14話 検定試験開始
あれから一週間、カトルは戻っていない。
俺はあの後、高熱にうなされて三日間寝込んだ。
今は熱も引いてきたので、感染症などによる発熱ではなかったのだろうと思ってホッとしている。
しかし、体調は良くなっても心は晴れなかった。
皆も一様に暗い顔をしている。
練習に身が入っていないので教官にドヤされると、それなりに取り組むのだがすぐに溜息を吐いてダラダラとするの繰り返しだった。
検定試験の日までもう三日を切っていた。
俺は寝込んでいた分を取り戻そうと、必死にトレーニングをした。
少しオーバーワーク気味ではあると思ったが、なりふり構っていられない。検定までに少しでも強く、上手く、なっていないとダメなんだ。
なにより、身体を動かしている方が余計なことを考えずに済んだ。
トールにサンドバッグを持ってくれるようにサポートを頼みパンチを打ち込む。
一応この世界にもサンドバッグなるものは存在する、ちゃんと革で出来た袋に砂が詰めてあるものだ。
鎖で吊るすのではなく地面に置いた物を誰かが支えて打つのが、こちらでのやり方である。
サンドバッグは重いものだと100㎏を超えるから、それを吊るす道具がないのだ。さらにそこにパンチを打ち込むのだから、支える物もない。
要するに地面において誰かが支えるしかないのである。
俺は無我夢中でパンチをサンドバッグに打ち込み続けた。
カトル……もうこのまま戻ってこないのか?
いや、余計なことは考えるな。今は検定試験に集中するんだ。
サンドバッグを叩く音だけがただ聞こえて、俺はその音だけに集中するのであった。
一息吐くと俺は水場に向かう。
俺の練習に長時間付き合ってくれていたトールも一緒だった。
「ロイム、あまり根を詰め過ぎると……」
「あ、あぁ。すまないトール、おまえも練習したかったよな」
「そうじゃなくて……」
トールは困った顔をして俯いてしまった。
井戸から組み上げた水を桶のまま飲み干すと、喉も潤ったのでそのままロードワークに出ようとしたその時、見覚えのある人物が俺に近づいてきた。
「セ……セルスタ」
俺を熊から救ってくれた人物だ。
セルスタはどうやら俺に用があるらしい。
「あ、あの……。この間は、ありがとうございました」
「いやあ、無事で良かったよ。熱で寝込んでいたんだって?」
「はい。たぶん怪我の所為だと思いますけど、もう治りました」
セルスタは頷くと、屈んで俺の顔を覗き込む。
こうやって見るとかなりデカい。
たぶん、180センチはあるだろう。現代ならヘビー級ボクサーと変わらない体格をしている。
セルスタはニコリと笑うと上機嫌で俺に話しかけてきた。
「それにしても、君は小さいのに勇気があるんだね」
「いえ、そんな。あの時はただ必死だったので」
「君が熊の攻撃を、素晴らしい足さばきで躱すのを見ていたよ。あれは誰かに教わったものかい? それとも独学かな?」
矢継ぎ早に質問をしてくるセルスタ。
興味本位なのかと思ったが、俺を見つめる目は真剣そのものであった。
いやこれは、もっと直接的な。
そう、これは敵意だ。
相手を敵と見做した時に発する気配、俺にはそんな風に感じられた。
「その……本当に無我夢中だったので」
「そうかぁ。俺も教わろうと思ったんだけどなあ、残念だ」
そう言って笑うと、井戸から水を組み上げて飲むセルスタ。
その姿にはさっきまでの気配は微塵も感じられない。どうやら俺の思い過ごしだったのかもしれない。
「明々後日はいよいよ検定試験だね。君も参加するんだろ?」
「はい、一応」
「実はマスタングさんから審査員を仰せつかってね」
「セルスタさんがですか?」
「不満かい?」
恐縮して頭をぶるぶる振るとセルスタは冗談だと笑った。
「君ならきっと合格間違いなしだ。未来のライバルとして期待しているよ」
そう言うと、セルスタはその場を颯爽と去って行った。
くそ、なんて爽やかイケメンなんだ。
おまけに熊を倒すほどの強さ、はっきり言ってチートじゃねえかあいつ。もしかしたらあいつの方が転生主人公なんじゃねえの?
トールはあのセルスタに声をかけられたことに大興奮して、部屋に戻ったあと自慢げにそれを皆に語っていた。
話しかけられたのは俺なんだけどな。
そしていよいよ、検定試験の日がやってくる。
試験場は屋内練習場であった。
今回試験を受けるのは、新規だと俺とトールの二人。
本当はカトルもだったのだが、それはもう言ってもしょうがない。
あとは再試験組の連中が4人程居た。
検定に落ちた者は16歳までの間なら何度でも再検定を受けることができる。
まず12歳の時に必ず皆が受けるのだが、そこで一発合格できなかった者は、三か月に一度行わる検定に教官から許可が出れば再検定を受けることができるのだ。
十六歳を超えても合格できなかった者は、拳闘士としての見込みなしとされて、別の仕事へと回されてしまう為、皆それまでに合格しようと必死なのである。
なぜそこまで必死なのかと言うと、理由は色々あるのだけれど。
まあそれだけ拳闘士という職業が人気だと言うことである。
屋内練習場の隅では各々が準備を始めていた。
選手控室なんてものはないので皆一緒である。
俺はバンテージの代わりに拳と手首に革で出来た紐を巻きつける。きつく巻きたいのでトール達にも手伝ってもらった。
俺はあっちの世界でプロライセンス試験を受けに行った日の事を思いだす。
あの時は会長もトレーナーもやる気がなくて、一人で試験を受けに行ったんだよなぁ。
右も左もわからなくて、本当にドキドキの一日だったよ。
そんなことを思いだしながら、俺は身体を温める為にシャドーを始めた。
これは念入りに行いたい。最低でも30分は身体を動かして温めておかないと。
そんな感じで試験管たちが来るのを待っていたのだが、シタールが突然声を掛けてきた。
「ロイム、ちょっといいか?」
「どうしたんだよ?」
「ちょっと、皆がいない所で話があるんだ」
「なんだよ、ここじゃあ言えない事なのかよ?」
俺が怪訝顔をすると、シタールは黙り込んで目を逸らした。
しょうがないので皆には聞こえない場所に行くと、シタールの話を聞くことにする。
「なんだよ、もうすぐ試験開始だぞ?」
「なあロイム、おまえは知ってたんだろ?」
シタールは俺に背を向けたまま話し出す。
知っていたとはどういうことだ? シタールはなんの話をしているんだ?
質問の意味がわからず黙っていると、シタールはゆっくりと振り返って言い放った。
「カトルが女だってバラしたのは俺だ」