SIDE.Y
引っ越してきたばかりでひとりぼっちだった頃、よく構ってくれたお姉さんがいた。俺は彼女を舞美(まみ)ちゃんと呼んでいた。
転校先の学校にも慣れ、友達も増えてくると、舞美ちゃんと俺の距離は自然と遠のき、彼女は友達同士で遊ぶ俺に対して空気を読んだように、保護者のように、暖かい目でそっと黙って会わなくなっていった。あの時の気遣いがありがたいものだと気付いたのは、身長が180を超えたあたりだった。
そんな舞美ちゃんが就職して上京し、もう二度と会うこともないかもしれないなとぼんやり思い始めた矢先、
彼女が交通事故で亡くなったと知らされた。
親から告げられた突然の訃報に、初めて身近な人が死んだことを、俺はにわかに受け入れられなかった。
もうすぐ卒業する中学の制服に身を包み、親と一緒にドラマでしか見たことがなかったお通夜に出席すると、死化粧を施された舞美ちゃんが棺桶に眠っていた。交通事故とはいえ、外傷は激しくなかったとのことだった。
死んだ人には何を言っても届かないとは分かっているけれど、高校生から大人になった舞美ちゃんはとても綺麗な女性になっていた。棺桶の中の彼女も、笑顔で沢山の花に囲まれている写真の中の彼女も。
見よう見まねで焼香を行った後も前も、俺はさっぱり実感が湧かず、薄情なのか涙は出なかった。彼女との思い出も、随分とぼやけてしまっていた。
お通夜が閉会すると、父さんと母さんに連れられて舞美ちゃんのご両親に挨拶に行った。舞美ちゃんのご両親は俺のことを覚えてくれていて、俺ごときの参列に舞美も喜ぶよ、と嬉しそうに肩を叩いてくれた。
舞美ちゃんのお母さんが声をひそめたのは、俺が東京の高校に進学して寮生活を始める、と話した直後だった。
「……確か、悠也くんのお爺様って、神社の方よね?」
「?はい、そうですけど……」
不思議そうに頷く俺の腕を引っ張って、他の三人から離れた場所で立ち止まると、舞美ちゃんのお母さんは、
「……誰にも言わないで欲しいんだけどね、実は、お願いがあるの……」
と、前置きして話し始めた。
曰く、舞美ちゃんは成仏していないらしい。
さっきまでなんと言っているのか分からない読経をしていたお坊さんに言われたらしい。この体のそばに魂がありません、と。読経には故人に死を知らせるという役割があるが、本人に届いた手応えがなかったとのことで。もしかしたら地縛霊なんかになって死んだ所の近辺をさまよっているかもしれない、と舞美ちゃんのお母さんは続けた。
「お父さんはそういうの信じないからふざけるなって怒っちゃうし、私も体が弱いから東京まで行ってお祓いするような体力もなくて……。だからお願い、何かのついででいいから、娘を成仏させてあげて欲しいの」
お世話になっていた時はいつもニコニコしていて、おうちにお邪魔する度にジュースを用意してくれた優しい舞美ちゃんのお母さんの頼みを無下にするなんて思いも寄らず、できる限りやってみます、と俺は深々と頭を下げた。
ひとりぼっちだった俺を助けてくれた舞美ちゃんが、今度はひとりぼっちになっている。俺に出来ることがあるならやれるだけやってみようと思った。
その後、俺は東京に引っ越す前に、じいちゃんの神社を訪ねて事情を説明した。じいちゃんはしばらく神妙な表情で俺の話を聞いていたが、全部聞き終わると、ちょっと待ってろ、と行って席を外した。
しばらくして戻ってくると、一枚のお札を渡された。
「自覚はないようだが、悠也は霊感が強い。それに昔馴染みの縁のある人なら、このお札を体のどこかに貼り付ければ、それで成仏させることができるだろう」
できれば顔が望ましい、と最後に結んだじいちゃんに俺は頷き、神社を後にした。
東京に引っ越してからは、慣れない新生活にしばらくばたついた。事前に聞いていた事故現場への道のりや交通経路などを把握するのにも時間がかかり、なかなか行動には移せなかった。それでも、予想もしないところでいつ出くわしてもいいように、お札だけは肌身離さず持ち歩くように心がけた。
やっと寮生活や高校が落ち着き、気の合う仲間も数人出来始めた頃に、ようやく、俺は休みの度に舞美ちゃんの事故現場あたりへと赴くようになった。
なりふり構わずそこら辺を散歩している人を捕まえては写真を使って女の人を見なかったかと聞き込みをし、一ヶ月くらい経つと、毎日同じ時間に同じベンチに座る、写真に似た女性が一人だけいるという情報が手に入った。もしかしたらただの他人の空似で、この公園に来るのがルーティーンになっている人の可能性もあったが、確かめない手はなかった。
たまたま開校記念日で休みになった平日の昼、俺は情報元へと急いだ。
くだんのベンチへと向かう途中、自動販売機の前で空の缶コーラを拾う一人の女の人に目を奪われた。後ろ姿を見て、横顔を見て、確信する。
舞美ちゃんだ。
「やっと見つけた……」
なんとか出会えた達成感と懐かしさがまぜこぜになってブワッと押し寄せてきた。鼓動が早まる。心臓の音がうるさい。
あぁ、何か、何か話しかけないと。
あの時、友達のいなかった俺に、舞美ちゃんが声をかけてくれたように。
意を決して、頭が真っ白のままにも関わらず、俺は舞美ちゃんに一歩近づいた。
その瞬間、彼女の細い手からコーラの空き缶がゴミ箱に放たれるのが目に入り、口が勝手に動いた。
「……まだ炭酸飲めないのか?」
「え?」
彼女がこちらに振り返る。
あぁ舞美ちゃんだ。棺桶の中に眠っていた舞美ちゃんだ。実際に会うと、写真なんかより全然あの頃の面影が残っているのが分かる。
俺は、持ち歩きすぎてくしゃくしゃになってしまったお札をポケットの中で握りしめて、ちょっとずつ近づいて行った。
「悠也、くん?」
舞美ちゃんが、俺に気づく。
そうだよ、悠也だよ。久しぶりだね。
……でも、さよならだね。
熱いものが目頭にこみ上げてきたのを、精一杯押しとどめながら、俺はじいちゃんからもらったお札を舞美ちゃんのおでこにピタリと貼った。
「……最期に会えて、良かった」
俺の呟きが聞こえていたのかどうかは分からない。
舞美ちゃんは炭酸水みたいにしゅわしゅわと泡になって空へと消えていった。
終わり