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ニートと異世界へ

「え?」

  少女は困惑していた。
目の前に見える景色、流れる人々。そのどれもが今まで、つい先程まで、自分の見ていたものと違ったからだ。

「なにこれ?私、お父さんに頼まれて……」

 商店街で買い物をしていた。はずだった。
そして、今彼女がいる場所もおそらく商店街。

 地べたに風呂敷を敷き、そこに商品を並べている人。それを興味深げに眺め「これも欲しい!あ、でもこれも……」と、隣にいる母親に目を輝かせおねだりする子供。屋台から前を通る人に自らの商品を勧める人。誰しもがその場にいれば、活気に流されて高揚する様な。そんな活気溢れる光景だ。

 しかし、そんな雰囲気の中、彼女だけは違った。

 先程まで自分がいたのも商店街。この場所も商店街。

 しかし違う。

 国が違うのか、それとも世界そのものが違うのか。明らかに彼女が元いた場所でないことだけは確かだった。

  今自分に起きていること、目の前にみえているもの全てが、理解しがたかった。しがたかったが、この場所が自分の元いた場所でない事は明らかで、夢であって欲しいと願えなどしないほどに、鮮明で明瞭だった。

 意外にも彼女は落ち着いていた。慌てる事はなく、置かれている状況をゆっくりと理解しようと、そう自らに言い聞かせていた。

 (そういえばお父さんが好きなライトノベル?とかいう本では異世界転生っていうのが主流だって言ってたような言ってなかったような。お父さんが好きなのはゲームの中に入る様なお話だったと思うけど、まさか私もゲームの中に?いやいやまさかそんな事現実で起こられても困る。落ち着け私。思考回路を正常に戻そう。)

「お嬢ちゃん、なにか買うのかい?これなんか安いよ!お嬢ちゃん可愛いから特別に安くしてあげもいいんだけどなぁ」

  突然、目の前から、口元に手を当て周りには聞こえないような仕草をとりながら、しかし大きな声で話しかけられた。

  顔を上げると、自らの筋肉を見せつけるかのような、露出の多い服装で金髪の巨漢が、不気味な笑顔で自分のその大きな掌の、半分の大きさ程の果物を差し出すようにこちらに見せている。

 (わぁ金髪だ。ヤンキーだ。)これが彼女の男に対する第一印象。

 彼女にとって髪を染めている=ヤンキーというわけではない。

 (しかしこの筋肉そしてこの厳つい顔。何処からどう見てもヤンキーだなこれは。ヤンキーが屋台経営……)

 (あ、でもお祭りとかでもヤンチャそうな人がやってること多いか……違う違う違う今はそんなしょうもないことを考えてる時ではない。さっきからすぐに思考が逸れる。)

「あ、あのちなみにおいくらですか?」

 まだこの状況について考えはまとまっていない。しかし、【商店街でのコミュニケーション】という一部分だけを切り取って見たとき、それは慌てるほど難しいことではない。

 幸い持ち合わせはあった。夕飯の買い物代としてもらった3千円。特売セールのおかげでいつもより多くお釣りも出た。そもそも、今ここで断ったりなんかしたら怒鳴り散らされるかもしれない。

 しかし、予想に反しその喋りは、柔らかいものだった。

「そうだなぁ、本来なら300ユンのところを特別に100でいいよ」

  (ユン?聞き間違いだろうか。それとも円をものすごーく訛らすとユンになるのだろうか?)

「えっと……円ですか?」

「エン?お嬢ちゃん田舎の子かい?訛が激しいな。ユンだよ。ユン」

 (訛っているのはどっちだ。これでも、東京出身東京育ちバリバリの都会人です!しかしこちらが間違っていた場合、ちょっと少し恥ずかしいかな)

「、、、エュン?」

 今度は少し自分も訛ってみた。ユンに近づけながら誤魔化し気味に聞いてみる。

「ん?そうそうユン」

「エン」

「ユン」

  (なんだろう、このお年寄りと会話しているみたいな感覚。何言っても聞き取ってもらえず、延々と同じやりとりが続くあれじゃないか。)

 なんども同じやり取りが続き、埒があかない。最初はこの苛立ちに、どこか少し心地よさを感じていた。自分の状況から目を逸らす良い機会になっていたのだ。しかし、この男が訛ってなどおらずはっきりとユンと言っていることを認識するのは、余計と冷静さを乱すことになりそうだった。

