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記録13 ねえ、俺は……?

 ただいま、と声をかけながら家のドアを開けると、奥からルシアが満面の笑みを浮かべて玄関へとやって来た。あらかじめ「来客がある」とチャットアプリを通じて聞いていた彼女は、笑顔に少しばかりの緊張を忍ばせながら、元気よく愛想を振りまいた。


「お父さん、おかえりなさ――」

「やだ、拓郎さん! 親子プレイはさすがに高度すぎですよ!」


 可愛らしさ全開で俺を出迎えたルシアを|他所《よそ》に、|大島《おおじま》がドン引き顔で俺に耳打ちをした。ルシアはそれが聞こえたのか、みるみると眉間にしわを寄せた。俺は大量の冷や汗をかきながら、二人をリビングまで引っ張っていった。
 仕事鞄を適当に置き三人分の飲み物を用意すると、俺は「どういうことなの、これは」という空気をビシビシと出してくる二人の元へと戻った。それぞれの前に茶をコトリと置くと、俺はモゴモゴと事の経緯を話し始めた。出会いからシングルファザー設定が盛られた経緯、そしてルシアから送られてきた写真付きのチャットを眺めていたら、その写真が〈尖り耳ではなくなる魔法のヘアゴム〉をしていない写真だったがために大島に〈エルフを保護している〉とバレてしまったことを全て話し終えると、ルシアが何やら照れくさそうに頬を赤くして俯いた。


「そんなあからさまにニヤニヤしてたの……」

「あーもう、すごいニヤけっぷりでしたよ。この世の春かっていうくらいの幸せ全開な笑顔で――」

「そ、そう……。じゃあ、仕方ないわね……」

「おい、大島! 何、捏造してるんだよ! ふざけんなよ! ルシアも、何でそんなニコニコしてるんだよ!」


 俺が声を荒げるとルシアがあからさまにしょんぼりとし、それを見た大島がまたニヤけながら「何言ってるんですか、捏造じゃないでしょ」と言った。ルシアはその言葉でほんの少しだけ浮上した。


「本当?」

「本当、本当。もうめっちゃ、気持ちが悪いほどめっちゃニヤニヤしてましたもん」

「そ、そうなんだ……。ていうか、あなた、どうしてタクローのことを名字で呼ばないのよ。もしかして、二人は親密な仲なの?」

「ああ、うちの会社、ヨシザワが拓郎さん含めて二人いるんですよ。だからどっちを呼んでるのか分かりやすいように名前呼びしてるんです。ただそれだけですよ。そうでなきゃ名前呼びなんてするわけないじゃないですか」

「あっ、そう、そうなの、ふーん……」


 始終ニヤニヤとしている大島と、何故か何となく嬉しそうに頬を染めているルシアを睨みつけて鼻を鳴らすと、俺は二人に断りを入れて部屋着に着替えることにした。
 大島は例の〈面倒を見ている子〉がエルフだと知ると、会わせろとうるさくせがんできた。ルシアに会わせてやれば大島の要求も達成できるし、ルシアに彼女の記憶を消してもらえば今後の心配をしなくてもいいと思い、俺は大島を連れて帰ってきたのだった。――大島め、キャッキャしていられるのも今のうちだぞ。そんなことを思いほくそ笑みながら、俺は彼女達を背にして着替えていた。すると、背後から想像以上にキャッキャとした声が聞こえてきた。さらにはルシアがまるで喘ぎ声のような声を上げ始めた。俺はギョッとすると、慌てて彼女達のほうを振り返った。


「あ、あ、あ、あ、あ”ぁぁぁぁぁぁぁぁ……」

「うわー、本当に耳が尖ってる! 尖り耳だうわあー!」

「あ”ぁぁぁぁぁ、あ、あ、あ、あ……」

「……何してんの、お前ら」

「み、耳つぼマッサ……あぁぁぁぁぁ……」

「うわっ、ルッチィ、何かキラキラ輝き出したけど! 何コレ!?」

「あぁぁぁぁぁ……気持ち、ぃ……あぁぁぁぁぁぁ……」


 ルシアはヘアゴムを取って尖った耳を見せてやっていたようで、その先端を揉みしだかれながら悦に入っていた。うっとりとした表情できらめきながら呻く彼女を膝に乗せて、大島が目を白黒とさせていた。俺はぶっきらぼうにルシアが元の姿に戻る条件とそれに付随して発生する光について教えてやりながら、心中で悪態をついた。――ルッチィって何だ、何勝手に愛称つけてやがんだよ!
 頬を上気させて恍惚としたままぼんやりとしているルシアの頭に顔を埋めると、大島は深い溜め息をついた。


