19-3「自分はもう大丈夫っすよ」
あっさりとエロワ、ライネ、リィンに指示を出して、シドは去って行ってしまった。食堂に取り残された技術科の三人は、航空隊の予想に反して取り乱す様子すら無かった。
「だってさ。リィン。良かったじゃねぇの。お前前々から航空隊に憧れてたじゃねぇか」
「パイセンだって、デックス乗りたがっていたじゃないですか。あ、休暇だからプラモデル組めますね。今の内に組んでおいた方が良くないですか? 訓練始まると組めなさそうだ」
エロワとリィンは軽口を叩き合う程である。
「ああ! そうだよ。プラモデル組まなきゃ! こうしちゃおれん!」
ライネに至っては、完全に思考がプラモデルの方向に行ってしまったようだ。
航空隊の面々は、そんな彼らが食堂を出ていくのを見守る事しか出来なかった。
「ええっと、ユキさん。嵐のように過ぎ去って行きましたが、あれで良かったんですか?」
「ん? クロウ君心配? 大丈夫だよ。シドが大丈夫って言ったもの。これで付き合いは長いからね。シドの名前はそれこそ彼が違う基地のパイロット候補生だった時から知っているしね」
そのユキの返答を聞いていたミーチャとトニアも頷きで返していた。彼女達がそう言うのであれば大丈夫なのだろう。クロウはとりあえず納得しておくこととした。
航空隊の面々はそのまま食事を済ませ、全員で連れ立って医務室を目指す事とした。ヴィンツの意識が戻っているとジェームスからのメッセージがユキ宛に届いていたのだ。
「来たな航空隊!」
ロックも掛けられず、開け放たれた医務室ではジェームス医師が航空隊を待ち構えていた。傍らのベッドにはしっかりとした様子でベッドに腰掛けるヴィンツが一同を見ていた。
「ヴィンツぅ!!」
その姿を見るなり、マリアンは駆け出し、ヴィンツへ飛びついていた。
「マリアン。心配掛けたっす。自分はもう大丈夫っすよ」
そんなマリアンの背を摩りながら、ヴィンツは言葉を紡いでいた。その声は数日前に彼が撃墜された時に、クロウが二度は聞けないと覚悟していた声そのものだった。
「まるで魔法ですね」
その二人の様子を見ながら、クロウは思わず思った事そのままを印象として口に出してしまっていた。
「クロウ少尉。高度に発達した科学は、それを知らぬ者からすれば魔法と区別がつかない。と、言うじゃろう? これからはこの艦ではこれが普通になる。ただし……」
クロウの言葉に言葉を返したジェームスはしかし、ここで言葉を区切って航空隊員達一人一人の顔を見回した。
「決して過信してくれるなよ? ヴィンツはこの通り今回は大丈夫じゃった。だが、君ら個人を形成する『
そう言って酷く悲しそうに、航空隊員の顔を見回すジェームスに反論する者など航空隊にはいなかった。
「ところで、ヴィンツにはエリサとミツキは自己紹介した方がいいんじゃないか?」
「ああ、そうですね。ヴィンツが寝ている間に人員が増えたんでしたっけ」
重くなる空気を振り払うようにミーチャが声を上げ、クロウもそれに続いた。この場においてジェームスの言葉を受け止めない者などいない。だが、それでも彼らは前を向くしか無いのだ。
そんなクロウ達のやり取りを聞いて、ミツキとエリサがヴィンツの座るベッドサイドの前へ出た。
「ミツキ・クロウ少尉よ。よろしくね」
「エリサ・リッツと申します。伍長の階級を拝命しました。不束者ですがご指導ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします」
そんな二人の少女を見たヴィンツはしかし、マリアンに抱きすくめられ彼女達に応える事が出来ない。
「マリアン、ちょっと自己紹介させて欲しいっす。心配掛けたことは謝るっすから」
言われたマリアンは渋々体をヴィンツから離すが、まるで糸を引くように名残惜しそうである。
そう言えばクロウは未だに、ヴィンツとマリアンの関係は知らない。後でケルッコにでも聞いておこう。どうせ彼なら知っているに違いない。
「ヴィンツ・エーベルハルト軍曹っす。まさかお二人も仲間が増えているとは思わなかったっすよ。ファミリーネームから察するに、ミツキ少尉はクロウ先輩の探し人っすね? クロウ先輩、見つかって本当に良かったっすね」
それを聞いたクロウは思わず天井を仰いだ。そうだった。ヴィンツ少年はびっくりするほどに聡い少年なのである。
「僕もヴィンツが君自身である事を再確認出来て良かった。その調子だと退院はもうすぐなんだろうか?」
にんまりと笑って見せているヴィンツに対してクロウは問いかける。
「や、それがっすね。ジェームス先生が言うには一週間ほど経過を見たいとの事で、僕はしばらく医務室で生活しないといけないらしいんすよ。電脳は良いんですけど、体の方がちゃんと復元されているかどうかの検査とかもしないといけないらしくって」
「ええ、じゃあヴィンツと一緒に居られないの!?」
その言葉に反応したのはマリアンである。彼女は再びヴィンツに抱き着くと今度は離さないとばかりに、彼を両手の腕で完全にマウントしてしまった。
「ちょ、マリアン。いい加減離して欲しいっす。自分の意識がない間もずっと近くに居たじゃないっすか、心配しなくても自分だって二度と殺されるのはご免っすよ!」
言いながら、ヴィンツはマリアンを引き離そうともがいている。一同はそれを見て表情を和ませるが、クロウははたと、彼のそんなセリフに引っかかりを覚えていた。
