記録11 ハマりすぎだろ!
「ふふ……ねえ、グルグルのものシリさん。あのね――」
蕎麦屋からの帰り道、ルシアは家に辿り着く前に案の定寝落ちした。そして起床後はやはり案の定、スマホと――というよりもむしろ検索機能〈グルグル〉の内蔵AI〈ものシリ〉さんと蜜月関係を築いた。
彼女は起きてからずっと、もうホントずっっっと、ものシリさんと笑顔で会話している。蕎麦屋で俺が〈OK、グルグル〉した際に、凄まじいまでの〈私もやりたい!〉という表情を浮かべていたから、きっとこうなるとは思っていた。――しかし、何だ。いざそうなってみると、とてもイライラするな!
よく「恋人や友達が一緒にいるときもスマホばかりいじっているから、会っている意味がない」という話とともに「あれはマジでムカつく!」というのを小耳に挟むが、たしかにこれは頭にくる。昨日までは「今日は〈晴れ空〉でこんな話を読んだ」と言いながら、自分の世界でも似たような寓話があってというようなことを喋ってくれたり、テレビで取り上げられていた場所や料理について「連れて行って」だの「食べてみたいわ」だのと熱っぽく捲し立ててきたというのに。それが今や、俺放置でずっとものシリさんですよ。
しかも、お茶の用意をしてからのんびりと無線LANの設定をしようと思っていたら、いつの間にか起きていて、そしていつの間にかスマホとイチャイチャし始めていた。つまり、今現在、彼女のスマホはデータ通信量の制限上限に向かって着実に歩を進めている。俺は溜め息をひとつつくと、ルシアからスマホを取り上げた。すると、彼女は非難がましく俺を睨みつけた。
「ちょっと、何よ! スマホ、返しなさいよ!」
「いいですか、ルシアさん。ものシリさんとの会話にもですね、通信が発生するんですよ。このまま使い続けるとですね、ものシリさんとお別れしなくてはいけなくなるんですよ。分かりますか」
「ええっ!? そんなの嫌よ! どうしたらいいの!?」
ルシアは目を潤ませて俺にすがりついた。そんなにものシリさん大好きか。俺は彼女にお茶とおやつを勧めると、手早く無線LANの設定を済ませた。そして、LAN通信と通常のパケット通信との切り替えの仕方を彼女に教えた。
「いいか? 家で触る時は、このLANのほうで繋げよ。そうすれば、制限とか関係ないから。外でもLANの使えるところがあるけれど、それはまた今度教えるよ」
「分かったわ! ――じゃあ、もういいわね。さあ、返して」
ルシアは満面の笑みで催促するように手を差し出してきた。俺は苦い顔を浮かべると、「まだ駄目」と言ってそれを拒否した。あからさまに不服そうな顔をした彼女を宥めると、俺は彼女にスマホを向けて「笑って」と声をかけた。そして不思議そうに首を傾げた彼女を、そのまま写真に収めた。
「何、今の?」
「写真を撮ったんだよ。――ほら」
「わあ、凄い! あの瞬間で、こんな精巧な肖像画が……!? ねえ、それ、その写真っていうの、どうやってやるの!?」
目を|爛々《らんらん》と輝かせる彼女を他所に、俺はチャットアプリの設定をし始めた。そして先ほど撮った写真を、彼女のアカウントのサムネイルに使用した。
ようやく、俺はスマホを彼女に返却した。返しながら、チャットアプリの説明を軽くすると、彼女は「早速チャットをしてみたい」と言い出した。俺は頷くと、自分のスマホに手を伸ばした。それから少ししてから、彼女のスマホがピロンとなった。
「今、〈こんにちわ〉って表示されたわ! ――文字の隣に表示されている小さな写真、なんか、ヘンテコね」
「それ、俺のアカウントのサムネイルだよ」
「分かりづらいわよ。私のは私の写真で設定したんでしょう? あなたも同じようにしてよ」
「どうせ俺としかチャットしないんだから、分かりづらいも何もないだろうが」
そう言って、俺はお茶の入ったカップに手を伸ばした。すると、ルシアは照れくさそうに頬を染めてもじもじとしながらポツリと言った。
