記録15 くっ、営業職の名折れ!
休日。ルシアは朝食をとり終えてすぐに、いそいそとノートパソコンを机上に広げた。俺は、楽しげにニマニマと笑う彼女からゲームパッドを取り上げた。そして「何?」と戸惑いの声を上げながらぽかんとする彼女に、俺は表情を変えることなくきっぱりと告げた。
「休日は、
「何でよ」
「俺は、休みの日にまで、職場の人間と顔を合わせたくはないんです」
「ひどいわ! たしかにカティはあなたの同僚でしょうけれど、それ以前に私の大切なお友達なのよ!?」
ルシアは目くじらを立てて俺の非情を責めた。しかし、俺だって連日連夜をずっと同僚とともに過ごしたくはない。それに、大島にルシアとの生活がバレてからずっと、ルシアは大島にべったりなのだ。俺だって、たまには二人きりでのんびりしたいのだ。――もちろん、変な意味はない。そう、恋しちゃってるからとか、そんな意味はなく、とにかくのんびりしたいのである。そもそも、俺は恋なんかしちゃってなんかいない。いないのだ。
それに、だ。大島に高級イタリアンを奢らされた日からずっと、俺は〈どうやってルシアの世界の文化について学べばいいのか〉と考えていた。〈晴れ空〉サイトで目にした神話や物語に絡めて〈自分の世界〉について話してくれるということは前からもあったのだが、ルシアはそのたびに「似たような逸話がある」と言うに留めてしまうのだ。俺がさらに突っ込んで聞こうものなら、彼女は全力ではぐらかす。それはまるで、俺が向こうの世界に興味を示したら困るとでも言うかのようだった。
勇者の素質もなく、向こうに行ったところで何の役にも立たないだろうから、だったら最初から興味を持たせないように努めよう――という腹づもりなのだろう。しかし、俺は何としてでも異世界転移したい。味気ないこっちの世界とおさらばして、向こうでハーレムを築きたいのだ。――そんなことを考えていたら、心なしか胸がチクッと痛んだ。これではまるで、俺がルシアに恋してて、だから良心が痛んでいるみたいじゃあないか!
俺は気を落ち着かせるために深く息をついた。すると、きっと「こいつ、聞き分けがないな」と俺が思っているとでも思ったのだろう、ルシアは俺を見上げてムスッと膨れた。俺は意を決すると、ふくれっ面の彼女を見下ろして本題を突きつけた。
「俺は、お前のいた世界について知りたいと思ってる」
「何でよ。タクローが知ったところで、別に――」
「というわけで、今日はお前に〈俺こそが真の勇者にふさわしい者である〉ということを見せつけようと思う」
「はあ!? 前にも私、言ったわよね? あなたの魔力量じゃあ、てんでお話にならないって」
顔をしかめたルシアに、俺は自信たっぷりにニヤリと笑った。――そう、俺は勇者の座に就けるという自信があった。そして〈俺こそが勇者である〉と主張できる理由もあったのだ。
彼女の世界について知る機会を得るためにも、その主張をもう一度行おう。そして俺を勇者と認めてもらおう。――そう思い、俺は〈俺が勇者たる理由〉をこれからルシアに見せつけるというわけだ。ルシアよ、ふんぞり返っていられるのも今のうちだぞ。
俺は早速オーブンを温め、鍋で湯を沸かした。卵とバターは常温に戻しておく必要があったため、朝飯を作るときに既に外に出しておいてある。もちろん、バターはサイコロ状にカットが済んでいるし、ケーキ型の内側に塗る用のも切り分けて別皿に用意済みだ。
塗る用バターがまだ柔らかくなりきっていなかったため、湯煎用の鍋の上にかざして少しだけ温める。柔らかくなったのを確認した俺は、丸いケーキ型と溶けたバター、|刷毛《はけ》を持ってリビング部分に戻った。
「何よ、急に料理なんか始めちゃって。もしかしてそれが〈勇者であることの証〉とでも言いたいの?」
「まあ、待てよ。……これから一緒に、ケーキを焼こうと思ってるんだけど」
「一緒にって、私と?」
「お前以外に誰がいるんだよ」
「……もう、仕方がないわね。さあ、何をすればいいの?」
ルシアは急に上機嫌に、いや、上機嫌を通り越してデレデレとし始めた。何故、どうして気恥ずかしいを通り越してデレデレとしているのか、俺にはさっぱり分からなかった。そして〈女って分かんねえな〉と思うと同時に、少しだけイラッとした。いつもは可愛いなと思うところが、何でか今日はイラッとした。――あれかな、分かりたい・分からせたいが上手く行かなくて、分からないからイラッとくるのかな。
