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禁忌の箱は地獄でしか開けられない

 ランは豪奢な内装の自室で、立派な額縁に飾られた写真を思い詰めた表情で見つめていた。十年前のランの誕生日に撮られたその写真には、幼いランと三人の少年の姿が映っている。この写真を撮った日のことを、ランは今でも鮮明に思い出せた。

 吸い込まれそうなほど青い空の下、王城の広大な庭で盛大に行われた彼女の七歳の誕生パーティーでこの写真は撮影された。一緒に映っている三人の少年とランは物心付く前からの友達で、あの頃は毎日のように四人で過ごしていたものだ。その友情は大人たちにとっては貴族の跡取り息子たちに次期国王となる姫君・ランへの忠誠心を刷り込むことを目的として意図的に生み出されたものだったが、当の本人たちにとっては本物だった。

 写真の中のランは藤紫色の髪に巨大な黒いリボンを付けて満面の笑みを浮かべている。その左隣でフードを深く被って顔を隠しているのはレイン家の跡取り息子、ブラッディだ。ブラッディの顔はよく見えないが、写真を撮る間ずっとふてくされていたことを覚えている。ランの右隣ではシュテルンツェルト家の一人息子、ベルモンドが幸せそうに微笑んでいた。その隣のルス家の跡取り、ソルは激しくポージングを決めたせいでブレてうまく映っていない。

 沢山のプレゼントに囲まれて、美味しいご馳走をたくさん食べて、隣には友達がいて。最高の誕生日だったのだ。こんな日がずっと続けば良いと思うほど。

「毎年こうやって、ランの誕生日を四人でお祝い出来たらいいね」

 そんなベルモンドの言葉通りの未来を誰一人疑ってはいなかった。けれど、その数日後にシュテルンツェルト家の屋敷は何者かの襲撃を受けて、使用人も含めて全員が殺された。たった一人遺体の見つからなかったベルモンドの行方を知る者は誰もいない。

「できるよ! おれたち、ずうっといっしょだもん」

 太陽のように輝く笑顔を浮かべていたソルも、その三年後に連れ去られて行方不明になった。

「じゃあやくそくね。わたしのたんじょうびにはかならず四人でおいわいすること! やぶったらぜっこうなんだから!」

 そんなことは冗談でも言うのではなかったと、ランは今更後悔している。今となっては絶交どころか彼らが生きているかどうかも分からないのだから。

 シュテルンツェルト家を皆殺しにした犯人もソルを連れ去った犯人も、実行犯自体は捕まっている。しかし、いずれも彼で雇われた悪党どもに過ぎず、依頼人に関する記憶を消去されており黒幕は分からずじまいだった。

 国の要職のほぼ全てが三大貴族であるシュテルンツェルト家・ルス家・レイン家出身の人間で埋められている状態で起きた事件であり、その権力を弱めようとした誰かの悪行であることは間違いない。ただ、三大貴族が力を失うことで利益を得る小貴族は星の数ほどいて、犯人の特定は困難を極めていた。

 多分、事態の収拾に向けて大人たちは色々な苦労をしたのだろうと思う。建国時の英雄の子孫とされたシュテルンツェルト家の滅亡は国中に衝撃を与えた。それをなんとか元どおりに戻すのに十年。ようやく王都は以前の落ち着きを取り戻していたけれど。ランはそんな大人たちに不信感を募らせていった。

 なぜなら、誰もベルモンドとソルを探そうとしなかったから。跡取りを失ったルス家は当初こそ必死にソルを探していたが、レイン家との間になんらかのやりとりがあったらしく、あるときを境に彼の捜索をやめてしまった。

 そして二人のことは忘れ去られた。ランが何度彼らを探すよう頼んでも、誰も聞き入れてはくれなくて。それはやがて開けてはいけない禁忌の箱のような扱いとなり、二人のことを話題に出すだけで叱責されるようになった。

 ベルモンドの失踪から十年の時が経ち、ランはとうとう自分の力で立ち上がることを決意した。あまりにも遅すぎる決断だと自分でも分かっていたけれど、二人のことを諦めることが彼女にはできなかったのだ。

 たった一人残った親友、ブラッディと調査をする中で、彼女はある結論に至る。二人はどこにもいない。この国の、どこにも。二人が生きている可能性があるとするならば、ランたちにはどうやっても見つけることのできない国外くらいだった。

 王都の東に広がる、城壁と隔てられたスラムを除いては。

 王都の人間は一人たりともスラムへ立ち入ることを許されてはいない。そこは汚染され人が足を踏み入れてはならない場所なのだという。一体何に汚染されているのかと聞けば、大人たちは揃って困り顔をするのだった。

「もうあんな大人たちには任せておけないわ! スラムに行って二人を探しましょう!」

 ある日そう宣言したランに、ブラッディは冷たく指摘する。

「君にはいつも護衛が張り付いているのに、どうやってスラムに忍び込むのさ?」
「うっ」

 痛いところを突かれたランはしばし考え込んだ。

「なにか、国中の関心が向くイベントが起きればいいのよ。そしたら私への護衛の目がちょっと逸れるから、その隙にスラムへ忍び込みましょう」
「そんな都合の良いイベントあるかなあ」
「いつかきっとチャンスは来るわよ!」

