記録12 俺だってその幸せを手折りたくはなかったんだよ
スマホを買いに行った翌日。俺は無情にもルシアからスマホを取り上げた。というのも、起きてすぐにスマホ、ご飯中もスマホを気にして気が|漫《そぞ》ろ、ご飯が終わったらやっぱりスマホで、もうずっと、ずっっっとスマホにご執心なのだ。――そんなに〈ものシリさん〉が大好きか。ハマりすぎだろ、マジで。
ルシアはギャン泣き寸前の涙をいっぱい溜めた目で俺を睨みつけると、顔をクシャクシャにして〈俺がいかに非情であるか〉を表情だけで訴えた。俺は彼女のご機嫌など気にすることなく、端的に述べた。
「出かけるぞ。準備しろ」
すると、ルシアの目に浮かんでいた涙が途端に引っ込んだ。彼女はぽかんとした表情を浮かべると、目を瞬かせた。
「えっ!? 今日もどこかに連れて行ってくれるの!?」
「喫茶店。この前『ちゃんと美味いコーヒーを飲ませてやる』って言っただろ」
みるみると頬を上気させると、ルシアは喜び勇んで〈お出かけ用の洋服〉を見繕い始めた。現金なやつ、と呆れたが、嬉しそうな笑顔で少しでもおしゃれをしようと服を眺めては「この着合わせ、どうかしら?」とこちらを振り返ってくる彼女を見ていたら、そんなことなどどうでも良くなってしまったのだった。
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俺の住まう地域には今どきのカフェを含め、喫茶店がたくさんある。本日は、その中でも我が家から遠方の店をチョイスした。そこは、いくつかある〈俺のお気に入りの店〉のひとつなのだ。
店へと向かう道すがら、ルシアは周囲の景色を気にすることなくさっさと歩いていた。その様子を何も言わずにジッと見ていると、彼女が急に足を止めて怪訝な表情を浮かべた。
「さっきから、何?」
「いや、アレ何コレ何言わなくなったなと思って」
「それだけ、この世界に慣れてきたということよ。だってもう、こちらに来てから一週間と少しが経つのよ? もう〈おのぼりさん〉は卒業しなくちゃ」
ルシアはフッと鼻を鳴らすと、得意気に胸を張った。正直、その発言自体が〈おのぼりさん〉っぽいのだが、彼女は気がついていないようだ。そこがまた、可愛らしいというか何というか。
俺は再び歩き出すと、ぼんやりと空を眺めながら呟くように言った。
「そうか、まだ一週間と少ししか経っていないのか。怒涛過ぎて、もう一ヶ月は経った気になってたよ」
「たしかに、怒涛だったわね。――この名前を授けられたときには既にね、〈伝説の剣を手に入れるための儀式〉を行う日どりは決まっていたのよ。だからもう、物心がついたときには私は籠の中の鳥だったの。それが、まさか……幼女の姿になって、見ず知らずの殿方に保護されて、お手洗いやお風呂で屈辱を――」
「おまっ、そんな誤解を招くようなことを外で言うなよ!」
哀しみや諦めといったものが滲んだ物憂げな笑顔でポツポツと話していたルシアが、話す速度を落としながらじわじわと眉間に皺を作った。俺は慌てて彼女の言葉を食うように抗議の声をあげると、続けて捲し立てた。
「ていうか、お前が今挙げたことよりも、お前が俺に致したことのほうがよっぽど破廉恥じゃないか!?」
「は? どれのことよ?」
「出会い頭に、濃いぃの一発決めただろ! 舌まで入れて! 人に汚らわしいだ破廉恥だ言うけど、お前だって大概だろ!」
「だって、そうでもしないと、あなたの〈情報〉を|頂け《・・》なかったんですもの。言ったでしょう? あなたの魔力量は少なすぎるって。ああやってかき集めて、それでやっとだったのよ」
ルシアがムスッと不服げに口を尖らせるのと同時に、俺は警官に肩を叩かれた。どうやら、俺とルシアのやり取りを耳にした通りすがりの誰かが不審に思って通報を入れたらしい。
「君、ちょっといいかな?」
ニコリともせずそういう警官に愛想笑いを浮かべると、俺はルシアを慌てて抱き上げた。
「ルシア、魔法!」
「は?」
「俺は今、わいせつ目的で幼女を誘拐した変質者の疑いをかけられている! だから、助けろ!」
取り押さえようと手を伸ばしてきた警官を振り切って必死に走りながら懇願すると、彼女は先ほど俺が述べた「そんな話をこんな外で」というのをそっくりそのまま返してきたのだった。
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何とか窮地を脱した俺達は、喫茶店に着く頃にはヘトヘトとなっていた。店の隅のほうの席につきメニューに視線を落としながら、俺とルシアは声を揃えて「疲れたし、何か甘いものも一緒に頼もう」というようなことを言った。俺達は顔を上げて互いに見つめあうと、クスクスと小さく笑い合った。
「ね、ね、コーヒーはどれがオススメなの?」
俺の手をちょいちょいと突きながら、ルシアはメニューに視線を走らせた。俺がどう答えようか迷っていると、彼女はさらに「じゃあ、最も長い歴史のあるものはどれ?」と尋ねてきた。俺は思わず、困惑して眉根を寄せた。
「難しいことを聞いてくるな。何で、また」
