9話 2人の秘密
食器棚の中は愛理沙が綺麗に拭いた食器でいっぱいになった。
自分の部屋にこれだけの食器があることに涼は驚いた。
段ボールは見る間に空になって、玄関に畳んで置かれていく。
段ボールは1つだけ残して、全てが玄関に置かれている。
愛理沙と涼は濡れ雑巾で、ダイニングは愛理沙が担当し、私室は涼が濡れ雑巾で壁や床を拭いていく。
愛理沙の手が届かない照明器具については涼が担当して濡れ雑巾できれいに拭いていく。
その後に愛理沙は掃除機の電源を差し込んで、コードを長くして掃除機のスタートボタンを押して、ダイニングと部屋の掃除にとりかかる。
さすがに愛理沙にトイレの掃除をさせることはできない。愛理沙が気付かないうちに涼はこっそりとトイレ掃除をしたが、愛理沙にバレた。
「トイレ掃除にはコツがいるの。後で私もトイレ掃除をするわ」
「それはちょっと……してもらい過ぎというか……申し訳ないというか……」
「私がやりたいって言ってるんだから、任せてね」
初めて家に来た女子にトイレ掃除まで手伝ってもらうなんて、考えただけでも涼は顔を赤らめる……とても恥ずかしい。
愛理沙がトイレ掃除を終えた頃には、涼も愛理沙も体中、埃と汗にまみれていた。
「涼、これからお風呂掃除をするから。ついでに私もシャワーを借りてもいいかしら」
「はい? ……どうぞ、シャワーを使ってください……」
「ありがとう。お先にシャワーを浴びるわね」
涼の家には脱衣所がない。急いでふすまを閉めて、ダイニングを見えないようにする。ダイニングから愛理沙が服を脱ぐ音が聞こえる。
涼も普通の一般の男子だ。ふすま1枚向こうで美少女が着替えをしていると思うと、どうしてもイメージしそうになる。そのイメージを頭から急いで追い出す……体が妙に緊張して、背筋がピンとなる。
「ガチャ……バン」
愛理沙が風呂場に入っていった音が聞こえた。ダイニングに愛理沙が脱いだ服が置いてあると思うだけで、涼の体に緊張が走る。
「俺は何をやってんだ」
涼は体の力を抜いてベッドに寝そべって呟いた。目の隅に1つだけ残された段ボールが見える。
涼はベッドから体を起こして、段ボールの前に立つと、段ボールのフタを開ける。
中には現在風のおシャレな仏壇が入っている。この仏壇を見るのも1カ月ぶりぐらいだ。涼はこの仏壇が嫌いだ。あの事故のことを思い出してしまうから。
できれば、三崎さんの家に置いていきたかったが、三崎さんに断られてしまった。できれば涼の見える所に置きたくない。
涼は思わず、段ボールのフタを閉めて、自分のベッドに身体を横たえる。
「ガチャ……バン」
愛理沙が風呂場からあがってきた。バスタオルを使って、体を拭いている音がする。その音を聞いて、涼は顔を真っ赤にして、枕に顔を押し当てる。
「お風呂場、きれいに掃除しておいたから。いいシャワーだったわ。体がスッキリ。ありがとう。涼も入ったら?」
愛理沙はきれいに着替えて髪の毛をバスタオルで結っている。頬が上気してピンク色に染まっていて、とても色っぽい。そして愛理沙の体から石鹸とシャンプーの良い香りが漂ってくる。
涼は自分の顔を赤くなるのを自覚する。このままでは愛理沙に見つかってしまう。
「俺もシャワーに入ってくるわ」
愛理沙が涼のベッドの端に座る。涼はタンスからバスタオルを出して、慌ててふすまを閉めて、服を脱いで風呂場へと入っていく。
体を洗って、髪の毛を洗う。埃と汗で気持ち悪かったが、シャワーを浴びただけで体がスッキリとした。
風呂場を見回すと、きちんと掃除されていて、ピカピカに光っている。
愛理沙は本当に掃除と片付けが上手だ。
バスタオルで体を拭いて、服を着てふすまを開けると、段ボールの中に仕舞ってあった仏壇が外に出されて、愛理沙がロウソクを灯して、線香をあげ、手を合わせていた。
そして涼がふすまを開けたのを知ると、伏せていたまぶたを開けて、振り向いて涼を見る。
「どうして仏壇だけ段ボールに入れっぱなしにしてるの? どうして涼が仏壇なんて持ってるの?」
「仏壇は見たくなかったから、段ボールに入れていた。それは俺の死んだ家族の仏壇なんだ」
それを聞いた愛理沙は顔を青くして口元を両手で押える。
「愛理沙には言ってなかったけど……俺の家族は他界してるんだ。そして親戚もいない。だから高校に入るまで楓乃の家でお世話になっていた」
「――――そうだったの。訳を聞いてもいい?」
「ゴメンだけど、言いたくない。思い出したくないんだ」
もう一度、仏壇の真正面に座り、愛理沙は黙ったまま、しばらくの間、目を伏せて手を合わせていた。
愛理沙は人の心の傷に敏感だ。仏壇をみせてはいけなかったと涼は後悔した。
涼がベッドの端へ座っていると、愛理沙は仏壇の前から立ち上がって、涼と少し距離を開けてベッドに座った。
「実は、私の両親も他界してるの……だから親戚の家に引き取られて、そこで暮らしているの」
愛理沙は俯いたまま小さな声で呟いた。声が震えている。目にも涙が溜まっているようだ。
両親の他界がトラウマで愛理沙は人が苦手になったのか……
愛理沙が自分と似たような境遇にあるとは涼は思いもしなかった。
「親戚の家に私の両親の仏壇はないの……親の形見は、このピンクダイヤのネックレスだけなの」
愛理沙がネックレスを大事にしていたのは知っていたが、そういう訳があるとは思わなかった。
「これから、涼の家に来て、仏壇に手を合わせてもいい? 私、仏壇に手を合わせたいの……」
「うん。いいよ……愛理沙の好きにしていい」
「……ありがとう」
愛理沙は本当は自分の両親の仏壇に手を合わせたいのだろう。しかし仏壇がないから手を合わせられない。
家の仏壇で良ければ手を合わせてくれてもいいと涼は思った。
「前にも話した通り、私は人が苦手なの……でもすごく寂しいの。夜になると寂しくてたまらなくなるの」
「そうだったのか……俺で良ければ連絡しておいでよ。朝まででも愛理沙に付き合うから」
連絡を取り合うだけで、愛理沙の寂しさを埋められるとは思わない。
でも少しでも寂しさを紛らわせることができるなら力になりたいと思う。
「毎晩……連絡するね」
愛理沙は涼に聞こえるギリギリの小さな声で呟いた。
思わず、涼は愛理沙の体をギュッと抱きしめた。