 「あの、日本円って使えたり、、、?」

 ユンとはこの国の通貨の事なのだろう。円ではない。つまり、ここは日本ではない可能性があると。しかし今の彼女には、こう言葉を返す他なかった。

「ニホンエン?なんだいそれは?何処かの国のお金かい?使えるのはユンだけだよ」

 やはり使えない。当然だろう。この男はユンと言っている。少し、ほんの少し何処かで滑舌がすごく悪いパターンを期待してもいたが、まぁそんなことはないだろう。
 
 ここで彼女は1つの可能性、あって欲しくはない可能性を考える。

 それは、ここが他国ではなく他世界であるということ。ライトノベルの様な、現実離れした事が今まさに自分の身に起きているということ。信じがたい事だが、日本語は通じるのに、この男が日本円を知らないという不自然なことから、辿り着く着地点はそこが一番落ち着きが良かった。

「あの、すいません。今、持ち合わせがなくて」

「そんなに大きな買い物袋を持っているのにかい?」

 持ち合わせがないと言いながら、手に女性の力では片手で持つのが辛いのか両手でしっかりと握られた袋を見て男は怪訝そうに問いた。

 しかし、俯き何か思い悩んでいる様に見える可愛い少女を前に冷やかしか?などとは言えなかった。だが彼女が俯いていたのは、実際悩んではいたが今考えていたのは、目敏く痛いところを突かれてバツが悪かったからにすぎない。

「あーよく見たらこれちょっと傷んでる箇所があるなぁ。はぁこれはもう売りもんにならねぇし、捨てるしかないか。あ!そうだお嬢ちゃんこれもらっていってくれないかい?どうせ捨てるなら誰かに譲った方がマシだからな!大丈夫まだ食べれるから!」

  と白々しく口笛を吹き、斜め上に顔をやりながら、目線はこちらに向け男は言った。

 (やばい。これ完全に気を使ってくれている。)

 一抹の恥ずかしさも覚えたが、知り合いもいないこの場で、その気遣いは何よりも暖かく感じた。

「いえ、そんな売り物を貰うわけには、、」

 タダで食材を貰うことは、彼女の贔屓にしている商店街なら頻繁にあることだ。彼女も快くその好意を受け入れる。しかしそれは、信頼関係あってのものであり、見ず知らずの人から貰うわけにはいかない。強がりにしかならないとわかってはいた。

 しかし男は、いいからいいからと、彼女の持つ袋に果物を1つ入れた。

「うちのはねぇ、すっごい甘いから。帰ったら食べな」

  優しい言葉と表情で、男は彼女に言った。不気味なんかじゃない。とてもステキな笑顔だった。彼女も初めて会った自分に、優しくしてくれるこの男にこれ以上迷惑はかけられないと、精一杯笑顔を作った。

「ありがとうございます!帰って美味しくいただきますね!」

 と、その先に何があるのか、何処に辿り着くのかもわからない道を一度男に会釈し歩き進めた。

 彼女はしばらく歩き、商店街から少し外れた橋の上に腰掛けていた。人の流れが速く忙しない光景だが、かえって、それを眺めている事で落ち着いて考えがまとまる気がした。

 大きな橋なので、人が一人や二人座っていても誰も気に留めない様子だ。そう一人や二人。隣には、これでもかというくらい、髪の毛が波打ち、その髪のせいで目が、こちらからは確認できない男が座っている。

 もちろん全く知らない男だ。橋の上に座る彼を見て、なんとなく隣に座った。なんとなくにも少しの理由はある。通る人の邪魔にならない様に座るなら、固まった方がいいだろうというのもあったのだが、彼は通行人に見向きもされず、彼の周りだけは、別世界のような空間に感じられたからだ。

 彼は、この忙しなくすぎる光景のどこか一瞬を切り取るように絵を描いていた。盗み見するのも悪いかと思った。しかし、彼女は彼の描く特別上手くもなく、かといって下手でもない絵に見惚れていた。

「あの、よかったら私の絵を描いていただけませんか?」

 気がつけば彼女はそう言っていた。これが二人の出会いである。

 主人公とヒロインの物語はこういった些細な出会いから始まる。

 ーーちなみに彼は主人公ではなく、ただのホームレスだ。

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