2-2「まさか、喜んで引き受けますよ」
少し間があって、手持無沙汰になった九朗は、ソファー脇に展示してある模型に目を止めていた。ガラスケースに収められたそれは、1メートルほどの大きさもある存在感のある模型だった。
「それはこの艦の模型だよ」
カウンターで作業をしながらタイラーが声をかける。豪奢とも言える装飾を施された軍服に、さらに仮面を被った男がカフェのカウンターに立っているという光景は、九朗から見れば違和感に他ならなかったが、タイラーの脇で軍服の袖を軽くまくって洗い物をするルウも、カウンター席に座りながらその重そうなブーツの足をプラプラと揺らしているパラサにも日常の光景だった。
九朗が見るガラスケースの下の木製の台座には、金属製のプレートがはめ込まれており、『学園都市型超弩級宇宙戦闘艦つくば型一番艦『つくば』全長3402m・全高650m』と彫り込まれていた。
「この艦はこんな形をしていたんですね。車の窓越しだと全然形がわからなかった」
しげしげと、九朗はその模型を眺めた。艦というにはその形は異質だった。流線形のその形は生物的でもあり、シロナガスクジラの背に艦橋が乗っているようにも九朗には見えた。
艦橋というのは、船の上に塔のように立つ構造物を指す、通常それらはブリッジや観測所などを備え、水平線のより遠くを観測するために九朗の時代の少し前、二次大戦中には各国が競ってこの艦橋を高く大きくするという現象があった。それはその時代のレーダー技術が稚拙であったが故に、索敵・観測を目視に頼ったがゆえである。今九朗が見る艦橋はそのようなトップヘビーになってしまうような巨大なそれではなかったが、この巨大な船に付いているという時点でかなりの大きさの艦橋であることが想像できた。それはやはりイルカの背びれのような形をしていた。
艦橋の前には主砲だろうか、大型の大砲が3門連なっている砲塔が3基並んでいる。艦橋後ろにはその砲塔が2基、艦橋の左右には対空銃座のような小型の砲塔がまるでクジラの体に付くフジツボのようにびっしりと配置されていた。また、艦の左右にも主砲と同じ大きさの砲塔が2基装備されており、その周りにも点在するように小型の砲塔が取り囲んでいた。
「よく出来ているだろう? これから来る男が作ってくれた模型なのだよ。作れるかと聞いたら翌日には持ってきてくれた。器用な男だ」
いつの間にか九朗に並びながらタイラーは言う。
「この艦の砲塔は本来こんなには付いていなかったのだが、私が発案して取り付けさせた。従来の設計ではあまりに死角が多かったのでね」
聞けば、現在主流の宇宙戦艦は艦首に主砲が集中しているのだという。この『つくば』にも艦首主砲は搭載されている(九朗には艦首主砲がクジラの目に見えた)が、タイラーが可能な限り砲塔を増設させたという。
「前の方がクジラみたいで可愛かったのに、今はハリセンボンみたい」
そんな感想を漏らすパラサは不機嫌そうだ。
だが、そうなるだけの理由もあった。砲塔を増設し、砲門を増やすということは、それを操る人員を配置しなければいけないという事だ。タイラーが増設した事により、つくば型は建造当初より4倍の砲門数となった。当然それを制御する人員は激増し、艦内の部隊を再編するまでに至った。それを采配したのはこの『つくば』の副官であるパラサだった。
「本当なら、ルウが一番文句言っていいのよ? 『戦術長』なのだから」
パラサはカウンターを挟んでグラスを磨いているルウへ同意を求める。ルウは『つくば』艦内において艦長付士官及び戦術長を兼任していた。
戦術長とは『つくば』内の戦術科という部署を統括する立場となる。本来中尉であるルウは階級的にもそのような立場にありえるはずが無いのだが、それがこの学園都市型超弩級宇宙戦闘艦ゆえの特徴でもあった。
学園都市型超弩級宇宙戦闘艦は文字通り一つの学園、つまり士官学校でもあった。彼女たちは所定の訓練カリキュラムを終えると、それぞれが階級を上げ、そのまま『つくば』の正規乗組員となる仕組みであり、平時であれば、本来『つくば』はまだ戦闘艦として運用されることはありえないのだ。
