第十七話 ハットリさん、報告する
「ハットリ、またお前さんにお客だ」
「はい?」
チョイチョイ、と料理長が親指で自らの後方を指し示す。イヤな予感がしつつも料理長の体を避けるように首を伸ばしてみてみれば、そこには憤懣やるかたない様子のお嬢様がいた。
ごゆっくりーと料理長。昨日の失敗は繰り返さないと耳栓を用意している。他の料理人も同じだ。干渉はしないし、興味もない。好きにしてくれと言った態度だ。
一方こちらは困惑だ。昨日の約束通りにデスワームの情報を収集し、その結果を紙に書いて渡したのだがこれは一体……。
緊張感高まる中、幼い魔法使いが、キレた。
「ちょっとこれ、どういう事よ!!」
紙をこちらに押し付けてくる。どういう事かと言われても……
「約束通りに、例の魔物を見かけたんで報告しただけですが?」
それが何か? と言えば、顔を真っ赤にして怒鳴られる。
「そうじゃないわ! なんで私の部屋にこの紙があったのかって聞いてるの!!」
「ん?」
そりゃ、寝てる時にそっと侵入して、枕元に置いたからですが?
「はぁ!? はぁ!? はぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「そんなに驚く事ですか?」
「驚くわよ!! なんで最上級のスウィートルーム、警備もいるあの部屋に侵入できたのよ!?」
忍者ですから。
そう言いたいところだが、この世界での忍者の知名度はゼロだ。そう言っても通じないだろうから、別の言い回しを考える。
「いやしかし、この腕を見込んで依頼をしてきたんじゃないのですかねぇ」
「ここまでとは思ってないわよ!! じゃなくて!!」
「じゃなくて?」
「何をレディの寝室に勝手に入ってきてんのよ!!」
レディ?
はて、と首を傾げた。それがまずかった。
爆炎の名に相応しいだけの炎が彼女の前に揺らめいた。
「フッフッフ。死にたいようね……」
これには忍者も平謝りである。
ペコリペコリと土下座をして許しを乞えば、魔法を引っ込めてくれた。
「すいませんでした、レディ」
「分かればいいのよ」
小さくても女の子はレディ。
そんな話を昔聞いた気がする。それをこんな形で実感するとは……。
かつての忍者の里の夫婦がそう言っていた。
それを思い出し、そう言えば我が姫君も結婚がどうのと言っていたなとついでに思い出してしまう。
あれはあれで頭が痛い。
あの後、領地内では大騒ぎだったらしい。特に領主様と、ローウィン君の父親である騎士団長は大層慌てたそうだ。
「ウチのローウィンではご不満ですか?」
「ローウィンは弟のようなものなので、そう言った感情はありませんが?」
とは、ローウィン父と姫君のやり取りである。
領主様の末の娘は、自分より少し後に産まれたローウィン君を弟のようにかわいがっていたという新事実。いとかなし。
私は貴族社会に明るくない。
そんな事を言って躱そうとしたが、メイド長が詳しく手紙に書きつづってくれた。
貴族の娘と言うのは処女性を重視される。どこの誰とも分からんヤツの子供を身ごもられてはたまらないからだ。その為に、確実に男性と交わったことのない年齢で婚約するのが習わしらしい。
前回、姫君に白羽の矢が立ったのもそんな事情からだった。親戚縁者の中で婚約者がいないのが彼女だけだったからだ。そしてそんな事が二度と起こらないように、姫君の婚約者をさっさと決めてしまおうとなっていた。
その最有力候補が、ローウィン君だった。
それがまさかのちゃぶ台返しである。
「どうしたのよ?」
「いえ、なんでもありません」
その事実を知り、私は焦った。メイド長の手紙からは何とも言えぬ迫力が漂っていた。それを思い出しての忍者冷や汗が出る。
婚約話は白紙に戻った。当の姫君が認めなかったからだ。それどころか
「ハットリとの婚約ですか!? 嬉しいです!」
となったらしい。
もうすぐ三十路となるオッサンを捕まえて何を言い出すのかと私は思う。忍者だってそう思う。