 そんなことを言うのではなかったと、数ヶ月前のやりとりを思い返してランはまた後悔した。確かにベルモンドたちを探しに行きたいと願い、重大事が起こることを期待していたけれど。まさかこんな形になるなんて思いもしなかったのだ。

「いつまで写真なんか見てるのさ? 念願のチャンスでしょ、さっさと行くよ」

 ランの隣で彼女を見つめていたブラッディはいつも通り真っ黒なローブをまとって馬鹿にしたような調子でランを催促したけれど、その顔を隠すフードがいつもより深くかぶられていることにランは気づく。

「ついてこなくて良いのよ。今日は貴方にとって大切な日でしょう?」

 いつもはカラフルなドレスに身を包むランも、今日ばかりは真っ黒なワンピースに身を包んでいた。

「別に。葬式なんかしたってあの人は生き返らないし。それにあの人ならお姫様を守って来なさいって言うよ」
「でも」
「最期にちゃんと話したからいい。ちゃんとさよならって言っといた」
「そうだとしても、お葬式をチャンスにするなんて許されるのかしら」
「あーうっざ!」

 目に涙を溜めながら悩むランをブラッディはばっさりぶった切る。

「僕が良いって言ってるんだから良いんだよ! それよりはやくスラムに行こうって! ちゃんと連れてってくれる商人を見繕っておいたから失敗はないよ。ほら早く!」
「ちょ、ちょっと引っ張らないで! 分かった、行くわよ!」

 いらいらと叫んで彼女の腕を引っ張るブラッディに、ランは慌てて了承した。いつも彼女はブラッディの傲岸不遜な態度に押し切られてしまう。これではどちらが姫でどちらが臣下か分からないが、ブラッディが態度を改めることは天地がひっくり返ってもありえないとランは思っていた。

 部屋を出ると、護衛たちが待ち構えている。二人の後について来ようとした彼らに、ブラッディが悲痛な顔で訴えた。

「少し二人にしてもらえるかな? 悲しみで胸がはち切れそうなんだ。静かな場所で姫と心を休めたいんだよ」

 そう言えば、護衛たちは同情の眼差しで頷く。普段ならこんなずさんな警備は許されて良いものではないが、涙目のブラッディの懇願は今日に限り絶大な威力があった。ブラッディが戦闘訓練で一番の成績を収めていることは誰もが知っていたし、護衛たちは彼に姫を任せて行ってしまった。

「こんなに簡単でいいのかしら」
「この国は馬鹿ばっかりだから。そんなことより行くよ」

 人目を避けながら王城の廊下を素早く通り抜ける。幼い頃からかくれんぼや鬼ごっこをしてきたから、大人たちよりよっぽど城の構造には詳しかった。誰にも合わないために隙間をくぐり抜けたり隠し通路を通ったりして、二人はあっさりと城の地下貯蔵庫にたどり着く。

「ここに貴方の手配した案内の商人が来るの? どうやってその人はここに入るのかしら?」
「さあね。多分触れちゃいけないやつだと思うよ」
「なんでそんな危ない人にお願いしたのよ!?」
「そもそもスラム行きって絶対許されない行為ですがなにか」
「んんんんん!」

 コツ、コツ、コツ。

 そのとき、行き止まりのはずの貯蔵庫の奥から足音がして二人は凍りついた。給仕の人間が貯蔵庫にいたのか、と後ずさるが、現れた男は明らかに給仕役ではない。

「貴方がたも、なかなか面白い方達ですね。さすが、彼の友達だ」

 胡散臭い笑顔は若者のようにも老人のようにも見える。上等のスーツと革靴に身を包んだその男は間違いなくブラッディの手配した商人だとわかった。

「お初にお目にかかります、プリンセス・ラン。私が本日貴方がたをスラムへお連れするものです。ダン、とお呼びくださいな」

 右手には分厚い本、左手にはランタンを手にしたダンという男は、間違いなく危険な世界に足を突っ込んでいると世間知らずのランでもわかる雰囲気を醸し出していた。ランは恐怖に震えるが、必死で自分を抑え込む。ベルモンドとソルがスラムにいるのなら、想像を絶するほどの苦しみを受けているかもしれないのだ。

「お願い、ダン。私たちをスラムに連れて行って」

 今度こそは後悔しませんように、と願いながら、ランは商人をまっすぐに見つめて告げた。そんな彼女の様子に、怪しい商人は満足げに微笑むばかり。

「では、行きましょうか」

 優雅な仕草でダンが手を差し出す。まるでダンスパーティーのエスコートのようだったが、ランの心は沈むばかりだ。まるで、地獄への階段を登らされるような気持ちになる。

「やめるなら今しかないよ」

 彼女の恐怖に気づいたのか、ブラッディが無感情な声で告げた。他人のことなど思いやりはしない彼でも、ランの怯える姿に思うところはあったのかもしれない。そんなブラッディの優しさに励まされて、ランは力強く首を振った。

「いいえ。私、行くわ」

 そして彼女は一歩を踏み出す。その歩みの先にあるのが天国か地獄か、彼女にはまだ分からなかった。

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