悪役令嬢
その日の夜。
みんなが帰ってから、二人だけの夕食。
今日は俺も作るのを手伝った。
まあ、けど、やっぱりラナの料理には敵わない。
野菜のスープ、今日作ったふかふかのパン、バター、近くの川で釣った魚のムニエル。
このふかふかのパンってバターを塗って食べると美味しいんだな……とちょっと驚いた。
「……食べながらでもいいんだけど……あの……」
「ああ、昼間の話? うん、俺もラナにしたいと思ってた話があるから……」
あまりにも緊張の面持ちで、こちらが申し訳なくなってしまう。
だからごまかすように俺から話す事にした。
ラナは驚いた顔をしたけど、気にせず一通の手紙をテーブルに差し出す。
「これ?」
「この国の『国民権』申請書」
「…………」
ゆっくりと、ラナが顔を上げる。
とても驚いた顔だ。
そう、決めなければならない。
「これを書いて送ったら、あとは許可が下りるかどうかを待つ事になる。もし許可が下りれば……『アルセジオス』には帰れない。完全な貴族の爵位継承権利放棄の手続きを向こうでも行ってもらわねばならないだろう。この三ヶ月弱、『アルセジオス』からの連絡は一度きり」
「え! れ、連絡、あったの?」
「あったけど、俺にだけだった。アレファルドは君を完全に切り捨てたんだろう」
「…………」
ラナの顔を真っ直ぐ見て、告げた。
彼女は『連絡があった』以外動じた様子を見せない。
むしろ、アレファルドの名前が出た途端目つきが鋭さを持った気がする。
「あ、そう。いいわよ、今更あんなバカ王子!」
「……未練はないの?」
「ないわ! むしろもう関わりたくない! ……その理由を、私は今から貴方に話そうと思ってた」
「?」
「ちょうどいいわ。あのね、フラン……信じられないかもしれないけど……」
すぅ、とラナの雰囲気が変わる。
……これは……。
「わたくし、エラーナ・ルースフェット・フォーサイスには、前世の記憶があるのです。アレファルドに婚約破棄を言い渡されたパーティーの日に、全てを思い出したのですわ。……ええ、この世界が、わたくしが前世で愛読していたラノベの世界で、わたくしが『悪役令嬢エラーナ・ルースフェット・フォーサイス』だという事を!」
「……………………」
なるほど……。
「えーと、わけ分からん単語が多すぎるので一つ一つ説明して欲しいんだけど」
「もちろん!」
俺に信用してもらう為に『エラーナ・ルースフェット・フォーサイス』としての面を出してきたな?
そこまでされると、確かに俺も信じないわけにはいかない。
なにしろ『彼女』は嘘が嫌いな人だから。
「前世の記憶って?」
「文字通り、わたくしの前世の記憶の事ですわ。……前世では……どういう名前だったかもよく思い出せませんが……就職した会社がひどいブラックで、社員を奴隷のように扱っていたのは覚えています。最期は社長に乱暴されて、その上でライバル会社の屋上から飛び降りろ、と……」
「……、……えーと……それは、まさか実行してないよね?」
「実行しましたわ」
胸を張って言う事ではないと思う。
……半分くらいしか意味分からなかったけど、要するに平民だったけど貴族に好き放題扱われて、その貴族のライバルの屋敷の屋根から飛び降りた、的な話?
嘘でしょ、なにそれ、バカじゃないの……。
「……まあ、ね。でも、公爵家に生まれたのは前世の善行のおかげだと思いますの。最期の方はともかく、仕事はいつも最良最高を目指して努めましたし! 黄色信号では止まる! 夜間の自転車はライトを点ける! ゴミはゴミ箱へ! 横断歩道で道を横断! 人としてルールを守って他人に迷惑を掛ける事もなく、人からされて嫌な事は人にしない! 現代日本人の鑑のような人生を送ったと自負しておりますわ!」
「……はぁ」
よく分からないが多分相当真面目に生きていたんだな。
「そんなわたくしの楽しみがラノベ! ライトノベル……小説ですわ! 漫画も大好きだったんですけど、そこからラノベに転がり落ちました。えーと、簡単なかるーい物語小説、と言えば分かるかしら。中でもハマっていたのがネット小説から書籍化した『守護竜様の愛し子』というお話! 『青竜アルセジオス』に生まれた平民の少女が『聖なる輝き』を持つ者と分かり、色々な人たちに愛されて成り上がっていき、最後は王子様と幸せになる話です」
「…………」
「そんな顔しないの」
いや、だって。
「……この世界が小説の中?」
「ええ! だって『青竜アルセジオス』、ヒロインの名前は『リファナ』、お相手の王子の名前が『アレファルド』、ヒロインを好きになる男たちが『スターレット』『ニックス』『カーズ』。……全部一致してるし、ライバルの悪役令嬢『エラーナ・ルースフェット・フォーサイス』も完全一致! ついでに卒業パーティーでエラーナが王子に婚約破棄されるシーン、そのセリフ一字一句! ぜーーっんぶ! 同じ! ですわ!」
「…………」
さすがに、俄かには信じ難い。
だが、ラナが嘘を言っているようにも思えないんだよな。
ここが小説の中の世界、ねぇ?