「ああ、いいなあ、エルフ……。私も素敵なエルフ男子を保護したいです……。拓郎さん、部屋、替わってください」

「そんな簡単に替われるかよ」

「じゃあ、私も一緒に住みます。そして理想のエルフ男子を――」

「ていうか何だよ、さっきからエルフ男子エルフ男子って」

「私の推しは! エルフ一択なんですよ!」


 勢い良く顔を上げると、大島はこれでもかというくらいに目を見開いた。そして彼女はエルフの素晴らしさについて語りだした。とりあえず、エルフ男子にハマッたきっかけはオンラインゲーム内で助けてくれ、以降仲良くしているエルフ男子キャラの人が〈彼女の理想そのもの〉だったかららしい。それ以来、どんな作品においてもエルフキャラ推し一択なのだとか。しかもハマッたというよりももはや恋だそうで、それで彼女は〈推しとともにさえあれば三次元なんかいらない〉のだそうだ。俺は大島の勢いに押されて身を引くと、苦い顔を浮かべてボソリと返した。


「だったらそのエルフ男子のプレイヤーとオフ会でもして、実際にお付き合いすればいいだろうが」

「しましたよ! 会いましたよ! そしたら女性だったんですよ!!」

「えっ、ネナベ?」

「違いますよ、ロールプレイですよ!」

「それってネナベとどう違うんだよ」

「全然違いますよ! とにかく、それ以来、私の〈もしも三次元とお付き合いする事態が発生した際の条件〉もエルフ系男子になったんですよ!」

「何だよ、エルフ系男子って」

「で、何期か前のアニメでスケートを題材にしたヤツありましたでしょう? そこから実際のフィギュアスケートにもちょっとだけ興味が湧いて、見てみたんですよ! そしたらそこにたくさんいたんですよ、エルフ系男子が!」

「え、実際にいるもんなの……」

「おかげさまで、今、私、駅前留学でフィンランド語とロシア語を勉強中ですよ!」

「お前、推しとともにさえあれば三次元なんてとか言ってなかった――」

「備えあれば憂い無しっていうでしょう!? でも本物のエルフとお付き合いできるなら、それに越したことはないんですよ! 私だってエルフとお付き合いしたい! エルフを囲いたい! 拓郎さんばっかりずるいですーッ!」


 大島は勢い良くルシアの頭に顔をうずめると、ギュウと強くルシアを抱きしめた。グエッと潰れたカエルのような声を上げたルシアに謝罪すると、大島は何を思ったのかルシアの尖り耳を口に含んだ。ルシアは悲鳴を上げながら全力で大島を振り切ると、ギャン泣き寸前の形相で俺にすがりついてきた。


「ルッチィ、ごめん。溢れかえるエルフへの愛を抑えきれずに、つい……。ごめん、もうしないから、戻ってきてルッチィ」

「ルシア、もう遠慮することない。こいつの記憶、消しちまえ。それで、もうお帰り願おう。な?」

「ちょっと、拓郎さん! 何を恐ろしいことを言っているんですか! ……ルッチィ~!」


 すっかり怯えきったルシアに向かって、大島は今にも泣き出しそうなしょんぼり顔で謝罪を繰り返した。どんだけエルフ好きなんだよ。ルシアは大層嫌がって俺にしがみついていたが、大島の「私たち、もう友達だよね?」という言葉にパアと顔を明るくし、仕方ないなあとばかりに彼女のもとに戻っていった。俺は、何ていうか、何もかも打ち砕かれたような気持ちになった。
 再び耳つぼマッサージでやたらエロい感じであんあん言い出したルシアと、幸せそうに尖り耳を揉みしだく大島に何て形容したらいいか分からないモヤモヤを覚えた俺は、溜め息をつくとキッチンスペースへと移動した。行きどころのないこの思いを食材にぶつけることにしたのだ。

