記録14 立場逆転かよッ!
ただいま、と声をかけても、ルシアはすぐには返事をすることも顔を出すこともしなかった。いつもはすぐに「おかえり」くらいは言ってくれるというのに、だ。電気は付いているから、寝落ちしているというわけでもないらしい。――何してんのかな、と軽く考えつつ靴を脱いでいると、彼女が慌てた様子でパタパタとやってきた。
「おかえりなさい! ――って、何その大きな箱は! それがゲームパッドとやらなの!?」
「いや、これはノーパソ様」
何で新しいパソコンを――などと質問されつつリビングに移動してみると、テーブルの上から『パソコン買ったんですか!?』と声が上がった。俺は顔をしかめると、ルシアに向かって小さな声でボソリと尋ねた。
「おい、何で|大島《おおじま》の声がパソコンからするんだよ」
「え、だって――」
『ええええ、拓郎さん、パソコンもう一台買ったんですか? デスクトップですか? それともノートですか? いそいそと帰っていくから何かと思ったら、どうしてまた――』
「うるせえよ、大島! ちょっと黙ってろ!」
パソコンに向かってそう叫ぶと、パソコンが今度は『えーん、ルッチィ! 拓郎さんが理不尽ー!』と泣き真似を始めた。俺はフンと鼻を鳴らすと、それに答えることなく部屋着に着替え始めた。その間、ルシアがあっけらかんとした口調でこの〈状態〉について説明してくれた。――どうやら、昨日大島がゲームのクライアントと一緒にボイスチャットツールもインストールしてくれたらしい。
「ゲームをしながらチャットを打つのは大変だろうからってことで、カティが環境を整えてくれたのよ」
「はあ、そう……。ていうか、帰宅して早々にボイチャとか、お前、飯はちゃんと食ったんだろうな」
『うわあ、やっぱり拓郎さんは〈お母さん〉なんですね! ちなみにルッチィとの時間が無くなるのが惜しいので、ながら食いしやすいものをチョイスしました』
「うっわ、女子力皆無だな、お前!」
毒づく俺とは対照的に、ルシアが〈いいことを思いついた〉とでも言いたげに目を輝かせた。
「私との時間が惜しいというのなら、カティも一緒にお夕飯を食べればいいんだわ!」
「はい……?」
「カティもタクローと一緒にここに帰ってきて、一緒にお夕飯を食べればいいのよ!」
『やだそれ素敵! でもそうすると一緒にゲームをプレイする時間は減るというジレンマが……。……あっ! エルフ男子ゲットのためにも、一緒に住めばいいんで――』
「うるせえ、黙れ。プライベートくらい、同僚の顔を見ずに過ごしたいわ」
ルシアと大島は、二人揃って不服そうな声を上げた。しかし、俺がゲームパッドを差し出すと、ルシアはすぐに機嫌を良くして喜びの声を上げた。
「やったわ、カティ! 念願のゲームパッドを手に入れたわよ!」
『おめでとう、ルッチィ! じゃあ、パソコンの横に四角い穴があるでしょう? そこに、パッドの先に付いている四角いのを差し込んで!』
「分かったわ、ちょっと待っててね」
『……で、拓郎さん。どうしてパソコン買ってきたんですか』
「俺だけ除け者とか、寂しいだろ。だからだよ」
俺は言いづらそうにモゴモゴとそう答えた。答えたらきっと、大島がニヤニヤ声で「へえ、そうですか。ふーん」とか言ってくると思ったからだ。案の定、ヤツは俺が思った通りの返事を寄越してきた。対して、ルシアはとても嬉しそうだった。彼女は頬を上気させ耳の先までピンクに染めあげて、興奮気味に言った。
「タクローも同じゲームをするってこと!?」
「おう、そのつもりで買ってきたんだけど」
「じゃあ、今すぐ準備して! ね? ほら、早く!」
「いや、飯の準備をしないと――」
「そんなの、あとでいいわよ! ほら、早く! 早く!!」
俺は苦い顔を浮かべると、渋々梱包を解く作業を開始した。疲れて帰ってきたわけだから一息つきたかったし、何より腹が減っている。しかし、彼女がチラチラと光をまとい始めたのを見てしまったからには、パソコンをセットアップせずにはいられなかった。――くっ、〈幸福である〉というのが視覚化されているって、こういうときズルいよな。
俺はパソコンを机の上に置くと、最低限のセットアップを済ませた。ちなみに、買ってきたのはノートパソコンである。ノートはもう持っているし、だったらデスクトップが良かったのだが、それだとルシアと並んで座ってプレイというのが出来なくなる。だから新しいほうもノートを選択したとうわけである。
ゲームのクライアントを落としている最中、俺はおうどん様を作るべく小麦粉を捏ねておいた。きっとルシアの今のテンションなら、インストールが終わり次第キャラ作成をせよというだろうと思ったからだ。――もう、今日の夕飯は手抜きだ手抜き!
