SIDE.M
太陽が頭の真上に登る頃、私は自作したお弁当を片手に、働いているオフィス近くの公園を歩いていた。
私の勤めている会社を保有するビルの中には、大勢の職員が一斉に取る昼休みのために、カフェや定食屋などの飲食店も多々開店していたけれど、お世辞にも給料が良いとは言えない暮らしを強いられている私は、少しでも食費を抑えるために自炊に励み、毎日作り置きのおかずをお気に入りのお弁当箱に詰め込んで持って来ているのだった。
ん〜、と私は空気を鼻から大きく吸い込んだ。歩を進めれば進めるほど、太陽とそよ風のコラボレーションが仕事で缶詰にされていた気分をリフレッシュさせてくれる。
デスクワークが主な業務である私の会社では、自席で持参した食べ物を食べても良い決まりになっているが、ただでさえ出社してから退社するまで無機質な机とパソコンだらけの所に座り続けなければならないのに、一日一回の休み時間すら場所を変えなかったら頭がどうにかなってしまいそうだ。ビル内にある適当なベンチの方が、オフィスからの移動時間が少なくて済むけれど、緑を全身に浴びることができる公園まで足を運ぶのが、私の日常のささやかな楽しみになっていた。
いつものベンチまで歩いていると、ふと炭酸の空き缶が道端に転がっているのが目に入った。すぐ横には自動販売機とそのゴミ箱があるので、入れたつもりが入ってなかったか、何かの拍子で落ちたんだろう。
私はその空の缶を拾い上げながら、「えっへん」と得意げに胸を張る一人の男の子を思い出した。
「炭酸飲めないの?ダッセー」
と、悠也(ゆうや)くんは鼻を鳴らした。
それは私がまだ高校生だった頃。悠也くんは近所に住む小学生の男の子だった。彼の家は、学校から帰っても誰もいないことが当たり前のようで、たまに一人で遊んでいるのを見かねて私が声をかけたのが仲良くなるきっかけだった。鍵っ子なのに鍵を忘れて登校してしまい、家に入れなくなっていたらしい。
悠也くんは最近引っ越してきたばかりで、つまり転校してきたばかりで、まだそんなに仲のいい友達もおらず、私も私で帰宅部に所属していたので、授業が終われば真っ直ぐに帰宅路についていた。そんな私たちがよく遊ぶようになるのに、そんなに時間はかからなかった。
ある日、学校帰りの私はランドセルを置いた身軽な悠也くんと出くわし、公園の横にある自販機で飲み物を買ってあげようという話になった。
自販機の前で「炭酸がいい!」と元気な声を出す悠也くんに対して、私は炭酸苦手だなぁという呟きへの返答が冒頭の台詞になる。
「だってベロがばちばちして痛いじゃない」
「痛くないよ!子供だなぁ」
自分より年齢も低ければ背も低い子供に子供と言われてしまった。
「じゃあ悠也くんはコーラでいい?」
「うん!」
お金を投入すると、自販機の一番上の段で缶コーラのボタンがキラキラと青色に光る。それを押すと取り出し口にがこん、と商品が落ちて来た。悠也くんはすぐにコーラを拾って、私が自分用にミルクティーを買うのを大人しく待っていた。
ミルクティーとコーラを片手に、私たちは公園の中のベンチに座る。二人でぷしゅりと小気味のいい音を立てて、それぞれの飲み物を開封した。
そして私がペットボトルに口をつけようとすると、悠也くんがそれを遮った。
「見ててね!」
そう言うと彼はコーラをぐびぐびとまだ喉仏のない綺麗な喉に流し込んでいった。無理のない範囲での一気飲みに私は拍手を送る。
「おれ、コーラ飲めるでしょ!すごいだろ!」
「うん、すごいすごい」
えっへん、と小さな胸板をそらすと同時に彼の口からはカエルの鳴き声みたいな盛大なゲップが漏れ、初めて聞いた声に、二人でお腹を抱えて笑い合った。
「……懐かしいなぁ」
思わず独りごちてしまう。彼はまだ元気だろうか。
彼が小学校高学年にもなると友達も増え、次第に私と会う機会は減っていった。私が受験期を迎え、大学生になる頃には、もう顔を合わせることもなくなった。
そして就職を機に、私は上京して一人暮らしを始め、たまにしか実家には顔を出さなくなり、彼がどう成長したのか全く知らないのである。
……悠也くんもそうだけど、
「お父さんとお母さん、元気かなぁ」
会う機会がめっきり減ってしまった両親へ思いを馳せ、次の大型連休では帰省しようと心に決めながら、しばらく手に持ったままだった空き缶のゴミをゴミ箱へと放り投げた。
「……まだ炭酸飲めないのか?」
「え?」
低い声がした。声の主へと振り返ると、高校生ぐらいの背の高い男の子が両手をポケットに入れてこちらを見ていた。
どことなく既視感のある顔立ち。なんとなく聞いたことのある声。少し人を小馬鹿にしたような言い方。
…………もしかして、
「悠也、くん?」
「…………」
何て言っているのかは聞き取れなかったけれど、私の問いかけに彼がボソボソと小さく答えた瞬間、
目の前がしゅわしゅわと炭酸水みたいに弾け飛んだように感じた。