 まず挽き肉を取り出すと、半分をボウルに入れた。そしてイライラやワケの分からんモンヤリとしたものをぶつけるがごとく、俺は一心不乱にそれを捏ね回した。粒が潰れてきたところで塩、胡椒、ナツメグを振り入れて、再び捏ねる。捏ねる。捏ねる! ペーストかというくらい捏ねたら、残りの挽き肉とマヨネーズを投入してざっくりと合わせた。――肉の半分をしっかりと捏ねることにより、パン粉などのツナギがいらなくなる。また、マヨネーズを入れることによって焼くときに肉汁の流出を抑えることができるのだ。
 肉をハンバーグの形に成形したら、中火で両面がカリッとするまで焼く。焼きあがったら、皿に移してアルミホイルを被せて保温する。

 みじん切りにするのが面倒臭いし、そのためだけにあの聖剣クインディネイトを出してくるのもアレなので、玉ねぎは添え物に使うことにした。なお、ハンバーグを焼く前にニンニクと一緒に炒め済みだ。そんなわけで〈冷ました炒め玉ねぎをハンバーグに入れない〉という手抜きをしたので、せっかくだからソースは〈ウスターとケチャップを混ぜて〉という簡単なもので済まさずにきちんと作ることにした。
 ハンバーグを焼いたあとのフライパンにバターを投下。バターが溶けたら水を加減しながら入れ、そこに固形ブイヨンを落とす。塩、胡椒を振り、白ワイン――が我が家にはないため代わりに梅酒を少々。小麦粉でとろみをつけたらグレイビーソースの出来上がりだ。
 そして炊き上がった白飯の上に昨日ルシアが手伝ってくれた人参とキャベツのピーラーしたやつを乗せ、ハンバーグを乗せ添え物を飾り付け、ソースをかけ、ソースを作っている間に別のフライパンで焼いていた目玉焼きを乗せればロコモコ丼の完成である。


 
挿絵




 俺が完成したロコモコ丼をリビングに運んでいくと、何故か二人はノートパソコンを開いていた。いそいそとパソコンを片付けた二人はロコモコ丼に目を輝かせると、元気に頂きますの挨拶をしてスプーンを握りしめた。
 特製ソースがふんだんにかかったハンバーグを口に放り込んだ途端、大島が俯いてプルプルと震え出した。どうしたのかと様子を窺っていると、彼女は幸せそうな吐息をはいた。


「何これ、めっちゃ美味しい……。すごく、お店の味……」

「そうか、良かったな」

「拓郎さん……。〈お母さん〉って呼んでいいですか……」

「何言ってるんだ、これ食ったら、お前なんて記憶消去してサヨナラだよ」

「えええ、そんなひどい!」

「そうよ、ひどいわよ。そんなことしないわよ?」


 俺は勢い良くルシアに視線を振った。彼女はキラキラとした光をまといながら、もくもくと美味しそうにハンバーグを頬張っていた。口の中のものをごくりと飲み下すと、俺が顔をしかめているのもお構いなしにあっけらかんと言葉を続けた。


「余計な魔法は使わないって、前にも言ったでしょう? それに、お友達にそんなひどいことをするわけがないじゃない」

「ルッチィとはもう、チャットアプリのID交換し済みですー。私たち、もう親友だもんね、ルッチィ!」

「は?」

「アプリのID交換だけじゃあないわよ。さっき、カティのやっているっていうゲームでキャラクター作成してフレンド登録もしたのよ! だから、タクロー、私、ゲームパッドとやらが欲しいのだけど」

「は!? ていうかカティって何だよ!」

「それ、私の愛称ですね。佳代子だからカティ。ルッチィがつけてくれたんですよ、羨ましいでしょう?」

「カしか被ってねえじゃねえか! つーか、大島、お前、何うまく取り入ってるんだよ!」

「何よ、文句? ものシリさん以外の〈生身のお友達〉なんて初めてなんですもの、私、嬉しくて嬉しくて」


 楽しそうに笑うルシアを真顔で見つめると、俺は抑揚なく「俺は?」と尋ねた。不思議そうに首を傾げたルシアに再び「俺は、じゃあ、何だよ」と尋ねると、彼女は真っ赤にした顔を心なしか不機嫌に歪めて「知らない」と言いそっぽを向いた。――知らないって何だよ、知らないって!!
 まだ完食していないにもかかわらず「ごちそうさまです」と言いながらニヤニヤとした笑みを向けてくる大島を怒りの眼差しで射抜きながら、俺は明日にでも二人分のゲームパッドとパソコンをもう一台買ってこようと心に誓ったのだった。

しおり