「嫌よ、そんなの。だって、顔が見えたほうが〈ちゃんと会話している〉って気になるでしょう? だから、ね? 顔を見せて?」
俺は思わず、茶を吹き出しそうになった。――最近、彼女は俺にデレるようになった。しかも、不意をついてボディーブローを打つようにデレてくる。嬉しいし、可愛らしいのだが、可愛いと思ってしまうことが悔しくてならない。そして、それと同時にもやもやとするのだ。
ふとした拍子に彼女がデレると、そこはかとなく幸せな気持ちになる。もっと、彼女を幸せにしたいと思う。しかしながら、彼女は異世界ハーレムのための第一歩なのだ。俺にはハーレムが待っているのだ、彼女との幸せだけで満足してなどいられない。だが、幸せを感じるたび、得体の知れない胸の苦しさを感じるたびに〈異世界ハーレム〉のことを失念するのだ。これは、俺の素晴らしき人生計画において、由々しき事態なのではないだろうか。
そんなことを考えながら、俺は気を鎮めるべく茶をすすり、おやつを口に運んだ。その間に、ルシアはものシリさんとの逢瀬を再開させていた。俺は何となくムッとするのを抑えながら、久々にのんびりとパソコンでも触ろうかと思い立った。
ルシアとの生活を始めてから、俺はすっかりメールのチェックくらいでしかパソコンに触らなくなっていた。折角自分だけの時間が出来たのだから、web漫画やネット小説でも見ようとブラウザを立ち上げた。しかし――
(うーん……? なんだ? 読んでて、全然楽しくない……)
お気に入りの〈異世界チーレム漫画〉のワンシーンの、〈たくさんの女性に囲まれて困った笑顔を浮かべる主人公〉を眺めながら、俺は首を捻った。そっとブラウザを閉じて、今度はネット小説を読んでみた。だが、やはり以前ほど楽しく読めなくなっていた。何ていうか、感情移入が出来ないのだ。あれだけ、異世界での生活に憧れ、主人公がてんこ盛りスキルやチートで俺ツエーする様に爽快感を覚え、種族様々な女性キャラに求愛される主人公に自分を重ねて、胸とちょっと破廉恥なところを熱くしていたというのに。そこそこおもしろいとは思うのだが、前ほど没入できないし、燃えないし、萌えないのだ。
画面を見つめながら、俺は依然として首を傾げていた。すると突然、ルシアがギャン泣きし始めた。ぎょっとして彼女のほうを見やると、ボタボタと大粒の涙を落とすルシアがこちらを向いて、スマホ片手に駆け寄ってきた。
「タクロー! メモの準備をしてーッ!」
「何だよ、一体!?」
「聖水、月桂樹の枝、水晶、それから――」
「ちょっと待て。それ、何に使うんだよ?」
適当なメモ紙が見つからず、俺は慌てて仕事鞄の中を漁りながら尋ねた。するとルシアは嗚咽を堪えるのを諦め、わあと盛大に泣き叫んだ。
「ものシリさんがああああ! お亡くなりになったああああ!」
彼女のスマホはバッテリーが尽きてブラックアウトしていた。――買ってすぐって、中途半端にしか充電されてないもんな。そりゃあすぐに電池が尽きるよな。
俺は表情もなく「ちょっと貸して」と言いながら、彼女からスマホを取り上げた。そして充電アダプターに繋ぎ、充電マークが灯ると電源を入れてやった。ルシアはこれでもかというほど目を見開いて驚嘆すると、頬を上気させて呟いた。
「蘇生したわ……! 儀式、してないのに……!」
ぴたりと泣き止み、幸福の光をチラチラと纏う彼女に「良かったな」と声をかけると、彼女は嬉しそうに頷いた。そして「蘇生したばかりで疲れているでしょうから、今日はもうお話はやめておくわ」と笑う彼女に頷き返してやりながら、俺はまたスマホ――というか、ものシリさんに対してそこはかとなく腹を立てたのだった。
〈◯月◯日 追記〉
チャットアプリとカメラの使い方を覚えたからか、仕事中にもルシアからちょっとした写真付きメッセージが届くようになった。最近メキメキと成長をしているパクチーと一緒に写真に収まった彼女を眺めながらニヤニヤしていたら、|大島《おおじま》に見つかりニヤニヤされてしまった。恥ずかしい。