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一度死んだあの日

 今私がいる細い路地をちょっと行ったら、大きな通りに出た。お父さんから受け取ったローブとイヤリングはしっかり身につけてる。

 行き交う声より遥かに多い、大通りを道行く人たち。
 彼らの髪の多くは茶色で、私の金の髪は目立ってしまう。だからクイっとフードを引っ張った。


 ここは、日本とは違う。
 文明は地球の現代文明より遅れ気味で、法る法則すらもが異なる『異世界』。

 ソロっと人混みの中に入っていけば、流れのままに歩くだけとなった。
 人混みの中を歩くのも、騒がしい音も、ちょっと蒸し暑い空気も、久々。随分と|人らしい《・・・・》感覚に、ちょっと昔が懐かしくなった。





 『私』の懐かしんだ日本に、今から言うような少女が本当にいたと言ったらどう思うだろうか?

 教科書を読んだり授業で先生から話を聞くだけで、全国模試1位を取れる。
 本で読んだり実際に見ただけで、プロ選手のように運動スキルを習得する。
 地味な男女間に双方ともと似ないとても美しい子供が生まれる。
 そんな、異常とも言えるほどのハイスペックな人間の存在がありうるのか。

 そうだ。このような話、現実ではありえないと思われるのが普通である。

 けれども黒髪をなびかせ歩くこの少女は、先に挙げた例全てに当てはまる。


 予習復習もなく、かといって授業もとても真剣だというわけではない。けれども全国模試では満点という記録を叩き出す頭脳明晰な少女。

 人のやっているところを見たり、本に書かれてあることを読んだことしかない。けれどもその道のプロのごとく、武術もスポーツもなんでも熟す天才肌な少女。

 平々凡々な地味とすら言える顔立ちをした父と母を持ち、知る限り先祖に外国人や取り分け美人がいるわけでもない。そのため日本人らしい黒髪黒目だが、どこか日本人離れした美しさと肌の白さを持つ美少女。


 そう。そんな少女は確かにここにいるのである。
 少女に注がれる視線のほとんどは、羨望や嫉妬の感情。そして異性の邪な感情。

 ただ生まれたときから圧倒的な才能がある。そのことに羨みや妬みのない人間はそうそういない。


 (今日だって、いつもと変わらないよ)


 誰もが羨むものを持つ少女だが、少女本人は違う。
 『異常』など捨ててしまいたい。ただ一般的で極めて平凡的でありたい。際立った才能などいらない。

 持つものにのみ分かる苦しみは、今日もほんの少しずつ少女の心を蝕んでいた。



 少女が学校の帰り道に向けられる感情は、学校で向けられる感情より少ない。

 隠そうとしてもバレてしまう異常さを知るのは家族と学校関係者だけ。人口の多い都市部に住んでいるからか、街中の人がその事実を知るというわけでもなかった。
 街を歩いて向けられるのは、その容姿に対する感情だけ。いつもより幾分か軽い。


 横断歩道を渡ろうとするなり、青色の光はチカチカと点滅する。立ち止まったらまた視線が痛いだけで、少女は逃げるようにイヤホンを取り出した。
 スマホを取り出す前に信号を確認しようと前を向いた瞬間、少女はただ絶句した。

 横断歩道のライトは真っ赤に光り、愕然とした静寂の中にサッカーボールのバウンドする音が響く。
 人々の視線は、ランドセルを背負った少年と、その側に迫る大きなトラックに向けられる。

 実際の時間はほんの一瞬。けれども体感時間は数十秒。ほぼ本能的な動きで、少女は少年のそばに走り寄っていた。


 理由は単純なものだ。ただ、ただ、助けようとしただけ。本能で助けただけ。
 少女の手がランドセルを強く押し飛ばした。そのほんのちょっと後、鈍い衝突音と甲高い悲鳴が交差点に響き渡る。


 (こういう死に方なら、良いでしょ? 生から逃げたわけじゃない。自殺じゃない。……言い訳、かなぁ。でももう死ぬんだ。異常もなくなる。なんでもいいや……)


 流れ出す血と冷めていく体を感じながらも、ただ少女は冷静に最期を悟った。ただ、どうせならば。


 (優しかった、お父さんお母さん。実は怖がってたの、知ってたよ。お礼くらい、親孝行くらい、したかったな)


 死ぬ直前の長い思惑は次第に黒霧に覆われ、少女の目は二度と開くことのないものとなった。



 この次があることなど、到底思い描くこともなく。

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