第2話 始まりの日
そして現在。3月。
とある国立大学。校内の合格発表掲示板の前に人だかりがあった。
その中でひときわ小柄な男が、興味なさげな顔つきで掲示板を眺め、きびすを返すとスマートフォンを取り出した。
留守番電話を告げるアナウンスに沢渡は、短く伝言を吹き込んだ。
「合格したよ、それだけ」
仲がそれほどよくない家族、特に母親が留守だったのは幸いだった。
一流ではないこの程度の大学にいちいち喜んでられないなどというに決まっているのだ。父親だってたいして喜ばない。妹に至ってはうざいとしかいわないから話をするだけ馬鹿馬鹿しい。
それでもこれで家族から離れられるのはいいことだった。それを家族も了承している。
あの家族に大事なのは、外見だけはましな妹であって、沢渡俊ではない。
今はまだ親に学費と下宿費用を出してもらう必要があるが、それも自分で出せるなら、縁を切ることもできる。切っても問題ない。
(さて、次はGPFか。キリクさんもGPFに浸りきってるのか、あっちのゲームにはログインしていないし。情報聞きたかったけど、さっさとGPFにログインする方が早いかも。なら仮想通貨口座作って帰るか)
そう思いながら彼はその小さな体を駅に向かわせた。
大学から実家まで新幹線も併せて4時間かかる。その間GPFの情報集めはできるはずだと考えながら。
沢渡俊という男を一言でいうとチビの根暗なオタクだ。
顔もぱっとしない。成績はましだったので大学にいけたが、一流大学ではない。
致命的なのは身長で、154cmしかない。体もひょろっとして筋肉に乏しい。
これでは恋愛方面で男性扱いされることはない。
このせいで、決して弱気な性格ではないのに、気の強い女性達に陰湿ないじめを受けていたほどで、オタクになった一因でもある。
実家に帰ると、家にいた妹と出会った。
「うざ」
顔をしかめながら一言言い放つと妹は自分の部屋に上がる。
「俊、たいした学校じゃないんだから、下宿先も安いところにしなさいよ。ほんとに、あんな大学、就職もよくないのに、お金ばっかりかかって」
「学友会の借り上げ下宿に応募するよ」
「あんたにばっかりお金かけるわけにいかないんだから、ちゃんと考えなさいよ」
続いて出てきた母親が、おめでとうの一言もいわずに小言をたれ始め、沢渡俊は自室に引き上げた。
部屋には不格好な自作PCと、ヘルメットのようなダイブデバイスがある。
ダイブデバイスは受験が終わった後、招待コードを用いて準備した。
自作PCは、MMOのフレンドから安く譲ってもらったパーツでくみ上げたものだ。
沢渡はダイブデバイスをしげしげと眺め回しながら、これまでの煩雑な手続きを思い出していた。
ガン&ファンタジックフロンティアは、プレイするまでが面倒くさかった。
まず、招待コードを手に入れなければならない。
招待コードを入力したら、100問ほどのアンケートに答えなくてはならない。
これで不承認もある。
運良く承認をされたら、ダイブデバイスを注文だが、高くはないが痛い出費を余儀なくされる。
さらにダイブデバイスのキャリブレーションも必要で、細かな初期設定を実施する必要があった。
クライアントアプリが小さく軽いのが、唯一の救いと言うべきだろうか。
ともかく昨今のMMMORPGとはかけ離れた煩雑さに、沢渡はすこしうんざりするものがあった。
それでも彼が準備を続けたのは、キリクのことが気になっていたからだ。
このVRMMOがくそだったら死ぬと公言したキリクは今音信不通になっている。
本当にくそをつかんで死んだのか、それとも引き当ててVRにはまっているのか。
ネットをまわっても、準備がだるいという書き込みはあるが、本編は褒めるものが多い。
あたりなのかもと思いながら、沢渡は手続きを進めることとした。
すでにプレイヤー仮登録は済ませてあったので、開設した仮想通貨口座を登録する。
本登録完了の文字をディスプレイで確認し、沢渡は安堵の息を吐いた。
受験には合格した。これでやるべき手続きをやってれば文句をいわれることはない。
GPFが本物なのかどうなのか。もしくそだったなら今度こそ死ぬことも考えなければいけない。
母親のいうとおり、この大学に合格したからといって、人生が好転することはないだろう。
卒業してもしょぼい給料できりきり働かされて、童貞を捨てることもできず、それどころか女性とろくな会話もすることなく、無駄に生きて無駄に排泄物を量産するだけのことだ。
このゲームが外れならば、死ぬ。死ぬならできれば入学金を払い込む前に死にたい。
元より、あの月の夜の決意を先に延ばしただけなのだ。
「俊、ご飯よ! 降りてきなさい!」
シリアスな気分はいつも母親がぶっ壊すのだった。
合格祝いの席では、さすがに父には笑顔があった。この日ばかりは父も発泡酒ではなくビールを飲み酔っていた。妹が食事中ずっと仏頂面で、食べ終わるとすぐに彼女の部屋にこもったとしてもだ。母親は肩の荷を下ろしたという顔だった。
俊は父にほんのすこしだけビールを分けてもらい、なめた。苦さに顔をしかめる彼を見て、父は笑い、ビールをあおった。その顔を俊はしっかりと脳裏に焼き付ける。
最後にすこしとはいえ幸福を運べたのなら、死ぬのも許されるだろうか?
そう思いながら、両親と小さなダイニングと、慣れ親しんだこの家を眺め回す。
たとえあのVRMMOが当たりでも、この家を出ることになる。
合格祝いの時間は、ごく普通に和やかに、いつものように妹を欠いて、過ぎていった。
21時
沢渡は、ダイブギアを装着し、ベッドに横たわっていた。
PCは起動され、クライアントも立ち上がっている。
「ダイブイン」
口頭コマンドでダイブギアが励起。
視界が揺らぎ、手足の感覚がなくなり、暗闇があたりを覆った。
「警告する」
おもおもしく声が響き渡るとともに、眼前に赤い警告という文字が現れる。
そしてあの刺激的な、警告文が浮かび上がる。
その警告に秘められた運営の狂気に、沢渡は背筋にぞくぞくするものを感じながら、警告を了承したボタンを押した。
「ガン&ファンタジックフロンティア」
タイトルが静かに立ち上がった。