「いえ、戦術科としては航空隊を再編して砲雷士に配置換えするだけでしたから、さほど問題はありませんでしたよ?」
ルウは簡単に言ってのけるが、それが簡単な作業であるはずはもちろん無かった。
宇宙戦艦に限らず、24時間稼働するシステムは人員を使用する際3交代制を取るのが普通である。つまり、一つの持ち場に対して最低でも3人を人員として確保する必要があるのだ。そのため、航空隊の人員だけでは勿論足りるはずもなく、ルウはパラサとタイラーを伴って各部署の長に人員を回して貰えるよう頼んで回り、集めた人員を砲雷士として再教育する必要があったのだ。
因みに砲雷士とは、各砲塔、各銃座、あるいは各魚雷発射管の火器管制室から実際にそれらの照準を操作し、それらを発射する者たちのことである。同じ戦術科に所属する航空隊の面々は同じ科という事もあり、さらに高度な航空機の操縦を行いながら自機の火器管制を行うため、難なく砲雷士としての訓練を受ける事が出来たが、結局航空隊の絶対数が元々少なかったがために航空隊から砲雷士となったのは数名で、その他の人員はまったく異なる職種の他科のクルーであった者たちであった。
「まあ、間に合って良かったじゃないですか」
それによるルウの負担は相当なものであるはずであった。だが何を言ってもルウはこの通りなのである。友人でもあるパラサにとっては複雑であった。
『シド・エデン軍曹入ります!』
艦長室にスピーカー越しの音声が響く。
「入れ」
タイラーが短く言うと入り口の自動ドアが開き、するりとツナギ姿のシド・エデンと呼ばれた青年が室内に入ってきた。
シド・エデンは一言で言うと体格のいい長身の男であった。歳はやはり九朗とそう変わらないように見える。だが、彼の体躯は九朗のそれよりも一回り大きく見えた。シドは浅黒い肌に刈り上げられた髪に作業帽を被り、ツナギにブーツという出で立ちでブーツの底を鳴らしてタイラーに敬礼した。九朗には彼が精悍な軍人に見えた。
「楽にしろ、シド軍曹」
「艦長勘弁してくださいよー」
タイラーが言うなり、シドは表情を緩ませ、作業帽を取り払ってツナギのポケットにねじ込むと、フラフラとカウンターまで歩き、どっかりとカウンター席に座って上半身をカウンターへ投げ出した。
「機密格納庫からここまで直線距離にすりゃあそりゃ1キロ位ですがね、階段もあれば回り道せにゃならん所もあるんですよー、こちとら油まみれの埃まみれとくれば、着替えて来なけりゃならんし、大変なんですからー つってもツナギですけどね」
「ご苦労、駆け付け一杯だ。良く冷えてるぞ」
タイラーが差し出したジョッキのアイスカフェオレを「どーも」と言いながらシドは受け取ると一気に飲み切った。
「かー、甘さが五臓六腑に染みわたるってんだ!」
飲み切ったジョッキをシドが豪快にカウンターへ置くと、すかさずタイラーが代わりのジョッキを差し出した。シドは相撲取りのように空中を手で空を切ると「あざます」と言いながらさらにそれを受け取る。
「シードー!! 上官不敬だってば!」
シドと並んで座るパラサは、そんなシドの態度をその碧眼で睨みながら窘めるが、「いいのだ」と興味もなさげにタイラーに遮られてしまった。
「ふんっ、相変わらずお堅い女だ、黙ってりゃ可愛げもあるのによ! 艦長様はタイラーカフェでは砕けた対応をお望みだ。望まれたのならその通りにするのが礼儀ってもんだろうが」
豪快な人物だった。九朗には目の前にある模型の緻密さと、カフェカウンターで息巻くシドとをうまく結びつけられずにいた。
「で、用ってのはソイツですかい、艦長?」
ジョッキを持ちながら、シドはぎょろりと三白眼で九朗に目を止めた。九朗は慌ててシドに体を向け、一礼する。
「へえ、お前、何か武道やってるだろ?」
一見して看破され、九朗はたじろぐ。
「剣道と武術を少々……」