「……ラノベの世界って基本的に御都合主義で、読者に優しい世界なのです」
「?」
「主人公はハッピーエンド。そして、主人公を虐める悪い奴はソフトな感じでやっつけられる。読者がストレスを感じない程度にあっさりやられてしまうのですわ。エラーナが分かりやすい例でしょう? 婚約破棄されて国外追放。その上、追放されたあとエラーナは復讐の為に邪竜の復活を目論む」
「……は?」
「わたくし、思い出しましたの。婚約破棄されたあとのエラーナの行く末も。いや、ほんと、あの時思い出して本当に良かった……。エラーナは第二部の二章で邪竜を復活させようと『邪竜信仰』と協力体制をとり、エラーナにベタ甘だったお父様の財力も用いて第五章で邪竜を復活させる。そして、邪竜に取り込まれ、リファナの『聖なる輝き』の助力を得た『青竜アルセジオス』によって消滅させられるのですわ!」
「…………」
……邪竜信仰ね。
この世界を生み出した『王竜クリアレウス』の影。
同じ神竜であり、闇の部分。
人間は竜に守られるべき存在ではなく、竜から独立し、自分たちの力のみで生きるべきという主張。
竜石道具を否定し、竜の支配から解き放たれるべき。
……なんでそんな主張になんのかは、よく分からんけど……。
「ラナが?」
「もちろんわたくしはやりませんわよ? そんなバカな事!」
「……だよね?」
「邪竜に飲み込まれて死ぬなんて冗談じゃありませんもの。それも、あんなバカ王子と頭お花畑ヒロインの為に!」
「…………」
一切の否定要素がないな!
「最期の瞬間まで当て馬にされて死ぬなんて嫌よ! 前世と同じじゃない、そんなの! わたくしはもうあのバカ王子と頭お花畑ヒロインに関わりたくないのです! お分かり頂けて!? ユーフラン・ディタリエール・ベイリー!」
「……まあ、お分かりは頂けましたよ。そうか……じゃあ、ラナはこのままこの国で穏やかに生きたい……って事でいいの?」
「もちろんよ! 『アルセジオス』になんて頼まれたって帰ってやらないし、邪竜信仰なんて永遠に関わらなくて済む感じの文明的で最先端な生活を送ってやるんですわ!」
「な、なるほど」
ものすごく道理だ。
とても分かりやすい。
……そうか、ラナが俺にあれ作ってこれ作ってと言っていたのは最先端な竜石道具が欲しかったからでもあるのか。
いや、ラナがそう言ってくれるのなら、俺はなんでも作るけど。
「……あ! いやあの、だからって別にフランの事を利用してたとかではないんですのよ!? 貴方の才能には適正な対価が支払われるべきっていうのは、本心からですから!」
「え? あ、ああ、そこは気にしてないけど」
「本当に!? し、信じてくれる!?」
「……うん」
実際、ラナは俺に執拗なくらいお金を支払おうとしてくれるし。
俺はもうラナに色々もらってるのにね。
まあ、けど、そうなると気になる事が一つ。
「つまり、今のエラーナ嬢はエラーナ嬢というよりも前世の人……って事?」
「え? いいえ? 影響は受けていると思いますわ。ラフな喋り方? ええ、これはとても楽でいいですわね。それに、庶民の中に入っても馴染みやすいでしょう?」
「……基本的にはエラーナ嬢本人という事?」
「ですわ! ……まあ、時々感情が昂りすぎて言葉が荒くなってしまう事もありますが、そこはご愛嬌ですわね」
そうか?
可愛いというよりは面白いが先立つ気がするんだが……。
「……というか、正直きちんと意識しないと喋り方はごちゃごちゃになってしまいますのよ。貴方の前だと特にそうね。貴方は貴族だから、どちらの話し方の方がいいのか判断がつきかねるの」
「俺はどっちも好きだよ」
「えっ」
「……あっ! ……あ、いや、ど、どちらでもいいよ」
ヤバイ、なにしれっと『好き』とか言ってんの俺!