「ヴィンツ。意識がない時に近くにマリアンが居たのを知っていたのか?」
それを聞いた一同の視線が、クロウとヴィンツの表情へ集まった。
「え? 何となくっすけど、マリアンが近くに居たのは分かっていたっす。あと、ミーチャ先輩がかなり来てくれていたっすよね? それとケルッコ先輩は、大体人が居なくなる夜くらいの時間帯によく来てくれていたっす。ユキ隊長は最近っすね、忙しかったのかなって思ってましたけど。クロウ先輩が来てくれていたのも、トニア先輩とアザレア軍曹が一緒に来てくれたのもちゃんと知っているっすよ?」
「脳量子波じゃな。ヴィンツは電脳に『
ヴィンツのセリフに被せるように、ジェームスが補足する。
「おい、ちょっと待て。じゃあこの中の電脳に既に換装した人間も『そう』なのか?」
それを聞いて、ミーチャは慌てて振り返る。クロウと、ミツキ、そしてアザレアと、最後に自身の親友であるユキを見る。
「ごめんねミーちゃん。気味が悪いかもしれないけど、私にも人の感情というのかな? そういったものが感じられるようになっちゃった。それはアザレアも一緒だと思う。私は懲罰の過程でそれを修行として体得したけれど、アザレアはちゃんと説明を受けたんじゃないかな?」
ミーチャに見つめられたユキは冷静に言葉を紡いで、その視線をアザレアに向ける。アザレアもゆっくり頷いて肯定する。
「私は施術の前に、ジェームス先生に説明を受けた。私は感情表現が上手じゃない。人の感情から学習する事も多いと思った。実際にその通りで、私は日に日に感情と言うものを理解できている気がする」
それら少女二人の言葉を聞いて狼狽するのはクロウだ。クロウには今まで人の感情を感じ取っているという自覚が無かった。そんなクロウの背中をミツキが強かに平手で叩く。
「しっかりしなさいクロウ! 私達ロストカルチャーはとっくの昔に電脳よ。感覚としてそれは分かっている筈。アナタも無意識のうちにソレを感じた事がある筈だわ」
よろけるクロウの腕を取って、ミツキはその腕を自身の腕に絡めてクロウを立たせると言葉を続ける。
「この際だからはっきり言うわ。私達ロストカルチャーには、ある程度脳量子波を操る事が出来る筈よ。得意不得意はあるかも知れないけれどね。それは電脳に換装した人間も同じ筈よ。原理は知らないわ。ただ、私達ロストカルチャーは並列化されている時から、それを無意識に感じ取れていた。私は多分、元々だけれどね」
「まさか……」
そのミツキの言葉を聞いてクロウはようやく思い当たる。クロウにも思い当たる事があったのだ。それを始めて感じたのはヨエルと戦闘した時である。それ以降度々人の感情に触れたような瞬間を感じていた。
クロウはそれを錯覚だと思っていたのだが、実際にはそれはロストカルチャーの、いや電脳に換装された人間特有の感覚であるという。
「待ってくれ、じゃあまさか、電脳に換装した人間とそうでない人間には、性能自体に差があるという事か?」
その疑問を発したのはケルッコである。それはもっともな疑問であるとも言えた。
「そうじゃ。ケルッコ曹長。それを聞いたお前はどうする? 電脳に換装する事を望むか? 他の航空隊の連中もじゃ。それを捨て去る覚悟はあるのか? あるのなら今すぐ進み出ろ。ワシが直々に電脳に換装してやるぞ。なぁに一人二時間もあれば済む」
そのケルッコの疑問に、ジェームスは酷く表情の無い顔でそう言うのだ。
「私は、欲しい」
その声に、すぐに反応したのはトニアである。彼女は一歩前に進み出ると、クロウの表情をまず見て、その後にミツキを見つめ彼女とアイコンタクトを取ってその後にジェームスを見据えた。
「私も、みんなを守れる力が欲しい。いえ、そんなのは言い訳よ。ミツキに負けたくない。ユキちゃんにも、アザレアにも。私一人でもクロウ君を守れるようになりたいわ」
そのトニアに続いて、エリサも前に進み出た。
「ミツキお姉さま。私も希望したいと思います。ここで引いたら女が廃ります。どうか
「えー じゃあ私もやりたい。ヴィンツが殺される所なんてもう見たくないし、私も強くなりたい」
「おいおい、俺もクロウにだけ美味しい所を持っていかれるだけ、なんて御免だな。どうせなら同じ土俵で勝負したいところだ」
マリアンとケルッコまでもが、それに続いて前に出た。クロウは慌てて声を出す。
「待ってくれみんな! それで強くなれるって訳じゃ無いんだぞ? その決断で生身の身体の一部を、それも脳なんて大事な部分を永遠に失うことになるんだぞ!?」
そんなクロウの頭頂部に、ミーチャは軽くゲンコツを当てた。
「バカクロウ! それはとっくの昔にお前もそうだろう? しかもお前らは自分の意志とは関係なくそんな体になっちまった。みんなお前と一緒になってやろうって言っているのがわからねぇのか、このバカ。ああいいぜ、私もくれてやる。これで航空隊全員が、新入りを除けばモルモットだ。ま、これで差が出るようなら新入りにも勧めるとするさ」
こうして、酷く歪な笑みを浮かべるジェームスの前に、航空隊の生身の脳を持つ隊員は進み出るのだった。
「わかった。艦長にはワシから許可を取ってやる。お前らは奥の部屋で施術着に着替えてベッドに横になっておれ。順番に麻酔をかけて目が覚めた時には電脳じゃ」