うどんスープも作り終え、〈もうあとはうどんを茹でれば終わり〉のところまで用意を終えたのと同じくらいのタイミングでルシアが声をかけてきた。コンロの火を止めてリビング部分に戻ると、ルシアはそわそわとし始めた。
「あのね、もう同じサーバーを選択しておいたから、キャラの作成をして欲しいのよ」
「そんなことだろうと思っていたよ」
「でね、私、タクローにお願いがあるのよ」
「お願い?」
「ええ、あのね――」
ルシアは照れくさそうにもじもじとしながら、頬の赤らんだ顔を俯かせた。俺は、彼女が続きを話し始めるのを静かに待った。すると、彼女はとても気恥ずかしそうに作成キャラクターについて指示を出してきた。小柄で線が細い感じの女性キャラか、もしくは小人族で作成して欲しい、と。俺は思わず、眉間どころか鼻頭までしわを寄せた。
「何が悲しくて、アラサーのおっさん予備軍がそんな保護欲駆り立てるような可愛い系キャラを作成しなくちゃならないんだよ」
『えっ、結構そういう人いますよ? 女性キャラや小人族のほうがアバター可愛いの多くてお洒落楽しめますし』
「大島は黙ってろよ。――で、何で?」
「あのね、まさに保護欲を駆り立てて欲しいのよ」
「誰の」
「私の」
「はい?」
「あのね、あの……、ゲームの中くらい、私が守りたいのよ。守ってもらうのではなくて」
そう言うと、ルシアは顔を胸元まで真っ赤にして完全に俯いた。もちろん、俺の顔も真っ赤だった。凄まじく照れながら「分かったよ」と返してやると、俺は渾身の〈思わず直結厨が声をかけたくなるような、いかにも女子らしい可愛い女性キャラ〉を作成した。もちろん、キャラの名前もキラッキラの乙女な感じだ。そしてゲーム内に降り立つと、目の前には角の生えたグラビア体型の女性キャラと、厳ついガチムチの巨人の男性キャラが待機していた。
『ようこそ、拓郎さん。ウィザードナイトオンライン、略してウィズオンの世界へ!』
「あ、もしかしてこの目の前のキャラって、ルシアと大島?」
『そうですよー! 今、手を振っているのが私ですー!』
俺は、我が目を疑った。手を振っているのは女性キャラのほうだったからだ。俺は表情を失うと、そのままの顔で隣のルシアをじっと見つめた。
「……何で、大男?」
「だってほら、折角見た目を好きに決められるんですもの、いつもの自分とは違う自分を演出したいじゃない」
「いくらなんでも違いすぎだろ」
「だからいいんじゃあないの。カティが昨日言っていた〈ロールプレイ〉とやらをしたくなる気持ち、私、わかった気がするわ。こんなか弱い私でもね、ゲームの中ではヒーローになれるのよ。だから私、〈姫を守る屈強な|騎士《ナイト》〉を演じることにしたのよ」
「……それで、保護欲を駆り立てさせろってわけか」
「そう! そうなのよ! ほら、あの洋服を買いに行ったときのアレ! あんなに演技が上手だったんですもの、タクローなら私の〈姫〉を立派に演じきってくれると思ったのよ!」
パアと表情を明るくしたルシアは、元の姿に戻るんじゃなかろうかというくらいに光を放った。――単に、自分が今までも今も〈守られる側〉だったから、逆側に立ってみたかったと。つまり、リアルでは俺に|保護さ《まもら》れているから、そんな俺を逆に守りたいってわけじゃあないってわけか。そういうわけか。はあ、そうですか……。
俺が乾いた声で「おう。俺、ネカマ、頑張るよ」と答えると、パツッと光を失ったルシアがぷりぷりと怒りながら「ネカマじゃあないわよ、ロールプレイ!」と口を尖らせた。そしてルシアのパソコンから聞こえてくる〈笑いすぎて酸欠になりかけている大島の笑い声〉が、俺の心に虚しく刺さったのだった。