「ふーん……」
ジョッキを持ったままシドは九朗に興味を持ったようで、九朗へとずかずかと近寄る。九朗は模型棚とシドに挟まれる形になりながらも、シドをじっと見つめた。
シドは努めてちゃらけた歩き方をしているように見せて、その実『重心』がまったく左右にぶれていない。長く武術に打ち込んでいた九朗には、シドと呼ばれた男が『その道』でかなりの熟練者であると一目でわかった。
「かなりの『使い手』とお見受けします」
九朗が言うなり、シドは「ヒュー」と口笛を鳴らした。
「名前は?」
「クロウ・ヒガシ」
ふんふんと頷きながらシドは九朗の全身を眺め見る。
「どうやら、気に入ってくれたようだな」
言いながら、音もなくタイラーはシドの真後ろに居た。九朗はシドに気を取られていたとはいえ、タイラーが近づいていたのに気が付けなかった事実に驚愕した。九朗にはその足音さえ聞こえなかった。
「艦長の次ぐらいには興味あるねぇ」
言いながら、シドはどっかりと先ほどまで九朗が座っていたソファーに腰掛け足を組んだ。
「いいぜ、教えてくれよ。このクロウって奴も単なる来賓って訳じゃないんだろ? ここ数日艦長が外出してたのはこいつ絡みと見た。違うか?」
タイラーはシドの対面のソファーに腰をかけると、九朗にも座るように促し、九朗に断った上で事情を説明しだした。
九朗がタイラーと同じ年代の『ロスト・カルチャー』であること。
タイラーが九朗の身元引受人となったこと。
そして九朗が第四世代人類であり、このつくばへ乗船させることになったということ。
「なるほどねぇ、おいクロウ、どうしてまた軍人なんぞになる決心をした? 冗談じゃなく命を落とす事だってあるぜ?」
それがこのシドという男なりの優しさなのだろうと、九朗は感じた。
目の前の男は豪快にして豪胆。しかし、その実細やかで人を良く見ている人物であろうと。それはタイラーが躊躇なく事情を話し、彼が作った模型をこの部屋の『目立つ』場所に飾っている事からも、タイラーがこのシドという男を信用しているのは間違いないだろうと考えた。
「僕の事情は、『コレ』です」
九朗は、コンテナで泣き崩れた後、無意識にタイラーに借りたコートのポケットに仕舞っていた母からの便せんを取り出し、シドへと渡した。
シドは、便せんと九朗を交互に見ると、便せんを丁寧に受け取り、慎重に中身を開いた。
読み進めるシドの目に涙が浮かぶ。九朗が想像していた以上に、シドは情に厚い人物だったようだ。
「……ぁあ!!」
最後まで読んだシドは辛抱たまらんと言った様子で、手紙を汚さないようそっとサイドテーブルへと置くと、ツナギと首の間に巻いていたタオルを勢いよく広げ、顔を覆い隠した。
「俺はよおおおお、この手の話に弱いんだよおおおおおおお!! みんな幸せになればいいのによおおおおおおおおおお!!」
事情を説明するだけのつもりで手紙を見せた九朗も、予想外の反応に苦笑するしか無かった。
「協力、してくれるかね?」
シドの反応に若干戸惑いながらもタイラーが問う。
「なんだってするからよおおおおおお!! クロウ幸せにならないとだめだろおおおおおお!!」
タオルをぐしゃぐしゃにしながらも、シドは叫ぶ。交渉は必要ないようであった。その顔は滝のように涙を流し、鼻水さえ流している。九朗には自分より号泣しているように見えた。
この反応に戸惑ったのは少女二人だった。少女二人のシドの印象はひたすら豪快でガサツな男、というものだったからだ。タイラーは一方で、協力を要請すればシドは拒まないことを看破していた。シドと言う男が、技術科のトップである技術長でありながら、昇進を拒み、あえて軍曹と言う階級にとどまっている事、一方で部下である技術科のクルーたちの世話を焼き、人望に厚いことを知っていた。
タイラーはサイドテーブルにシドが置いた手紙を、元の通りに丁寧に畳んで便せんに入れると「これはあまり人に見せるものではないよ」と窘めながら九朗へと返した。
「すみません」
