49話 拳奴達の誇り
この世界の人達はとても信心深い。
たとえ奴隷であっても、死者は神の元へと旅立った者として扱われる。
その為、奴隷が死んだ場合には、主人が最後まで責任を持たなくてはならない法律があり、葬儀はあげられなくとも、決められた墓地へと埋葬することが義務付けられていた。
これは、奴隷の死体を適当に放置することによって伝染病が蔓延することを防ぐために、国が民衆の信仰心を利用したものである側面もあった。
結果、ある程度、歳がいっていたり、或いは病気や大きな怪我をした奴隷が追放されたりすることが多くなっている為に、大きな社会問題にもなっている。
拳闘大会が終わると、ロワードの遺体はすぐに拳奴達の共同墓地へと埋葬された。
練習場に残っていた訓練生達は、最後の対面すらできなかった。
帰ってからすぐに皆が訓練場に集められるとボンゴエ教官が説明をした。
皆その事実に愕然として、そして仲間の死に大声を上げて泣いた。
ロワードと寝食を共にした雑草組の仲間達、ディックは自分の寝床に籠り、ヤクは一晩中泣いていた。
それでも次の日はやってくる。
仲間が死んだからという理由で練習を休むことは許されなかった。
訓練生全員が、覇気がなくやる気も見られないので、ボンゴエ教官は怒鳴り散らし訓練場を50周走らされた。
俺はと言うと、ロワードの死に涙を流すことはなかった。
ただ黙々と練習を熟す日々を2~3日続けていた。
リング上でボクサーが命を落とすことは、現代ボクシングではほぼありえないことではあったけれど、絶対に起こらないことではない。
当然、いつ死んでもおかしくないということは覚悟していた。
それは、自分が死ぬだけではなく、場合によっては相手の命を奪う可能性もあるということであった。
俺は、自分がこんなにも冷たい人間であったのかと思った。
ロワードは、俺にとって一体どんな存在だったのだろうか?
仲間、友、好敵手。
初めて会った時の印象なんて、とうの昔に忘れてしまった。
それくらいに、訓練所で過ごしたロワードとの時間は、ボクサーとしてお互いを尊重し合える仲になっていたと思う。
いつだったか風呂でロワードが見せた、悔しげな表情を思い出す。
バンディーニや俺の知っているボクシング知識。それは、セルスタや拳神ディアグラウス達が持っていた天才的な才能と同じであり、自分ではそこに辿り着けないのではないかと、そんな不安をロワードが垣間見せた瞬間だった。
俺の実力なんてはっきり言ってしまえば、ゲームなどで一度クリアしてからまた新しくやり直したようなものだ。最初からやり直しではあるけれど、攻略法を知っているからある程度は楽に進むことができる。要するにズルをしていたのと一緒だ。
だからゼロからスタートをして、あそこまで成長したロワードは素晴らしい才能の持ち主であったのは間違いないんだ。
俺は、あの日の試合のことを思い出す。
ロワードとスネークが手を止めて動けなくなった時の事だ。
観客達は、早く殴り合え、殺し合えと、選手たちの事を罵った。
あれでは、あんなのではどうしようもないじゃないか。
いくら拳奴達の意識が変わっても、観客達の意識が変わらなければ、スポーツとしてのボクシングがこの世界に根付くことなんて不可能じゃないか。
あれじゃあ……ロワードは報われないじゃないか……。
そんなことを考える毎日が続いた。
あれから、ディックは練習以外の時には、ほとんど寝床から降りて来なくなった。
あんなにお喋りだったヤクも、暗い表情で溜息を吐くことが多くなり、拳奴なんかやめて農奴にでもなろうかと言うのが口癖になっている。
俺はそんな重い空気が堪らなく苦痛で、寝る時以外は訓練場に居る事が多くなった。
屋外訓練場は夜でも、月明りに照らされて辺りはそれなりに見える。
電灯なんてものがないこちらの世界では、夜になれば屋内は暗闇に包まれるのが普通だ。
蝋燭や油代も馬鹿にならないので、極力省エネにしているのはいつの世も変わらない。
そんな暮らしなのでいつしか目も慣れて、夜目も利くようになっていた。
俺は練習場の壁に立て掛けてあったサンドバッグを見つけると近づいて行く。
「誰だよ今週の当番は、たしかエルナンド達の部屋だったよな」
片付け当番をちゃんとやっていないことに、ひとり文句を言いながらサンドバッグにジャブを入れる。
バスン、と言う音が夜の練習場に響いた。
もう一度ジャブ、そしてストレート。お手本通りのワン・ツーを打つ。
気が付くと俺は無心になりサンドバッグを叩いていた。
どれくらいそうしていたのだろうか。
サンドバッグにぬるっとした感触を感じて俺は手を止める。
いつの間にか両手の皮が捲れて血塗れになっていた。
痛みよりも熱い、そんな感触が両拳を覆う。
俺は息を切らし、そのままそこに座り込んだ。
すると、誰かが背後から呼びかける声がする。
「ロイム? こんな夜にそんなところで何をしているの?」
振り返ると、クイナが驚いた表情で俺のことを見つめていた。
「練習場から音が聞こえて来るから、まさかと思ったけれど。本当にロイムが居るんだもの、びっくりしたわ」
そう言いながら近づいてくると、クイナはハっとして俺の両手首を掴み上げる。
「どうしたのこれっ! 血が出てるじゃない!」
「痛てて、つい夢中になっちゃって。気が付いたらこんなんなってた」
「なってたじゃないわ!」
そう言うとクイナは水場に行き、桶に井戸水を汲んで持って来る。
そして、丁寧に拳の血を洗い流すと、自分の服の帯を解いて俺の両拳に捲く。
「ロイム、これはあなた達にとっては大事なものなのでしょう? こんな風に扱ってはいけないわ」
「大事なもの……。そうだな……これは、
投げやりな感じで言うとクイナは、俺の両拳を自分の胸に押し当てて優しく抱きしめた。
「違うわロイム。この拳は、あなた達の誇りを守る為のものなのよ」
「俺達の……誇り?」
クイナは優しい笑みを浮かべた後に、とても悲しそうな表情になる。
「お友達のこと……聞いたわ……。これ、昼の間に摘んで来たの」
クイナは、持っていた籠から一輪の花を取り出す。
「ガザの花って言ってね。花言葉は、“あなたのことを誇りに思う”」
それを聞いた瞬間、俺はクイナに抱きついて声を上げて泣いた。
「う……うぅぅ、あぁぁぁああああああああ、うぁぁぁぁああ」
クイナはそっと俺の背中に腕を回すと優しく抱きしめてくれて。
俺が泣き止むのを待ち続けてくれるのであった。