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予言された崩壊 -1

「コウ…?」

 キノはゆっくりとドアに近づいた。そっと指で触れ、手の平を押しあてる。何も起こらない。
 キノは右手にある玄関のドアを見やる。鍵もチェーンもかかったままなのを確かめ、ドアに向き直りノブを回す。寝室は燦々(さんさん)と降り注ぐ太陽の光で(まぶ)しく、キノは目を細めた。コウの姿はない。

 どこに行ったの? まさか、コウがここにいたのも夢なんてことは…。

 キッチンへと戻ったキノは、煙草に火を点け息をついた。コーヒーの残る二つのカップをしばし見つめ、額に手をやりぎゅっと目をつぶる。

 大丈夫…頭はしっかりしてる。コウがここにいたのは間違いないはず…。

 キノはゆっくりと目を開けた。その指から煙草が落ちる。

「コウ!」

「はい」

 ドアの前にはコウが立っていた。キノは立ち(すく)む自分の足元から煙草を拾い()み消すコウを見て、驚きと同時に、不思議な安堵感(あんどかん)を感じていた。

 コウが戻って来て、ほっとした…? 私、彼にいてほしいって思ってるの? 

「信じていただけましたか?」

「…人間じゃないってこと?」

「ラシャの使いということを、です」

「突然消えたりしなくても、最初から信じてるよ。ただ…」

 キノが言い(よど)む。

「ただ、コウジにそっくりなコウがずっとここにいるなんて…緊張するなって思っただけ」

 はにかみながら言うキノを見て、コウが微笑む。

「何か食べた方がいいですよ。続きはそれからにしましょう」

 何事もなかったようなコウの言葉に、キノの顔も(ほころ)んだ。

「うん。スパゲティか何か作るよ。コウも食べられるんなら一緒に食べて。いつもひとりじゃ、寂しいじゃない」

「わかりました」

 キノが食事の支度をする間、コウはノートを手に時折ペンを動かしていた。

「お待たせ」

 キノが皿を置く。

「ありがとうございます。いただきます」

 二人は熱々のスパゲティを口に運ぶ。キノがノートを見ると、そこには希由香と浩司の簡単なプロフィールが書かれていた。

紫野(しの)希由香(きゆか) 1974年1月14日生まれ、か。『希』は同じ字だ…」

希音(きのん)さんっていい名前ですね」

「ありがとう。でも、『ん』って少し言いにくいみたい。キノでいいよ。あと、コウの話し方、ちょっと丁寧(ていねい)過ぎない?」

「そうですか? 自分ではよくわかりませんが、浩司と(こと)なりますか?」」

「うん。全然違う。何か妙な感じ。コウジの顔と声でそう言われると…」

 キノは再びノートに目を落とす。

(さかき)浩司(こうじ) 1973年12月27日生まれ。ねえ…私が思い出すためにって言ってたけど、どうして浩司の姿の方がいいの?」

 キノが顔を上げる。

「だって…別れたってことは、希由香がふられたんでしょ? もしかしたら、浩司を見ると辛くなるかもしれないじゃない。今は浩司が好きで、会いたいけど…どう言えばいいのかな」

 コウは黙ってキノの言葉を待つ。

「私、コウに聞くまで、自分のこの思いがどうしてなのかわからなくて怖かった。浩司を愛してるのは希由香だって思っても、私自身も同じに感じるから。でも、希由香が実在して、あの夢も希由香の記憶だってはっきりわかった今、少しは客観的に見れるような気がする。それでも、思い出すうちに辛くなるかもしれない。だから…それを知ってるはずのラシャが、使いを浩司に似せるメリットって何なのかなって」

 キノを見つめ、コウが口を開く。

「私がここにいることで、キノさんは浩司にそっくりな人間を見ますよね。繰り返し、何度も。本人ではなくても、浩司を見ているという視覚的な影響があるのだと思います。詳しくはわかりませんが」

 そうかもしれない。わかってても、私、コウを見るたび、ドキッとする…。
 キノは食べ終えた皿を脇にどけ、テーブルの上にノートを広げる。

「希由香の発動が浩司への思いに関係するっていうのは、何か根拠があるの?」

「はい。二人が知り合ったのが、2000年の10月です。そして、恐らく春を過ぎた辺りから会わなくなった。そして、護りの発動がその冬、2002年の1月のことです」

 キノがノートを捲る。

「1月15日ね」

「希由香の誕生日の翌日です」

 キノはコウを見つめる。

「偶然じゃないのね」

「希由香は自分の誕生日にひとり、浩司の生家のあるR市を訪れています」

「ひとりで…」

「リシールの調べたところでは、発動のあった時間、希由香は旅先にいたはずです」

「浩司に(ゆかり)のある場所で行われた発動に、浩司がかかわってないわけがないってことか」

 キノは夢に見た光景を思い出す。晩秋の夜空。ミレニアム最後の瞬間。真冬の深夜。肌寒い部屋に射し込む朝陽。
 暑い季節を、浩司と過ごしたことはなかった。希由香が浩司のそばで迎える夏は来ない。世紀の変わり目を、ミレニアムの(さかい)を二人で越えたあの冬だけが、希由香に許された浩司との時間だったのか。

「ラシャの力で、私の記憶を刺激してるんだよね。期間を指定して?」

「浩司に関するもの、という条件に合う記憶を揺り起こしていました。それが、護りの発見に繋がるとの見解からです」

「そこまで出来るんなら、希由香から直接記憶を取り出せないの?」

「不可能です。記憶というものは、ほかの者に見ることは出来ません。本人が語る以外にはないのです。あなたが希由香の記憶に同調出来るのは、先程言ったように、あなたの持つ能力によってです。私たちは焦点を絞って、それを活性化させているに過ぎません」

「これからも、夢を見続けるの?」

「いいえ。それでは時間がかかり過ぎます。夢を見せることから始めたのは、理解への素地(そじ)を作るためでもありました」

「じゃあ…どうするの?」

「私があなたを導きます」

 キノの目が問う。

「あなたを催眠状態にして、私が記憶を誘導します。発動の時までを」

「…そんなこと出来るの?」

「あなたの協力があれば。聞く側と答える側双方の能力、高い集中力が不可欠です。一日に一度、一時間が限度でしょう。キノさん、これにはあなた自身の強い意思が必要です。希由香の記憶を思い出したい、という」

 キノは意を決したように、コウを真正面から見据えた。

「私が護りの在処を知り得るのは何故か、それはわかった。希由香の記憶を思い出させるためにコウがここにいるのも。でも、もし、嫌だって言ったら?」

「…協力しないと?」

「ラシャは当然のように私が従うと思ってるんでしょ? 私は、わけもわからず言いなりにはならないよ」

「あなたの使命なのです」

「誰が決めたの? 押しつけが通用するとでも思う?」

「護りを見つけるのは、本意ではないと?」

「あなたたちが、納得のいく答えをくれるかどうかによる」

「私に答えられるものならば」

 コウは、誠実な眼差(まなざ)しでキノを見つめる。

「ラシャは、護りの力で何をするの?」

 コウの瞳は動かない。

「私が護りを見つけたら、その力で何をするつもりなの?」

 キノが繰り返す。コウは黙ったまま、何も答えない。

「使いのコウにも教えられないような理由で護りを探してるんだったら…」

「世界を救うためです」

 遮るように、コウが口を開く。

「護りの力が、どうしても必要なのです。出来る限り早いうちに」

「…世界を…救う?」

「そうです」

「じゃあ、もし…もし護りが見つからなかったら?」

 一瞬の間を置いて、コウが答える。

「二つの世界は…崩壊します」

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