俺は気を取り直すと、ケーキ型の内側にまんべんなくバターを塗りつけてもらった。一生懸命にバターを塗りたくり、上手にできたかを気にしながらはにかむ彼女を、俺は可愛いと思った。――うん、何ていうか、一番分からないのは俺だな。さっきまでイラッときてたのに、もう可愛いとか気持ちが早変わりして。……もう考えるのも面倒くさいし、イライラするのも馬鹿らしい。ひとまず調理に専念することにしよう。
ルシアが必死にバターを塗りたくっている間に、俺は砂糖、薄力粉、クーベルチュールチョコレートをそれぞれ量っていた。作業を終えてはにかむ彼女から受け取った型を冷蔵庫へと入れると、その量っておいたもののうちのひとつである薄力粉と〈あるもの〉をルシアの元へと運んだ。ルシアは、俺が運んできたものを驚愕の表情で見つめると、小刻みに震えながらぽつりと呟くように言った。
「ああ、もしかして……。もしかして、それ……」
俺はルシアに〈あるもの〉を持たせてやった。するとルシアはカタカタと震えながら、恐れ多いと言わんばかりに大切そうにそれを抱え持った。
「やっぱり、ここにあったのね……。伝説に聞いていた通りの形をしているわ……」
「これがお前の探していた聖剣・クインディネイトだよ。これはな、選ばれし者しか扱えないんだ。――そして俺は、こいつを上手に扱える」
俺はルシアから聖剣――という名の〈クインディネイト社製のハンドブレンダー〉を返してもらうと、まずは、と言って薄力粉をサラサラにした。まるで粉雪のようにサラッサラになっていく薄力粉をキラキラとした目で見つめながら、ルシアは感嘆の声を上げた。俺は得意気にニヤリと笑った。
「すごいだろ。こいつの実力はこんなもんじゃあない。肉塊をミンチにすることだって出来るんだ。ただ、こいつは暴れ馬だからな、選ばれし者以外が扱うとものすごく危険なんだよ。――想像してみて欲しい。もしも、暴れまわるこいつをコントロールできなかったらどうなるかを」
「聖剣が宙を舞って、無関係な人まで真っ二つにされかねないわね……。――でも、だからって、タクローだけが〈選ばれし者〉だっていう根拠にはならないわよ」
「お前の姿も元に戻ってはいないんだし、まだまだ時間はたっぷりある。クインディネイトには幾種もの使用方法があるし。……これから嫌というほど〈俺こそが勇者だ〉と分からせてやるさ」
俺は振るい終わった薄力粉を脇にどかすと、ルシアに再びバターを託した。今度は〈塗る用〉ではなく、材料のほうである。ほどよく溶けて柔らかくなったそれを、マヨネーズくらいの柔らかさになるまで泡立て器で混ぜてもらった。その間にブレンダーのアタッチメントを取り替えて、卵二個分の卵黄と卵まるまる一個を溶き卵にした。ルシアは手を止めて目を真ん丸くすると、あっという間にとろとろに解けた卵を見つめて口をあんぐりと開けた。
俺は驚愕したまま固まっているルシアを気にすることなく、受け取ったバターと泡立て器、ブレンダーのアタッチメントを持ってキッチンに下がった。そして器具類を洗い、冷やしておいた型に強力粉をまんべんなく振るって余分な粉を落としてから再び冷蔵庫に戻したのちに、チョコレートを湯煎で溶かしバターと混ぜ合わせた。
チョコとバターを混ぜ合わせたものの入ったボウルとスプーンを持ってルシアの元へと戻ると、俺は彼女に作業を頼んだ。チョコの中に卵を入れるのだが、一気に入れてしまうと分離してしまうため、スプーン一杯ずつ入れては混ぜ合わせるのだ。
「わああ、すごく綺麗。混ぜてしまうのがもったいないくらい」
「茶色にオレンジって映えるよな。ケーキ屋でチョコケーキにオレンジがトッピングされているものとかを見ると、めっちゃ心惹かれるんだよなあ」
「素敵! 是非とも実物を見てみたいわ! 今度、二人で行きましょうね!」
満面の笑みを浮かべる彼女に頷き返しながら、俺は久々にこそばゆい気持ちになった。
ルシアが楽しそうにチョコと卵を混ぜ合わせている横で、俺は先ほど洗ったブレンダーのアタッチメントを再び装着した。――メレンゲを作るのである。
