古臭い感じもするが、だからこそ奥ゆかしさがあるな」
「そうか?」
「よし、この娘はよう子だ。呼び捨てはだめだぞ。威圧感が出てしまうからな。さんかちゃんを付けるように。でも、あんまり本人の前では呼ばないほうがいいかもな。彼女にだって親がつけてくれた大切な名前もあるだろうし」
「そういう気遣いはできるんだな」
「いいか、お前ら」
拓真がおれたちをひとりひとりを見回すようにして続ける。
「よう子ちゃんをあまり焦らせるなよ。ゆっくり時間をかけてこっちに馴染ませるんだ。おれたちの誠意が伝われば、きっと彼女もいずれ心を開いてくれるはずだ。それを待とう」
「いつまでもここにいるとは、限らないけどね」
紗英の言葉に、拓真は眉をひそめる。
「どういうことだ?」
「日本がこの娘を連れていくかもしれないでしょ。いろいろと興味深いじゃない、そのよう子ちゃんは」
紗英のいうことには一理ある。
この監獄を含む異世界については日本でもすべてを把握しているわけではない、というのが通説。だからこのよう子ちゃんから何か聞き出したいと考えてもおかしくはない。
「医療関係だって向こうのほうが充実している。検査をするという目的ならあんたにだって止めることはできないんじゃないの?」
拓真は難しそうな顔で腕を組んだ。
「なら、医者に口外しないように依頼するか」
「もう遅いわよ。この娘の存在は病院関係者みんなが知っている。いずれ誰かが向こうに連絡をするはずよ」
「拒否をすればいい」
「誰が? あんたが? 無理ね。よう子ちゃんがなんの意思表示もしなければ、強引につれてかれるのがおちよ。あんたが抵抗すれば逮捕されるだけ。それくらいわかってるでしょ」
「……」
「その辺は割り切るしかないわよね。どうせ一目惚れなんでしょ。そういった熱はだいたいすぐに下がるから、あんたもきっとそのときには喜んで見送りにでもいってるはずよ」
「恋愛上級者の言い分だな」
「うるさい」
紗英にふくらはぎを足の爪先で蹴られたとき、看護師の一人が病室に入ってきて「もうそろそろ時間です」と面会時刻の終わりを告げた。
おれたちはぞろぞろと部屋を後にし、病室のある二階から一階に階段で降りていこうとした。
「そういえば梨乃、父親には会っていかないのか」
おれは階段の踊り場で足をとめ、一番後ろにいた梨乃にそう言った。
梨乃の父親はある病気で一年ほど前から入院をしている。
その病気はこちらでは治療できず、設備の整った日本で手術をする必要があるらしい。
とはいえ、契約者は簡単には日本には渡れない。病人であればさすがにランクに関係なく受け入れてはくれるものの、金はまた別問題。
事前にまとまった費用を払えなければ向こうの病院に入院することはできない。
「必要ない。もうここにはいないから」
「まさか、日本の病院に行ったのか?」
梨乃はうなずいた。
「お金はどうしたんだ」
「わたしが払った。ケルベロスで結構稼いだから」
梨乃が出張に熱心であることは知っていた。それが父親のためであることも。
しかし、手術代というのはバカにならず、そう容易には払えない額であることも聞いていた。
梨乃は繰り返し出張を行ったのだろう。A ランクのケルベロスなら確かに効率よく稼げたに違いない。
しかし、そこまでたどり着くのは並大抵の努力ではできない。死にかけたことも何度もあるだろう。
それでも梨乃は諦めなかった。力を振り絞って契約を繰り返した。
「おまえ、やっぱりすごいやつだったんだな」
「誉められたの二度目」
「それで、手術は成功したのか」
「……」
梨乃は無言でおれの横を通りすぎていった。
「おい、まさか」
「成功した。でも」
「でも?」
梨乃は階段の途中で立ち止まり、一度軽く振り向いてから、
「……なんでもない」
そう言って、再び歩き出した。