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59話 男だから

 バンディーニの部屋から出ると、ロゼッタは大きく溜息を吐いた。
 対戦相手への対策には、素人のロゼッタは口出しできないので二人に任せるとして。考えなくてはいけないのはマネジメントのことであった。
 二人の拳闘試合はコロッセオで行われるような公式試合ではなかった。
 どういうことかと言うと、それはエドガーとのお見合いの時に話しは遡る。



*****

「俺も拳闘士だ」

 そう言って拳を突き出すエドガーのことをロゼッタは一瞥すると鼻で笑う。

「つまらない冗談ね」

 馬鹿にして言うのだが、エドガーは意にも介さない。
 ニヤリと笑うと、ロゼッタに背中を向けてバルコニーの手すりに手をつき遠くを眺める。

「あれが、拳闘士達の練習場かい?」
「ええそうよ」
「彼らは、どうして戦うんだろうね?」

 どうしてと言われても、それが拳奴の成すべきことだからとしか答えようがなかった。
 しかし、そんな当たり前の答えを聞きたいが為の質問ではないと言うことは、ロゼッタにも理解できた。
 質問の意図するところがわからないのでロゼッタが黙り込んでいると、エドガーは再び振り返り言う。

「男だからだよ」
「はあ?」

 つい変な声を出してしまった。
 ロゼッタは咳払いをして誤魔化した。

「拳奴達の戦う理由が性別に由来するならば確かにそうね。女性は拳闘士にはなれないもの」
「そういう意味じゃないさ」
「一体なにが言いたいのかさっぱりだわ」

 エドガーの勿体ぶった言い回しにロゼッタが苛立ちを見せる。
 それを察したエドガーはすまないと前置きをして説明を始めた。

「君は貴族である俺が、拳闘士をしているということを冗談だと思っているんだろう?」
「だってそうでしょ、意味がないわ。なんでわざわざ殴り合う必要があるのよ」
「ではなぜ貴族の男子は、剣を習わなければならない?」
「戦争になれば、剣を取って戦う必要があるからよ」

 なんだか誘導尋問をされているようで、ロゼッタは不快な気分になる。

「その通りだ。高貴なる者、人の上に立つ者は強くあらねばならない。そうでなければ人心を掴むことなんてできないからだ」
「それと拳闘となんの関係があるのよ」
「強くあるのに、それが拳闘であってもなんの問題もないだろう?」

 あっけらかんとして言うエドガーに、ロゼッタは心底呆れてしまった。

「馬鹿らしい。素手でいくら強くなったって、武器を持った相手に勝てるわけがないでしょう?」
「そうとも限らない、俺はガキの頃に見たことがあるんだ。東洋から渡ってきたという小さな黒髪の男が、体術だけでグラディエーター三人を圧倒した試合を」
「グラディエーターを? ありえないわ」

 そんな与太話を信じられるわけがなかった。
 どんなに強い拳闘士、それがセルスタや、それこそ拳神ディアグラウスであっても、グラディエーターを複数人相手に勝てるわけがないと思った。
 そんな考えが表情に出ていたのか、エドガーはロゼッタのことを見ると笑いながら言った。

「ははは、信じられないかもしれないだろう。でも、実際に俺が目にしたものだ」
「つまりあなたは、剣ではなくて拳で強くなりたいと」
「そういうこと。憧れちまったんだよ、その男の強さにな」
「くだらないわ」
「まったくその通りさ。だから、理由は男だから、そういうことさ」

 まったく理解できなかった。
 ただ単に憧れたから、そんな理由で奴隷の行っている競技を貴族の子息がやりたいなんて、ロゼッタには到底理解できることではなかった。

「で、あなたが特殊な人間と言うことはわかったけど。それがなんだって言うの?」
「言っただろう君のことを調べさせてもらったって。なんでも君は現状の拳闘試合に不満を抱いているそうじゃないか」

 そんなことまで調べているなんて、まったくもって嫌な奴だとロゼッタは思う。

「実を言うとね、俺も同じように思っているんだ」
「へえ、それは意外ね」
「なんだか信用されてないみたいだね」

 ロゼッタの冷めた眼つきにエドガーは苦笑い。

「まあ聞いてくれよ。俺も現状の拳奴達の扱いには辟易しているんだ。勿論これは同情からくるものではない。ロゼッタ、君は今の試合形式の何が欠点だと思う?」

 エドガーの質問に答えるべきかロゼッタは悩む。
 この男にそれを話してしまってもいいのか、ロイムやバンディーニが成そうとしていることの障害にはならないか。彼のことをまだ信用できないロゼッタが考えあぐねていると、エドガーの方から再び切りだしてきた。

「俺は、今の試合形式では、拳闘士が本来の実力を発揮しきれないと考えているんだ」
「どういうこと?」
「拳闘は現段階では競技と呼べるような代物ではない。ただ単に殴り合って、殺し合いをしているのとなんら変わらない」

 ロゼッタは驚いてしまった。エドガーの口からでたことが、あの二人と同じ言葉であったからだ。

「観衆は拳闘士の試合を見に行っているのではなく、血を、死を見に行っているだけだ。これでは拳闘士は単なる消耗品と変わらない」
「そうよ、それでは粗悪品しか生まれないわ」

 突然のロゼッタの返しに今度はエドガーが驚きを見せると、参ったなぁといった感じで崩れてきていた髪を再び掻き上げた。

「君は優しいのか、冷酷なのかよくわからないね」
「現実主義者の商人よ」
「ははは、言えてるね。そうさ、君の言う通りだ。あれでは、あんな簡単に拳闘士が死んでしまっては、まるで技術は進歩しない。これでは拳闘試合は単なる殴り合いのままでまるで進歩しないままなんだよ」

 そうだ、エドガーの言う通りなのだとロゼッタは心の中で思った。
 そしてその進歩のなさが、拳闘試合の人気に翳りを見せ始めているのは最早明白なのであった。


 続く。

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