「だって、一番古い歴史のあるものというのはつまるところ、一番長く人々に愛されているってことじゃない。だから、絶対にハズレ無しで美味しいだろうなと思って」
「ああ、なるほどな。じゃあ、ちょっと店員さんに聞いてみるか」
そう言って、俺は店員を探して身を捩った。すると、ルシアがハッと息をのんで神妙な面持ちで言った。
「待って! こういうときこそ、ものシリさんに尋ねたらいいんじゃないの!?」
「……俺と一緒のときは、ものシリさん禁止な」
「何で!?」
俺は不満を露わにする彼女を無視して、店員さんを呼んだ。
コーヒーについてアレコレと尋ね、結果、モカとキリマンジャロを注文することにした。俺が注文内容を店員さんに伝えている間、何故かルシアは壁をジッと見つめていた。どうしたのかと尋ねると、彼女は頬を染めあげて興奮を抑えているかのような調子で言った。
「壁のこんなところにね、ひっそりと〈チョコレートケーキ〉って貼ってあるのよ。他のメニューは表に載ってるだけで張り出しなんてされてないのに、これだけはこうやって掲示されているのよ!? これ、絶対にオススメってことじゃないの!? 甘いものも頼みましょうって、さっき言っていたじゃない。これにしましょうよ。ね、絶対にこれがいいわ!」
キラキラと目を輝かせるルシアを見つめて、店員さんは微笑ましげにフと相好を崩した。俺も一緒になって頬を緩めると、じゃあそれもと注文を追加したのだった。
コーヒーが運ばれてくると、ルシアはそのフルーティーな香りにうっとりと目を細めた。そしてポツリと「ああ、全然違う」と呟いた。
目の前に置かれたモカを興味深げに眺めながら、ルシアは心なしか柔和にフと笑った。
「シンプルだけど、とてもおしゃれなカップね」
「おう。ここは味も雰囲気も、そしてそういうところも好きで、だからお気に入りの店なんだよ。――ホッと一息つきながらさ、コーヒーやお茶を飲んで、静かに読書を楽しんだり会話をのんびりと楽しんだり。そういうことをしたいとき、店が寛げる雰囲気でカップがさり気なくおしゃれだと、凄まじく満足感得られていいよな。しかもリーズナブルな価格で味も最高とあったら、もう言うことなし」
「分かるわ。幸せって、単純な物やお金じゃあないのよね。そこに満ちている空気や気持ちが、心地よくて暖かいものでないと。――私ね、この一週間でそれを知って、ずっとそう感じていたの」
俺は「あ、デレた」と心中で呟きながら、ルシアの照れくさそうな微笑みに胸をギュウとわし掴まれた。――まただ。本当に、何なんだこれは。気恥ずかしいし、そわそわする。
俺は若干声が上ずるのをごまかしながら、運ばれてきたケーキをルシアに勧めた。すると、俺を見て不思議そうに首を傾げていた彼女は、すぐさまケーキに視線を移して再び首を捻った。
「あら、フォークが二本あるわ」
「もしかして、仲良くシェアするんだろうと思って用意してくれたのかな」
「なんて気の利く……。さすが、タクローいち押しの〈雰囲気のいいお店〉なだけあるわね」
言いながら、彼女はようやくコーヒーに口をつけた。目を真ん丸と見開くと、彼女は一転してフッと顔を綻ばせた。
「ああ……。何かの果実のような、とても心くすぐる香りがしていたのに。意外と酸味が強いのね。でも、それが引いた後にフワッとした甘みが鼻に抜けていって……。そしてやってくる深い味わい……。これが本当の、コーヒーの実力なのね……」
「キリマンジャロもひとくち、飲んでみるか?」
「あら、ありがとう。――酸味と苦味がちょうどいい塩梅で、これもこれでいいわね。後からやってくる甘みが、上品! しかも、すっきりとした後味ね。……ああ、どちらも美味しい。どちらも捨てがたいわ。でも、今日はモカがいいわね」
言いながら、彼女は満足げな笑みを浮かべてカップを返してきた。そして〈幸福の光〉を揺らめかせながら、彼女はフォークに手を伸ばした。ケーキを口に運んだ次の瞬間、彼女は大仰にガクリと頭を垂れてわなわなと震え出した。その様子を見て、俺はギョッと目を剥くと冷や汗を掻いた。――こいつ、久々にめっちゃ光ってる!
俺は咄嗟に口を開いた。
「それ、あとは全部、俺が食うわ」
ルシアはヒューズの飛んだ電球のように、バツッと光を失った。〈なんて悪辣非道なことを〉と言いたげな驚嘆顔で固まる彼女に苦い顔を浮かべると、俺は小声で捲し立てた。
「嘘に決まってるだろ。お前、今にも元の姿に戻らんばかりに光ってたんだよ。さすがに人前でそんなイリュージョン披露するのはまずいだろう!?」
「……それこそ、さっきのお巡りさんのときのように記憶消去魔法使えばいい話じゃない。まあ、あなたが思わず焦った気持ちも分からなくもないけれど」
ルシアはフォークを静かに置くと、本日二回目の〈記憶消去魔法〉を行使した。謎の発光にどよめいていた店内が何事もなかったかのように落ち着くと、俺はポツリと謝罪の言葉を口にした。そして申し訳なさといたたまれなさに板挟みになりながら、チョコレートケーキをもうひと皿追加注文したのだった。