なお、当事者である私が不在なので保留と言う扱いだそうだ。あの領地に戻るのが怖い。
姫君は愛らしいお方だが、八歳だよ、八歳。歳の差二十二歳は無理があるよね。貴族的にはセーフらしいが、私的にアウトです、アウト。
そんな心の落ち込みを隠した私に待っていた現実は、お嬢様の冷ややかな目だった。
「フーン。今は聞かないであげるわ」
なんだその浮気を疑う妻みたいなセリフは。
そんな言葉が喉元まで出かかったのは、己の置かれた状況故だろう。それを解き放ってしまえば聡いお嬢様は何かを察するかもしれない。それは非常に面倒だ。
「本題に入るわ。いいわね?」
ど初っ端から脇道に逸れてたのはお嬢様なので、こちらに異論はない。相変わらず作業しながらだがお嬢様は気にした様子はない。大物過ぎる。
あるいは、この忍者がながらであっても聞き逃すことがないと信用しての事だろうか。
厨房で地図を広げる非常識さには呆れるが。
でも、話を聞くくらいはいいだろう。料理長たちも黙認してくれているし。
「まず、あなたの調査結果。ここから徒歩三日の辺り、丁度ここにいたって話だけど、合ってるかしら?」
私が手書きで記した簡単な地図から、彼女の持つ正確な地図へと移行しての話。
ザッと見るが、間違いない。
「ええ、丁度その辺りを移動していました。ヤツは夜行性らしいですね」
地中を移動する際の振動が自然にはない音で、忍者イヤーはすぐ気付いた。
そしてそこからヤツの進行方向を割り出して、地図上で指を這わす。
「ここから、こう。恐らくこの地点は岩盤になっていて進みたくないのでしょう」
「岩盤? そうなのね、道理で変な動きをしていると思ったわ」
森の中で木が生えていない、ヤツを迎撃するには打ってつけの場所。しかしそこは岩盤があり、木が生えていない理由はそれだった。木が堅さゆえに根を張るのを拒絶するように、ヤツもまたそんな所を通りたくないようだ。そんな岩盤地帯が領地境に沿うようにあって、その為にこの領地側へは来ないで、向こうの領地の方へと向かってしまうのだろう。
「恐ろしいまでの諜報能力ね」
「ここまでは諜報能力と言うよりも、洞察力かと」
「そうね、洞察力もすごいわ」
ベタ褒めであるが、あまり嬉しくはない。何故ならば、結局忍者はその晩、デスワームに有効な作戦を立てられなかったから。忍者的に悔しかった。
悔しいので、お嬢様にどんな作戦で相手を倒すのか聞く。
見つけられれば倒せると言っていたのだ。何か、おびき出す手を考えていてもおかしくはないだろう。この世界風の、異世界風の罠みたいなもので! ちょっと期待する忍者です。
「そんなの、見つけて集中砲火よ」
「はい?」
気のせいだろうか。聡明なお嬢様が脳筋みたいなセリフを吐いたぞ。忍者イヤーも不調な時があるんだなぁ、ハハハハハ。
「見つけて、集中砲火よ! 私たちはそれで今まで、全ての敵を屠ってきたの!!」
「土に潜って近寄ってくる相手にどうやって!?」
「……、え?」
……え? と言いたいのはこちです。忍者です。
忍者的大混乱です。
「デスワームって、土から出てこないの?」
「足元から直接出てきて丸飲みするそうですよ」
「……え?」
え? じゃないが。
これはひょっとして、とんでもない事態に巻き込まれてしまったのではないだろうか。
「こ……」
「こ?」
「こうなったら作戦会議よ! 付き合いなさい、あなた!」
ビシッと右手の人差し指を突き出して、左手は腰に当てる見事なポーズ。美少女がやると――場所が例え小汚い庶民食堂の脂ぎった厨房でも――絵になる。
なる、が
「いえ、仕事があるのでお断りします」
気配を消して芋の山を置いて行った料理長の為にも、この場を離れるわけにはいかなかった。
「な、なんでよーーー!!」
お嬢様は走り去った。
なんでって言われても、ねぇ?
同意を求めるべく料理人の方々に目配せをしたが、無視された。
巻き込むなオーラが半端ねぇっす。