え? いや、好きは好きだけど、あれ?
あ、あぁいや、は、話し方、そう話し方の話だよ!
うん、話し方、どっちもいいと思うっていうか、うん?
「……き、君が楽な方で……いいよ……」
「そ、そ……そう……じゃ、じゃあ……楽な話し方で……話す、わね……」
「あ、ああ、うん……」
……なんだこの空気。
「こ、こほん。……じゃあ、その、話を戻すけど……『セルジジオス』の国民権申請は行っていいんだな? 『アルセジオス』の方に貴族の爵位継承権利放棄申請も一緒にする事になるけど……そうなったらもう本当に、貴族には戻れない」
「ええ、いいわ。あんな死に方するくらいなら、一生この国で平民として生きる! ……私はそれで構わない。……私は……、……あの……でもフランは、フラン、貴方は……貴方は別に好きなように生きていいのよ。こ、こんな、人を虐めて婚約破棄された挙句国外追放された令嬢の面倒を、いつまでも貴方が見る義理はないわ……」
「ん?」
俯き気味になりながら、ラナはそう告げた。
聞き返しても返事はない。
はあ?
今、俺に「好きに生きろ」と言ったのか?
「…………」
アレファルドにはそんな事言われた事なかったな。
ああ、あいつにとって俺は『俺に尽くして当然』の存在だったのだろうから。
戻ってこい、という程度には『いると便利』な存在だったんだろうけど……。
本来ならエラーナ嬢もそういう存在だったはず。
なにしろアレファルドとエラーナ嬢は国の為に政略結婚する予定だったのだ。
公爵家の後ろ盾を得る為の婚約者。
リファナ嬢の存在がなければ……彼女は想い人と幸せになれたのだろうか。
少なくとも今は——。
「ラナ」
「う、うん」
「君はリファナ嬢を虐めてないだろう? 今の言い方は虐めていたと認める言い方だけど……」
「…………。……信じてくれるの?」
「公爵家のご令嬢が『聖なる輝き』を持つ者を、いくら婚約者が奪われそうだからとて虐めるわけがない。俺は……正直あの場でリファナ嬢がアレファルドの言い分を否定しなかった事に違和感を持った」
「……っ、……だからあの時、助けてくれたの?」
「……ま、まあね」
……いやまあ、別な意味の下心はありましたけども。
あったけど、正直ここまで俺の願望がポコポコ叶う状況になるなんて思わなかったし。
俺、近いうち死ぬんじゃないかと思う。
運を使いきって、死ぬ。
もしくは夢かなにかなのでは……。
今も割とマジでそう思っている。
「私……最初貴方は私が悪さしないように見張る役目なのだと思ってた」
「……え」
「でも、『守護竜様の愛し子』の中に貴方の存在は明確に描かれていなかった。だからどーせモブなんだろーなー、って……思ってたけど……」
「? ? ?」
も、もぶとは?
よく分からないがあまりいい言葉のようには思えない、な?
「フラン、言ってたでしょ? アレファルドたちは貴方が作った竜石道具を自分の手柄のようにリファナに渡したって」
「ああ、まあ、うん」
「そういうシーンは確かにあるのよ。二部になってもあるわ。……だから私、こう思うの。きっと貴方はラノベにありがちな、御都合主義を可能にする為の
「…………」
何気にボロクソ言われてる気がするのは気のせいか?
「……そんな貴方が、私を助けてくれて……そして、こうして支えてくれるのは……その、なんというか……私が『エラーナ』の運命に抗うのに、とても、心強い……」
「…………」
「でも、だからこそうっかり貴方が私の運命に巻き込まれるのは嫌だと思うの。貴方は貴方が後悔しない生き方を……!」
「俺も帰らないよ」
「…………」
「あいつらのところには帰らない。利用されるのが分かってて、帰りたくないし。……そんな話を聞いたら余計に」
「……フラン……」
「……俺の価値を証明してくれるんだろう? しかも報酬つきで。それなら、ラナの側にいた方が、俺は得だと思わない?」
「…………」
わざと軽く言ってみた。
ウインクつきで。
ラナは少しだけ泣いたあと、満面の笑みを見せてくれた。
うん……こんな最高な報酬があるなら、わざわざあんなやつらのところに帰る意味はないな。
「じゃあ、改めて……よろしくね、フラン……!」
「よろしく、ラナ」