ニートと狸ではなく理
(あんた誰?と言われた気がする。むしろ言われた。)
しかし、彼女は息が切れ言葉を発する余裕がなかった。
そんな彼女を、男は目を細め、ゆっくりと観察し、何かに気づいたかのように驚き、疑いと困惑の表情を浮かべた。
それからは何も言わず、ただ彼女の息が整うのを待つように、黙って彼女を見ていた。
少し落ち着き始め、彼女は後ろを振り返る。そこには木製の扉があり、あの二人が入ってくる様子はない。
(助かった。)
そう思うと、涙が溢れでて止まらなくなった。膝から崩れ落ち、目の前で見知らぬ男が見ていることなど忘れ、大声で泣いしまった。
♢♦︎♢♦︎
(うわ、嘘だろ……泣き出したよ。)
男は突然家に入ってきて、これまた突然泣き出した彼女をどう扱っていいのかわからず、困惑していた。
「大丈夫か?」
恐る恐る声をかけてみるが、彼女には聞こえていないようだ。困った男は、イテテテと腰に手をやりゆっくりと立ち上がると、彼女の前まで行き屈む。
「おーい、大丈夫か?」
今度は少し大きな声で聞いてみるも、やはり反応は無い。
(ふぅ、どうしたものか。泣いている女の子の相手なんてしたことなんてないぞ。そもそも女の子と接する事すら、いったい何時振りかもわからんのに。)
男は少し考えた末、彼女のあたまに手をやり、軽くだがくしゃくしゃと撫でた。
(大丈夫だよな。これセクハラとか言って後から怒られたりしないよな。金とかせびられたら、たまったもんじゃない。大丈夫だ。やましい気持なんかこれっぽちもないのだから。うん。無い。ということにしておかないと。)
男がそんなことを考えている間、彼女は自分の頭を撫でるその手の感触に、どこか懐かしさを感じていた。
何が悲しくてこんなにも泣いているのか忘れてしまうほど、その手の温もりに包まれていた。
「ん、食うか?」
男は少し落ち着いてきた様子を見て食べていたスナック菓子を差し出した。
「ぐすっ、ありがとうございます」
まだ涙が溢れており、目も腫れあがっている彼女に見上げるように見つめられ、顔をパッと逸らし頭を掻く。
(おいおい、上目遣いは反則だろ。)
……沈黙が流れる。
「で、何があった?話せるか?」
男は彼女が泣き止むのを待ち、元いた布団の位置に戻ると、毛布に包まり寝転びながら問う。
彼女は、突然訳の分からない二人組に襲われたこと、赤ん坊の泣き声のこと、それからそもそも、この世界に突然飛ばされたことなど全て、まだ軽く啜り泣きながら伝えた。
「喋る赤ん坊と貴族のような格好をした男……なるほどな。そりゃトグチ兄弟か」
「そう!その人たちです。似てるなぁって思ってたから覚えてます。幽☆遊☆___」
説明している間に落ち着いた彼女は、今度は少し興奮気味だ。
「待て!それ以上言うな。わかった。言わんとしてることはわかったから。口を慎め。な?」
男は焦って彼女の言葉を途中で遮った。
「どうしてですか?戸愚__」
あーあーあー、と耳を塞いでまた途中で遮る。
「待って、お願いだから漢字にしないで。ねぇ、もう名前はいいから。わかったから」
「なんですかその名前を呼んではいけないあの人的な。ヴォルデ__」
「お黙り!」
「 ………………」
「びっくりしてお黙りとか言っちゃったじゃん。お前すごいな。どんどんぶっ込んでくんな!いいよ、そのくだりがやりたかったのは確かなんだけど……でもダメ。やらせない」
何をそんなにも焦った表情をしているのか理由がさっぱり分からなかったが、彼の必死さを見る限りどうしても言わせたくはないのだろう。
「まあ、あの二人に出会って、何事もなく逃げきれただけでもラッキーだったな」
「お知り合いなんですか?」
男は少しばかり眉間に皺を寄せ、何かを考えるように、まあな。と、だけ返しそれ以上は何も聞くなと言わんばかりに話を続けた。
「まあけど、導の門に救われたな」
「シルベノモン?」
「あんたが通って来た扉だ。この世界のどこかに突如として現れ、通る人を導き示す門と言われている。誰かしらの能力じゃないかなんて噂もあるが、その正体は詳しく解明されていない」
能力。トグチが赤ん坊の泣き声も能力だと言っていた。
「あの、能力って一体」
「……そうだな。あまりこの世界に深く干渉することは進めないが、少しなら説明してやらんでもない」
男はむくりとダルそうに起き上がり、キョロキョロと周りを見渡した。
「その辺に紙とペンあるはずだから取って」
男が指差す場所は、食べかけの弁当の様なものや、脱ぎ捨てられた衣服が散らばっており、一言で言うならゴミ山だった。
彼女はゴミ山を漁り、底の方からくしゃくしゃになった紙と、一本のボールペンを見つけ彼に渡した。男は紙を広げ、二つの円を書き、その中にそれぞれ奇妙な生物を一匹ずつ書いた。
「こっちがあんたの元いた世界__」
男が片方の円を指差し、説明を始めようとする。
「待ってください、この生き物みたいなのなんですか?」
男は、円の中を指差して聞く彼女に怪訝そうに目をやる。
「なにって君と俺だが」
さも当然だろうと言うように男は答える。
「私四足歩行じゃないんですけど」
絵の中の生き物は明らかに四足で立っており、体を横にしてこちらに顔を向けている。画伯の典型とも言えるスタイルだ。
「なんだよ。なんか文句あんのか?失礼なやつだな。聞く気がないならもういい、帰んな」
