⑤
布の下から現れたのは、黒が主体のサンドイッチ。
イレインの目には、とにかく『黒いサンドイッチ』にしか見えなかった。
具材はそうだが、周りは綺麗な狐色に焼かれたか何かの処理を施した、パンのようなもの。
これを先にパンだと教えられていなければ、イレインとて不可思議な食材としか思えなった。
(だが……間に挟まれてる黒い部分には見覚えが)
どこかで、ではなくこのパン屋でイレインを含める衛兵隊頼むようになったある菓子向けのパンにだが。
「スバルさん、この間に挟んであるのはもしや……」
「さすが、イレインさん。気づかれましたね? 実は、餡子です」
「何、アンコって?」
「とても優しい甘さで美味しいんですよ。私や隊の皆も効能目的以外に、気に入ってしまった食材なんです」
エリザベス、ことエリーに説明しても、彼女自身はアンコに縁もゆかりもないので首を傾げるだけだった。
だが、それも無理はない。
イレイン自身も、このパン屋で出会うまでは同じ事だったからだ。
「これも美味しいんだけど、あとでイレインさん達がよく買う『あんクリームクロワッサン』とか『あんバタークロワッサン』食べさせてあげるよ」
「い、いいの?」
「初回だけの特別サービスだから、気にしないで?」
「あ、ありがと……」
イレインは今日もそれらを買う予定ではいたが、ここにエリーを連れてきたのは失敗だったかと、内心落胆しそうになってきた。
と言うのも、ラティストにすらほとんど恐怖症の症状を出してないのに。スバルと接触した途端、全くと言っていいほど良好な状態でいるのだ。
(目の保養が増えるのは、実に素晴らしい事だが……また一人、スバルさんの魅力に囚われた者を増やしただけか)
ラティストへの注目の的も多いが、同じかそれ以上にスバルの方も多い。
イレインが親衛隊であるように、彼目当てにやって来る客も老若男女いる程だ。その中でも過剰になりかねない輩についても、親衛隊に敢えて引き込んで管理している。
故に、これからエリーも見定めなくてはならないが。現状はスバルの持つ温かな雰囲気に触れ、落ち着いてると言ったところか。
その感覚には、イレインも覚えがあるので同意はしたい。
だからこそ、見誤ってはいけないのだ。
「本当は揚げたてをご用意したかったんですが、売り物だと考えると冷めた方がいいかなって。紙に包んで食べてください」
「え、これ……揚げてあるの?」
「うん。ドーナツみたいな衣につけて、油でこんがり揚げただけ。砂糖をまぶしてもいいけど、中身が結構甘いからさ?」
「それは、興味深いですね」
ならば、少し甘めでも香ばしい白鳳の茶にはよく合うのだろう。
言われた通りに、スバル以外の三人が紙に包んでから手に取った。
ラティストは、咲き狐のサクラに食べさせるつもりでいるのか半分に割っていたが。
「……いただきますね」
鼻に近づくにつれ、油特有のつんとした香り。
だが、ドーナツと似たようで違う香ばしい匂いが鼻をくすぐる。
そして、何より。クロワッサンですらたっぷり使用していると思っていた、茶の産地と同じ国の赤い豆で出来た『アンコ』。
サンドイッチとして使うせいか、これでもかとパンに負けないくらいにたっぷりと挟み込んであったのだ。
まずは、端からひと口。
「すっごい! パンなのに、ドーナツみたい!」
「エリーさんもそう思われましたか! ええ、これはとても面白い食感です」
コロモと言っていたパンの外側のお陰か、油を吸ってサクッと香ばしく仕上がっている。
甘みが欲しいなとも一瞬
具がかなり甘めなので、パンは香ばしくもほのかに甘いくらいで調和が取れているのだ。これならば、食べやすくていくらでも口に入れられる。
「スバル、これなんてパンなの?」
「揚げ小倉トーストサンドって言うんだよ。小倉って言うのは、餡子を意味する違う言葉だけど」
「へー……あれ、疲れがすっと消えてく……?」
それは、美味しさにうっかり感動してたイレインも、後から感じる事は出来た。
限界間近だった眠気に疲労。それが少しずつ体から抜け落ちて、このまま走り込みの訓練をしても大丈夫だと思えるくらいに回復していく。
「スバルさん、今回の効能はこれらを……?」
「はい。あんバターは傷の回復ですが、今回の餡サンドは疲労などの回復になったんです」
「素晴らしい……」
傷を癒すだけでも充分であったアンコの活用が、また違った調理法を駆使するだけで効能が変わった。
疲れた時には、塩気よりも甘いものが欲しがちになるのでこれは本当にありがたいポーションパンだ。
「すっご〜い! あれだけ疲れてたのが一気に回復したよ!」
エリーの飛び上がらんばかりの歓声に、イレインは少し我に返れた。
つい、いつもの調子でスバルに聞いてしまってたが、先程見定めると決めたばかりが忘れていたのだ。
(やはり、スバルさんのお陰か……っ)
彼の可憐な容姿だけでなく、女神の如き気品さにあてられ、エリーは恐怖症がほとんど発動していない。
スバルが間にいる時は、イレインに対しても強がってみせてるよりは堂々としている。やはり、これもスバルのお陰か。
良い兆候ではあるかもしれないが、このままではエリーもスバルへ恋慕の情を抱く可能性も捨てがたい。
来客の女性の中には、隠れてスバルを慕う者もいるからだ。
