41話 恋のTKO
「それでねママ。そいつが本当に卑怯な奴でね、聞いてるママ?」
「聞いてますよロゼッタ。お話しを聞いているだけでも恐ろしくて、ママはとても拳闘の試合なんて見にいけないわ」
「もーママったら、そんなことじゃいけないわ。拳闘はマスタングの新しい商材になるって、パパも力を入れているのよ」
豪華な食卓を囲みながら息を荒げるロゼッタ。
今日あった出来事を興奮しながら捲し立てるその姿に、ロゼッタの母ロクシーヌも目を細めながら相槌を打っていた。
「それでね、そいつに勝ったのがロイムって言う小さい拳奴なんだけど。そいつがまた嫌な奴で、レディのことを皆の前で侮辱したのよ。信じられないわ」
「まあまあ、どんな風に侮辱したの?」
「私のことを皆の前で、しょ」
そこまで口にしてロゼッタは口を噤むと真っ赤になる。
「ロゼッタ、食事中だぞ」
「ご、ごめんなさいパパ」
父トーレスに窘められると、ロゼッタはしおらしく食事を済ませた。
昼食を済ませると父は仕事に戻り、母も近所のお付き合いの準備にと部屋に戻った。
ロゼッタも自分の部屋に戻ると、先程見てきた拳闘試合のことを日記に記すことにした。
拳闘に興味があるわけではなかった。
父の仕事の一つである拳闘を、ただ何の気なしに一度見て見ようと思いついて来ただけであった。
将来は商家の娘として身分の高い家に嫁ぐことを、父トーレスが望んでいることはわかっていた。
しかしロゼッタは、自分の将来がそんな風に決められることを不服に思っていた。
それではまるで自分はお人形である。
誰かに決められた人生を、ただ黙って受け入れることなんて真っ平であった。
将来は自分も父と同じように商人として独立しようと考えていた。
今はその為に、時間がある時には父について回り、仕事のノウハウを盗むこと、まずはそこからだ。
ロゼッタ・マスタングが、13歳という年齢でありながら、自らの将来の青写真を思い描いていたのは、父トーレスの影響もあったのかもしれない。
「はぁ……」
ロゼッタは今朝の拳闘試合のことを思い出しながら溜息を吐く。
それにしても、拳闘とは想像もしなかった世界であった。
拳奴達は粗野で野蛮で不潔で、なによりマナーがなっていない。
皆が皆、レディである自分に不躾な好奇の視線を送ってきて、不快な笑みを浮かべている。まったくもって、不愉快極まりない連中であった。
特にあのロイムとか言うチビ拳奴。
後から聞いたら自分よりも年下と言うではないか。目上の人に対するあの態度、どれだけ失礼な奴なのだと、思い出して腹が立った。
「チビのくせに拳闘士をやろうだなんて、ほんっと馬鹿みたい。あんな奴、どうせすぐに負けて辞めちゃうわよ」
ぶつくさと文句を言いながら、日記の続きを書こうとするのだがすぐに手が止まる。
あんなチビなのに、ロイムは二度も勝利した。
一度目は自分よりも一回り近く大きい相手をいとも簡単に倒してしまった。
どうやったのかは見えなかったけれど。大きな音が鳴った後に、相手選手がお腹を押さえて地面に倒れ込んでしまうと、周りの人達も驚いた様子で驚きとそして称賛の声を上げていた。
そして二度目、あのルクスとか言う拳奴を倒した時。
正直ロゼッタは、あまりの恐ろしさに何度か目を逸らしてしまった。
右目を潰されて血を流しながらも、戦いをやめないロイムの姿が脳裏から離れない。
あんなになってまで、あんな痛い思いをしてまでもロイムはどこか楽しそうで。
ロイムがルクスに向かって怒りを露わにした時には、怖くて足が竦んでしまったけれど、最後にルクスに向かって見せた悲しげな表情は、はっきりと覚えている。
それほどまでに、ロイムの試合がロゼッタにとっては鮮烈なものに映ったのだ。
気がつくとロイムのことばかりを書いていることに気が付き、ロゼッタは真っ赤になると羊皮紙で出来たノートを閉じた。
「ロイム……あいつ、なんなのよ……絶対に許さないんだから」
そう言って自分のベッドに飛び込み仰向けになると、ロゼッタはいつの間にか眠りに落ちるのであった。
*****
「はあ? 意味がわからない」
俺が呆れかえった感じでそう言うと、バンディーニはそんなことは意にも介さず話を続ける。
「君がロゼッタお嬢様を誑しこむことが出来れば、我々にとって非常に都合がいいって言っているんだよ」
「だから! なんで俺とあのしょんべん臭いガキがそういう話になるんだよ!」
「またまたぁ、まんざらでもないくせにぃ」
怒鳴るとバンディーニは、にやにやといやらしい笑みを浮かべ始める。
こういう顔をしている時のこいつは、完全に人のことをからかっていることを俺は知っている。
話にならないと席を立とうとすると、バンディーニは悪かったからもう少し話を聞いてくれと懇願するのであった。
「つまり、お嬢様と仲良くなっておけば、将来的には我々のやろうとしていることの助けになると思うんだ」
「でもあのガキが、俺達拳奴と手を組むわけがないだろう?」
「いやいや、恋は盲目。ロゼッタお嬢様の君に向ける熱視線、あれは間違いなく恋だよぉ」
「真面目に話さないと帰るぞ」
バンディーニは、ロゼッタが父トーレス・マスタングにも引けを取らない商才を持っていると、なんの根拠があるのかわからんが自信満々にそう言うのだ。
今の内に仲良くなっておけば、必ず俺達の助けになるとそう言うのだが。
俺とあいつは、はっきり言って現段階では水と油と言ってもいいくらいに仲が悪い。そもそも俺が言うのもなんだが、出会いが最悪だった。
あいつの俺に向ける熱視線というのは、明らかに憎しみの籠ったものであるのは間違いない。下手したら将来、あいつの都合で俺は消される可能性だってある。
ああなるほど……やばいな。
逆の意味で今の内に関係を修復しておかないと、ボクシングを広めるどころじゃなくなるかもしれないと俺は思った。
そんな感じで俺とバンディーニの思惑はズレたまま。とりあえずロゼッタと仲良くなろう作戦を決行することになるのであった。