そう言いながら、便せんを受け取った九朗だったが、少女二人がこの手紙に興味津々な視線を投げかけている事に気が付いた。艦長の手前すぐに見せる訳にもいかないが、気が向いたら二人にも見せてあげよう、と。九朗は心の隅に止める。
「うー、一年分位、泣いたわー 尊い」
シドは言いながらタオルを再び首に巻くとタイラーへ問う。
「クロウを、一人前にすればよろしいんですね?」
「話が早くて助かる」
タイラーのその返答に、シドはあごの下に手を添える。
「普通の方法じゃとてもじゃないが間に合わねぇ、『インストール』と『VR』の使用許可を具申します」
シドがそう言うと、タイラーは大きく頷いた。
「許可する。『インストール』は考えうる種類を全て行え、何なら用意できるものは全て『インストール』して構わん。『VR』は60倍まで実行していい」
タイラーの返答に、九朗を除いたその場の全員が驚愕する。
「60倍!? いきなりですか!?」
叫んだのはパラサだった。
「彼なら大丈夫だ。そこは私が保証する。カリキュラムはシド軍曹に一任する。必要と思う事をやれ」
九朗自身には想像もつかない事であったが、この言葉の意味を九朗はすぐに知ることになる。
「やれって言うならやりますが、血反吐を吐くことになりますぜ?」
シドが心配そうに九朗を見た。
今話題に上がっているのはどうやら九朗自身の事のようである。九朗はシドに向かって言う。
「タイラー艦長や、シド軍曹の言っている言葉の意味が分からないですが、それで皆さんのお役に立てるのであれば、やります」
「よしっ、わかった。無理だけはするんじゃねえぞ? 俺はお前のカーチャンに恨まれたくはねえ」
九朗の答えを聞いたシドは、勢いよく立つと、つかつかとカウンターの裏へ入り込んで先ほどルウがブリッジに向かって呼びかけたマイクへ向かって呼びかけた。
「俺だ。野暮用が出来た。そっちの今日の作業は俺抜きでも行けるな? ああ、そうだ。細かい調整は後でいい。ああ、よろしく頼む」
言い終えて、「ふー」とシドは息を吐きだすと、タイラーに問う。
「こいつの部屋は決まってるんですか?」
「君では不服かね?」
「まさか、喜んで引き受けますよ」
今度は九朗の目の前にツカツカと歩くと、シドは右手を九朗へ差し出した。
「今日からお前の同室になるシド・エデンだ。こんななりだが18歳、お前と大差ないはずだ」
「クロウ・ヒガシです。よろしくお願いします!」
◇
退出したクロウとシドを見送って、タイラーは残ったルウとパラサに問いかける。
「少々、強引だったかな?」
「いつも通りじゃないですかぁ?」
答えるパラサに、無言で笑みを向けるのみのルウだった。
「君たちに相談もせずに、クロウを乗艦させた件は申し訳なく思っている」
タイラーは今やこの艦の艦長というだけではなく、彼女たちの親も同然の存在だった。時折このように彼女たちのあずかり知らない事もするが、その多くが彼女たちの、この艦自体の事を思っての事だった。それを知るルウもパラサも、タイラーを責めるつもりはなかった。
「さて、と。主計科に行ってクロウ少尉のあれこれを準備しておきますけど、いいですよね?」
パラサは言いながら艦長室の扉へと向かう。
「すまないな、一通りの物を用意してやってくれ」
答えるタイラーに「りょーかい、りょうかい」と言いながらパラサは艦長室を後にした。
「ルウ中尉、保安科の諜報班をここへ呼んでくれるか?」
「はい」
ルウは言われた通りに、カウンター裏のマイクからブリッジを呼び出し、要件を伝えた。
「意外だな。質問は無しかね?」
「クロウ少尉とのお約束を守るのでしょう? 艦長がお約束したことを違えた事なんてありませんから」
タイラーに答えながら、ルウはにっこりと笑う。
「ふっ、適わないな。以心伝心という訳か。いずれ君とは言葉を交わさずとも意思が伝わる気さえしてくる」
「それは私の最終目標ですね」
言いながらルウはシドが使ったジョッキを洗い始めた。