「ねえねえ、この間のメンチカツみたいに。効能のメモってあるの?」
「あるよ? ちょっと待ってて」
ほらもう既に一歩を踏み出してるようにしか見えない。
少し割り込みたかったが、背後にいつのまにかいたラティストがイレインの肩を掴んできたのだ。
「……ラティスト、さん?」
「あれは放っておけ。と言うよりも、スバルもだがエリーとやらも年が近い分、親近感が持てただけなはずだ。男が怖かっただけの奴を安心させられるのは、いい事だろう?」
「あなたは、彼女の事を知って?」
「と言うよりも、この前の時にどうも見栄を張る姿勢が強かったしな。お前ですらダメでスバルが違うなら、自ずとわかる」
そして、それだけを言うと卓でちまちまとサンドイッチを食べているサクラの頭を優しく撫で出した。
スバルを除く人間はともかく、獣には優しいのだろうか。
(しかし……普通に考えれば。エリーさんは幼少期に過酷な事件に遭いましたから)
その事件をきっかけに、大半の男性に対して恐怖症を抱くのも無理がない。
それが、見た目と雰囲気に当てられてでもここまで自然体で接している男性とのやり取りを、イレインも彼女の父親以外じゃロイズしか知らない。
ここは、親衛隊や衛兵の隊長としてでなく、一個人として見守るべきだろうか。
「……まだ日の浅いラティストさんに見抜かれてしまっては、ね」
少し考え過ぎだったかと、イレインは小さく息を吐いた。
「お待たせー。あ、イレインさんもどうぞ」
「ええ、ありがとうございます」
ひとまずエリーの事は見守ると決め、スバルから受け取った効能の紙を読む事にした。
《揚げ小倉トーストサンド》
・睡眠不足を70%まで解消、疲労はほぼ回復
・白鳳国特産の小豆を使用した餡子は甘さ控えめ。食パンに挟んで揚げただけなのに、外側のカリカリと内側のふわふわが病みつき間違いなし!
→お好みで砂糖をつけるとより一層美味しい!(今回は無し)
ひとつだけでも効能としてでも充分なはずが、二つも。
最近の新作には目立ってきた事だが、これはいつもの低価格で売るにしては実に惜しい。
「ねぇ、スバル」
「うん?」
エリーも気づいたのか、神妙な顔つきになっていたが。次に口にした言葉は全く違っていた。
「ラティスト、さんがやってたような採取……あたしが代わりにしようか?」
「えっ」
何故、ここでその話題になってしまうのだろうか。
「…………何故、俺ではダメだと思う?」
さすがに、この提案にはラティストも怪訝な表情で問い返していた。
「品質よ」
「「品質??」」
エリーはおくびもせずに、スバルとラティストに向かってはっきりと告げた。
「小麦粉や豆とか、業務用に使うのはきっとロイズさん達のところから仕入れるので十分だわ。だけど、この間ラティストさんが手にしてたような治癒草はそうじゃない。一定の品質保証をするのなら、あたしのようなプロ冒険者の方がずっと知ってる」
「…………なるほど」
たしかに、効能の確率はバラバラなのは無理ないが、その中の品質が安定すれば変わるかもしれない。
そこを言えば、エリーはロイズに追いつく程の、若手では注目株とされている冒険者だ。
「あ、そっか。品質は僕らじゃ無理だもんね? けど、ほんとにいいの?」
スバル自身も見定めは難しいようだからか、あっさりと頷いていた。ラティストの方も、サクラをあやしながら納得したように頷く。
「ロイズさんやうちのギルマスにも、もちろん掛け合うわ。了承を得られたならば、専門の冒険者として契約しましょう?」
「うん、わかった」
とんとん拍子に決まってしまったが、これはイレインが口を挟める交渉ではない。
親衛隊達には叱られるだけで済まないが、より美味で効果の高いポーションパンを思うと彼らも頷くはずだ。
イレインはまた小さく息を吐いてから、スバルに持ち帰り用のアンサンドとクロワッサンを頼む事にした。
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【小倉トーストの由来】
出身がバレそうですが、作者は愛知でも三河なので、小倉トーストが定番とも違いました。
さて、小倉トーストの由来ですが。
なろう作家であり、名古屋めしにお詳しいSwind先生よりお伺いして来ました。
ネットならブログでも由来は記載されてますが、簡単に。
今は亡き、「満つ葉」さんと言う喫茶店が発祥だそうです。大正初期には甘味のお店として開いていたのをコーヒーなどの舶来品も取り入れたらしく、パンも扱うように。
ある日、常連の学生さんからの『和の甘味とうまく合わせられないか』とのリクエストに応えて考案したのが、トーストにあんこを乗せる小倉トーストだったのです。
Swind先生や別のブログさんでは、『その学生がぜんざいにパンを浸したのをヒントに考案』ともありました。
作者は名古屋にいた時期もありましたが、実際喫茶店で小倉トーストは食べたことがあまりなく、高校の購買で食べてた『揚げた小倉サンド』が多かったです。
女子生徒も思わず購入しちゃうくらい、パンのカリカリと餡子の甘さが絶妙な一品でした。
メーカーは有名どころでしたが、今販売されてるかはわかりません。
ちなみに、作中と同じようにバターは入っていませんでした。