ふて腐れたようにペンを床に投げ、あーあと毛布に包まり背を向けた彼を、すみません。お、ペンを拾い上げもう一度説明を促す。
「まったく。大人しく聞けないのか。これだから最近の若いのは」
(見た感じそんなに歳変わらないでしょ)と、思ったがまた拗ねられても困るので口にしない。
「 で、こっちがあんたの元いた世界。こっちが今俺たちのいる世界。あんたが元いた世界、仮に人間界と呼ぶとこっちは【タナト・シリア】と言われる世界だ。話を聞く限り、あんたは人間だろ?」
(あなたは人間ですか?そんな質問をされたのは初めてなんですけど。Is this a pen的な、見ればわかるでしょ)
「当然だろって顔してるが、これが当然じゃない。この世界で【人間】という言葉は、知識あるものにしか通用しない。あんたたちの世界で言う【人】という生き物はこの世界では【非人】と呼ばれている。構造としては変わらないかもしれないが、認識が全く別物なんだよ」
(ダメだ。話に全くついていけていない。絵でも説明してくれているが、そっちはもうなんか、ガチャガチャしてて見ても何のことかさっぱりわからない。)
「まあとにかく、【人】と【非人】は全然違うんだよ。例えば、人間であるあんたが、この世界に来ても非人とは呼ばない。人間界で生まれれば、何処へ行こうと人間。逆に、タナト・シリアで生まれた非人は人間界に行っても非人と呼ばれる存在だ。しかし、見た目に特に差はない為、人間界で人という言葉しか知らない奴が非人を見た時、非人は人と【間違って】呼ばれる。逆も然りだ。大丈夫か?ついて来てるか?」
(大丈夫。多分。自信はないが、おそらくついて来ている筈だ。)
心許無く、だが頷く彼女を見て男は話を続けた。
「この人と非人。生まれた場所によって左右される訳だが、大きく違う点が一つある。それは非人は何らかの能力があるという点だ。これが、非なる人である点だ。」
能力。もう何度も聞いた言葉である。漫画や映画の中では頻繁に聞く言葉だが、こうして間近に接することのなかなか無い言葉_。
「全員が全員、能力を持っている訳ではない。それでも、九割以上の非人が能力を持っている。生まれつきの能力もあれば、後天的に発現する能力もある。能力の持っていない非人は、後天的に発現する筈の能力が、遅れに遅れ、結局死ぬまで発現しきらなかっただけとも言われるほどだ。これが人と非人の最大の違い。理解したか?」
男は、紙をペンでトントンとやり、この絵でわかるだろと言わんばかりだ。しかし、絵は全く何が書いてあるのかわからない。だが理解はした。実際に能力と呼ばれるものに触れたことで、信じるには容易かった。
「つまり私は人で、あなたは非人。私が元いた世界が人間界で、ここはタナト・シリア」
自分に言い聞かせるように胸に手を当てる。
「そういうことだ。外では人間とは口にするな。人間が【何か】というところから説明しなきゃならない。【人】も、勿論ダメだ。発音を変えろ。【非人】だ。」
人間が伝わらない……そんなSFちっくな話に、彼女はもっとこの世界について詳しく知りたくなっていた。
「あの、ありがとうございます!もう少しこの世界について詳しく聞いてもいいですか?私!早く元の……人間界に帰りたいんです。あ!私ハルと言います。あなたのお名前は?」
男は、また一番初め突然現れた彼女を見た時と同じような表情をし「名前まで……」と呟いた。彼女がよく聞こえなかったのか聞き返すと、
「説明しすぎてもう疲れたから帰れ。あんたがワンワン泣くからって少し馴れ合いすぎた。お前も俺みたいなのと関わるな。ロクなことないぞ」
また毛布に包まり背を向けて寝る。
確かに。そこまでしてもらえる義理はない。むしろ初対面の人間にここまで丁寧に教えてくれたのだ。感謝すらすれど非道だと恨む義理などそれこそない。
「そう……ですよね。すみませんなんか私一人で。訳わかんないことばっかりで不安で、不安で仕方なくて。そんな中導かれてここに来たと聞いて、この場所で、あなたと出会った事になにか意味があったりするんじゃないかなんて勝手に思ったりして____感謝しています。ありがとうございました。本当にありがとうございます」
また1人になる。この世界へ放り出される。涙を堪えるのに必死だった。しかし彼女は泣かなかった。ここで泣いてしまうのは卑怯に思えたからだ。情に訴えかけるような真似はしたくない。ここで泣いてしまえば無理に引き留めさせてしまうと思ったからだ。
はあ、自分がこんなにも弱い人間だとは思ってもみなかった。
彼女は立ち上がりドアノブに手をやり一度振り返った。ありがとうございましたと深々と頭を下げもう一度振り直りドアを開けようとしたその背中をバツが悪そうに男は見ていた。
「あーーー腹減ったな。なああんたそれでなんか作ってくれよ。あんだけ説明してやったんだ礼くらい受け取ったってバチ当たんねえだろ」
男は彼女の手元を指差した。彼女はなんのことかわからず自分の手元に目をやる。買い物袋だ。ずっと握りしめていたようだ。自分自身でも忘れていた色んなことに必死で握っていることさえも。
彼女が握っている手を開くと、そこにはクッキリと爪痕が残っていた。もう限界だった。彼の言葉を聞いて手を開いた途端とてつもない解放感に襲われ涙がポツリと掌に落ちる。落ちた涙は爪痕に触れヒリヒリと痛んだ。