卵白を泡立て、塩を振り入れてまた泡立て、ひと塊になったら砂糖の三分の一を入れて角が立つまでさらに泡立てる。〈砂糖を入れて、角が立つまで〉を三回繰り返したところで、ルシアが「まるでクリームみたい!」と感動で瞳を輝かせ頬を上気させた。
メレンゲが完成したら、ルシアとの協力作業だ。メレンゲの三分の一をチョコに投入し、均一に混ざったら薄力粉を振るい入れる。あまり練りすぎると膨らまないので、ボウルを回しながらざっくりと混ぜるのがミソだ。混ざったら、残りのメレンゲを泡が潰れないように混ぜ合わせる。そしてこれを冷蔵庫から出してきた型に流し入れ、表面を平らに|均《なら》したら、あとはオーブン様の出番だ。
いつになくたくさんの〈お手伝い〉や〈共同作業〉をしたことで、ルシアはご満悦だった。俺は機嫌のいい彼女を眺めてほっこりとしながら、器具の片付けをし、昼飯の準備を始めた。
ほどなくして、ガトーショコラが焼け上がった。早く味見がしたいと急かすルシアを「完全に熱がとれるまで駄目」と宥めると、俺は一息つくべくお茶の準備をした。
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「そろそろいい頃合いなんじゃあないの?」
昼食を食べ終え、昼寝も終えたルシアがチラチラとケーキ型に視線を送った。俺は頷くと、ガトーショコラを型から外した。興奮を抑えているかのようなキラキラとした目で包丁を入れられていくそれを眺めていた彼女は、ぽつりと残念そうにこぼした。
「すごく美味しそう」
「何でそんな残念そうに言うんだよ」
「だって、私、今回は今まで以上にお手伝いしたじゃない。美味しそうに出来て嬉しいなと思う反面、せっかくだからお友達にも食べてもらいたいなって思ったら、なんか……」
「一緒に食べるのが俺だけじゃあ不満ってか」
「そうじゃないけど、でも、だって……」
じわじわと目に涙を溜めるルシアを、俺は思わず苦い顔で見つめた。久々に〈幼女モード入ってギャン泣き〉がくるかなと思ったのだ。すると彼女は案の定ギャンギャンと泣き始めた。
「ほらあ、タクロー、嫌そうな顔するうぅぅ!」
「別にそういうつもりはない――」
「だってカティ禁止って言ったじゃないせっかくお友達ができたんですもの幸せな気持ちを少しでも多くの人と共有したいなって思ったのよでもそれ言うとタクローが嫌がるだろうなって思ったから言わなかったのに残念そうだねとか言うし案の定嫌そうな顔したからあああああああああ」
俺は無言でスマホに手を伸ばすと、大島に「今すぐ、出来得る限りの速度で来い」と電話した。
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「電話越しにルッチィの泣き声聞こえてくるし、何事かと思いましたよ!」
「だって、カティにも食べさせたかったんですもの! 私、すっごくお手伝い頑張ったのよ! 型にバターを塗ったでしょう? それから材料のバターを混ぜ合わせたり、チョコと卵を混ぜ合わせたり――。……あっ、最後に粉砂糖をふりかけるのもね、私がやったのよ! ソースはタクローがいちごジャムを水で伸ばして作ってくれてね――」
「なにこれ、すごく美味しい……。お店の味だ、これ……。お金とれるレベル……」
「ホント!? 嬉しいわ!」
「うわっ、なに、まぶし―― ぎゃあああああ! リアルエルフ! リアルエルフ!! ルッチィが大きくなった! しかも意外と胸が大きい! エルフなのに!!」
「いやああああ! どこ触ってるのよ、カティの破廉恥!!」
「ごめっ、あまりにも衝撃的で、つい――。……あっ、幼女に戻っちゃった」
「もう、カティの馬鹿! ――やだ、口の端にアイス付いているわよ。……ほら、ここ。うふふふふ」
俺はルシアを幸福たらしめた大島を、ルシアから幸福を奪った大島を、幸福を奪ってもなお彼女を笑顔にしている大島を呪った。そして〈ハンドブレンダーを巧みに操る俺〉をまざまざと見せつけることに成功したはずなのに、それが全て吹き飛ぶほどのインパクトを与えた大島を恨んだ。
「いやだ、拓郎さん。人を殺さんばかりの顔しちゃって。怖いですよ」
「むしろ俺が殺された気分だわ……」
俺は立派に〈俺という商品〉をプレゼンできたと思っていたというのに。――俺は今後の課題やらプレゼン内容の見直しやらをしなければと思いつつ、心の中でくっころと叫び、下唇を噛んだのだった。